[MM日本国の研究832]「『446人のオーケストラ』が奇跡を起こした」
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⌘ 2015年01月29日発行 第0832号 特別
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■■■ 日本国の研究
■■■ 不安との訣別/再生のカルテ
■■■ 編集長 猪瀬直樹
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「『446人のオーケストラ』が奇跡を起こした」
『救出 3.11気仙沼 公民館に取り残された446人』が発売となりました。
「押し寄せる津波、燃える海、水没した公民館屋上の446人。絶体絶命の危
機にさらされた彼らが全員救出されるまでの緊迫と奇跡を、迫真の筆致で迫真
の筆致で描く感動のノンフィクション」とオビで紹介されています。メールマ
ガジンでは、巻末所収の田原総一朗氏と猪瀬直樹の対談の一部をお送りします。
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田原 東日本大震災発生直後から、気仙沼市中央公民館の屋上に取り残された
446人を巡るドキュメント、それぞれの人間像に迫る細やかな描写と取材力
にとにかく圧倒されました。冒頭に鈴木修一さんという零細企業の社長が出て
きますが、彼と猪瀬さんとの繋がりは最後の最後になってようやく明かされる。
この構成も非常にスリリングで、とにかく一気に読ませました。当時、猪瀬さ
んは東京都の副知事でしたね。(略)作家・猪瀬直樹が、ノンフィクション作
家として、なぜ、この事象に挑もうと思ったのか、詳しく聞かせて欲しいです。
猪瀬 震災から一年ほど経ったときに、(公民館から東京消防庁のヘリで救出
された)保育園の園長さんと障害児施設の園長さんの二人がわざわざ都庁を訪
ねてきて、「命が助かりました」と感謝してくださった。そこで、初めてあの
日の詳しい経緯を聞いたのです。
田原 その事がきっかけとなっているのに、この作品には副知事・猪瀬直樹は
殆ど出てこない。それはなぜですか。
猪瀬 あの日の出来事を知れば知るほど、そこにいたそれぞれの皆さんがいか
に知恵を出し合っていたかが見えてきたのです。情報を掴んだのは僕だけれど、
そんなことよりも、残されていた皆々がどれだけ工夫して助け合ったかという
ことに重点的に書きたかった。
田原 確かに、誰かの英断というより、一人一人の結束の物語ですね。子ども
たちを、おんぶ紐を使って引き上げる際の連係など、見事としか言い様がない。
猪瀬 フェンスを飛び越えるのに椅子を置いたり、消火器でフェンスの鍵を壊
したり、鉄梯子に掴まる為に机を置いたり、板金屋さんが斜め屋根に穴をあけ
たり……その場で独自に編み出した解決策が積み重なってこそ皆の命を守るこ
とができた。
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田原 本文内でも引用しているけれど、吉村昭の代表作『三陸海岸大津波』、
これは明治・昭和時代の大津波を描いていますが、猪瀬さんのこの作品と比べ
ると「三陸とは何か」の変遷が見えてくる。これも大変勉強になった。
猪瀬 三陸というのは後からできた地名で、本来そんなエリアはなかったので
す。吉村さんが書いたあの明治の大津波を伝える新聞記事で、初めて三陸地方
という言葉が拡がったそうです。
田原 そうか、すっかり大昔から三陸って言っていると思っていた。
猪瀬 三陸というエリアが行政エリアとして出来上がってくるのはその頃なん
です。
田原 それにしても、本当に偶然の偶然の偶然というか、いくつもの偶然が重
なり、そして、それぞれが持ち場持ち場で全力投球している。いわば見事なオ
ーケストラ。「446人のオーケストラ」です。
猪瀬 そこから一つの情報が適確に発信されたということ。これは奇跡なんで
す。当時の都知事・石原慎太郎にこの話をしたら、「俺、その話知っている」
と言うわけ。一九五〇年代のフランス映画に「空と海との間に」という作品が
あるという。北氷洋の沖合で船がSOSを打って、そのSOSを素人のアマチ
ュア無線が拾って、アメリカやソ連など全世界に広がっていく。結局一晩で救
助の手が打たれたという。鉄のカーテンがあったときにも、アマチュア無線は
ソ連とすらつながっていた。
梅棹忠夫さんが『文明の生態史観はいま』(中公叢書)で興味深いことを書
いています。日本の転機は鎖国にあって、鎖国することで「国内での熟成とい
うか開発がはじまった。ひじょうに細密なところまで開発が進行する」と。
田原 「鎖国がなければ、日本人がアメリカ西海岸にとりついて、ロッキー山
脈から西側は日本の植民地になった可能性がある」……なるほど。
猪瀬 (ロンドンからツイッターでSOSを発信した)直仁さんの父親が船乗
りになった時代、日本は貿易立国で、小さな貨物船が五万トンのタンカーにな
り、30万トンのタンカーになった。世界中の色々な資源を輸入して加工してと
いうサイクルがあった。でも、グローバル経済のなかで、船そのものは船籍を
リベリアやパナマのようなタックスヘイブン国や海運規制の緩やかな国に置く
便宜置籍船となり、日本人の船員が要らなくなってくる。それでお父さんは陸
に上がるわけです。逆に、息子が世界へ飛び立つ。
田原 日本列島と太平洋をネガとポジで切り替えて見ると、気仙沼というのは
世界に開かれている、という言い方がとにかく印象的だった。普通にポジで見
ていると僻地でも、ネガにしたら最も世界に開けた、と。
猪瀬 日本という場所は、ガラパゴスはガラパゴスだったけれど、戦前、古く
は明治時代から海運国ではあった。世界に冠たる海運を持っており、それが日
露戦争の勝因ともなった。真珠湾攻撃や戦艦大和にしても、日本は、海に対す
る認識が元から強かったわけです。
田原 海と陸、地方と都会、そのネガポジを反転させる手法が見事でした。こ
の手のノンフィクションは、どうしても「大変だ、悲惨だ」という話になりが
ちだけれど、猪瀬さんのノンフィクションは、とにかく「よくやった」と称え
たくなる、逞しい物語です。
猪瀬 2015年3月で震災から丸4年が経ちます。この前、東浩紀さんと話して
いたら、NPOなどの支援は、おおよそ三年でひと回りしたという。復興予算
は5年間の予定です。5年間分だけ用意してあるので、あと1年で終わってし
まうわけです。3・11という出来事をこのまま風化させてはいけない。復興を
どう構築するべきなのか、原発など様々な問題も含めて「災後社会」という言
葉を僕も含めて使っていたのだけれど、どうにも曖昧になってしまった。
田原 水没した中にポツンと残された気仙沼市中央公民館の446人が見せて
くれた個人の努力と知恵の出し合い。3・11を描いたノンフィクションとして、
こんなに前向きな作品は初めてかもしれません。この作品が読まれることで、
3・11が語り継がれていけばいい、そう強く思いました。
(『救出 3.11気仙沼 公民館に取り残された446人』巻末対談より抄録)
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■2/18(水)午後7時から、トークイベント「東浩紀×猪瀬直樹『救出 3.11
気仙沼 公民館に取り残された446人』刊行記念イベント」があります。案
内はこちら→http://ptix.co/1ywd96e
■猪瀬直樹の新刊『さようならと言ってなかった わが愛 わが罪』(マガジン
ハウス刊)はこちらから→ http://goo.gl/Rjm9TB
■アサ芸プラスにテリー伊藤さんとの対談が掲載されています。
→http://goo.gl/TsMecM
■猪瀬直樹が「755」をはじめました。
→http://goo.gl/RO9Vax
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「日本国の研究」事務局 info@inose.gr.jp
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2015/01/22(木) 15:00 [MM日本国の研究831]「救出 3.11気仙沼 公民館に取り残された446人」
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