Vol.246 結城浩/再発見の発想法/「まちがい」について/『数学ガール6』進捗報告/

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年12月13日 Vol.246

はじめに

おはようございます。

いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。

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おわびと訂正。

前回のVol.245でミスがありました。

「可能性はゼロではない」という話題の中で、 ツイートのユーザIDとURLを間違っていました。 以下のように訂正しておわびいたします。

 誤 snoopy_zzz
 正 ohnuki_tsuyoshi

 誤 https://twitter.com/snoopy_zzz/status/803180361760980992
 正 https://twitter.com/ohnuki_tsuyoshi/status/803097506082996224

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概念拡張の話。

一本のロールケーキが目の前にあり、 それを普通に輪切りにして何人かで分けることにします。

ロールケーキを2人で分けるには1回切ればいいですね。 もしも3人で分けるときには2回切ればいいですね。 これを一般化して「n人で分けるにはn-1回切ればいい」と考えます。 ここで、nは2,3,4,...です。

ところで、もう一歩概念を拡張させてn=1のとき、 つまりロールケーキを独り占めするときのことを考えます。 このときは切らないで済みます。 このことを「切らない」ではなく「0回切る」と表現するのは楽しいものです。 なぜなら、

 「1人で分けるには0回切ればいい」

と言えることになるので、 先ほどの「n人で分けるにはn-1回切ればいい」 という表現を《そのまま》使えるからです。

「n人で分けるにはn-1回切ればいい」という一つの表現を、 n=2,3,4,...の場合だけでなく、 n=1の場合まで拡張したといえます。

で、さらにもう一歩概念を拡張させて、 n=0のときを考えたくなりますよね。つまり、

 「0人で分けるには-1回切ればいい」

という表現。 さあ、この表現を正当化させる解釈はありうるでしょうか。

あります。

たとえば、目の前にロールケーキがそもそも1本存在するのは、 もっと大きなロールケーキの島がどこかにあって、 そこから切り出してきたから、と考えます。

そう考えると「誰も食べられない」 (つまり「0人で分ける」)ようにするためには、 ロールケーキの島から、切り出してきた分を1回キャンセル (つまり「-1回切る」)すればいいですね。

 「0人で分けるには-1回切ればいい」と言えます!

こんなことを考えるのはナンセンスなようですが、 ぱあっと世界が広がった感じがして、とても楽しくありませんか。

以上の話は、ぼんてんぴょんさん(@y_bonten) のツイートをもとにしています。

 https://twitter.com/y_bonten/status/804177608002781184

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組織と「自分が答えるべき質問」の話。

管理とは何かについて、よく考えます。

でも人心掌握とかいう難しい話ではありません。 管理できてる状態は何で判断できるかという話です。

私は「大事な問いかけにどう答えられるか」が一つの指標になると思っています。

たとえば経営者に「御社の昨年度の売上は?」と尋ねましょう。 この答えのオーダー(桁)を誤るようなら、経営者は失格でしょう。 質問相手は経営者に限りません。部長にはその部の売上を尋ねる。 課長には経費額と人員数を尋ねる。その答えはどうなるかな?

組織の構成員には「自分が管理しているもの」があります。 各人が管理すべきものをきちんと管理できているかを 「問う」のはいいことでしょう。問いに答えられるかどうかで、 管理できているかを判断するのです。

そう考えると、

 そもそも私は、
 誰からの、
 どんな問いに答えるべきなのだろうか

という思いを抱くはず。

これは「自分の責務を自覚せよ」ということの言い換えに過ぎません。 「問い」というコミュニケーションの面から言い換えているのです。

 「私は誰からのどんな問いに答えるべきか」

自分は誰からのどんな問いに答えるべき存在かを考える。 逆に、自分は誰にどんな問いを投げるべき存在なのかを考える。 構成員全員がそれを考えるような組織は、 うまく回る組織ではないでしょうか。

それは、プログラムとよく似ています。 プログラムを構成する各モジュールにはそれぞれの責務があり、 定められたインタフェースを介して、情報を交換し、 処理が進んでいきます。組織とそっくりですよね。

自分は誰のどんな問いに答えるべきかを考えると、 自分が把握しておくべき情報もわかります。 そして、自分が参加すべき会議も(参加すべきでない会議も)わかります。 自分が業務で使える時間の多くを何に割かなければならないかもわかります。

組織の中で動くとき、 「自分は誰からのどんな問いに答える存在か」 をよく考える。そして問いかけに適切に答えることを大切にしようとすると、 組織の中で行う仕事がおもしろいものになってきます。 それは、組織での自分の位置と働きが明確になってくるからです。

そんなことを、よく考えます。

私自身は、一人で仕事しているのにね。

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批判と罵倒の話。

Twitterなどで、専門家が誰かを批判するとき、 罵倒するかのような言葉遣いをする場合があります。 それが尊敬すべき方の場合には、とても悲しくなります。 批判そのものがまちがっているわけではなく、 批判そのものが正しいときに、特に悲しくなります。 言葉選びは大事です。批判することと罵倒することは違うのです。

そういうときには、 「この先生は、専門分野では繊細な感覚を持っているが、 日本語や他者の感覚には鈍感なのかもしれない」 と思うようにしています。 私自身も、敏感な領域と鈍感な領域があります。 一人の人にすべてを期待しすぎてはいけないのでしょうね。

他山の石、他山の石。

特に「自分は絶対に正しい」と考えているときの言葉は、 先鋭的になりやすいので注意が必要です。

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年上の妻の話。

結城はTwitterでクイズを出すのが大好きです。 先日は、アンケート機能を使ってこんなクイズを出しました。

 問題「金のわらじを履いてでも求めるべきものは、いったい何か?」

もちろん答えは「年上の妻」ですね。

これは、 「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」 という言い回しを踏まえてのクイズです。

ところで、このクイズを出すに当たって調べていたら、 「金のわらじ」は「きんのわらじ」ではなく、 「かねのわらじ」と読むと知って驚きました。 すり減ることがないように金属製のわらじを履く、 という表現で「根気よく探す」という意味合いがあるそうです。

単独で「金のわらじで尋ねる」という表現もあって、 「辛抱強く探し求めること」や 「なかなか得難いもの」を表すそうです。 知らなかった!

すり減らない金属製のわらじを履いて探すほど、 「年上の妻」というのは貴重で得難いものなのですね。

年上の妻といえば、 森薫さんのマンガに登場する『乙嫁語り』のアミルが有名です。 中央アジアを舞台にした「お嫁さん」のお話。

『乙嫁語り』の第1巻のあとがきによると、 アミルのキャラには、 「弓が上手」「姉さん女房」「野生」「天然」「強い」 「なんでもさばける」「でも乙女」「でもお嬢様」 のように「清々しいまでに全部ブチ込んである」とのこと。 なるほど。

 ◆『乙嫁語り1』(森薫)
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0097280D6/hyam-22/

『乙嫁語り』、最新刊の第9巻がもうすぐ出るようですね。

 ◆『乙嫁語り9』(森薫)
 https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01N2RXAJ8/hyam-22/

ちなみに、私の妻も「金のわらじを履いて探すべき」すてきな女性です。

(アミルと併記することによる、さりげないイメージ戦略の一環)

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Amazon Dash Buttonの話。

ボタンを押すだけで、そのボタンに割り当てられた商品が届く。 そんな便利なAmazon Dash Buttonが日本でも運用開始になったようです。

 ◆Amazon Dash Button
 https://www.amazon.co.jp/b?ie=UTF8&node=4752863051

「消耗品が切れて困った」を解消するためにとてもいい方法!とは思うのですが、 妻に相談してみたところ「家のあちこちにそんなボタンを置いとくなんてイヤ」 との反応でした。まあそういう見方もありますね。

 「本の注文にAmazon Dash Buttonはどうかな」
 「あなたの家ではヤギか何か飼ってるんですか」

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モーメントの話。

Twitterには「モーメント」という機能があります。 モーメントというのは「複数のツイートをまとめる」機能です。

 ◆モーメントの作成 - Twitterヘルプセンター
 https://support.twitter.com/articles/20174969

ポイポイとツイートを放り込む感じで、 手軽にモーメントを作ることができます。

先日、iPhoneを使いモーメント機能で遊んでいるとき、 「これは電子書籍っぽいな!」という感想を持ちました。 電子書籍っぽいというのは変な表現ですが、 一つ一つのツイートは「ページ」で、 次のツイートを読む行為は「ページめくり」であると考えると、 iPhoneで本を読んでいる感覚になるのです。

コンピュータでモーメントを見たときには、 普通のスクロールなので、あまり本っぽくはありません。 iPhoneで見たときの「ページめくり」の感覚が伝わるように、 動画にしてみました(44秒)。ごらんください。

 ◆Twitterの「モーメント」をiPhoneで見ると電子書籍っぽい
 https://youtu.be/lV2DNZVtiXY

これは、自分の連続ツイート(連ツイ)を「モーメント」にまとめて、 それをiPhoneのTwitterアプリでぱらぱら眺めている動画です。 画面の全面が一ツイートで満たされ、 ページめくりして連ツイを読んでいる感じがわかるでしょうか。

結城は、モーメントのことを 「非常に手軽に作れる電子書籍だ」と感じました。 ツールだの、epubだの、スタイルシートだのはまったく考えずに済む。 書きたいことをツイートしたらそれがページになり、 それらをまとめてモーメントを作れば一冊の本になる。 そんな手軽さを感じるのです。

「スマートフォンで読む」という体験には、 まだまだ可能性がたくさん眠っていると思っています。

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松本人志さんの話。

以前、 ドキュメンタリー番組でダウンタウン松本人志さんが、 企画を考えるシーンを見たことがあります。 松本さんは、目をギューっとつぶって、ものすごく考えている。 その様子がなぜか忘れられません。

もちろん、目をギューっとつぶって考えたからといって、 おもしろい企画になる保証はありません。 でも、私たちが見ている多くの企画や作品や行動やルールは、 つまり人工的なものの多くは「誰かが考えたからそうなっている」 ということを思うのです。

ふわっと思いついて、パパッと作って出来上がり、 というものもあるでしょうけれど、 いろいろちゃんと考えるべきときには、 しっかり考えなくては。

目をギューっとつぶるようにして。

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「音楽は耳で作られる」という話。

「あの人は技術を持っている」というのは、 何かを「作る力」を持っているということです。 でも、それだけじゃありません。 「作る力」と同時に「見る力」も持っているものです。

「見る力」というのは、自分が何かを作り出したときに、

 ・これは「よい」か?
 ・これは「よくない」か?

という判断をする力のことです。

何かを作ろうとするときには、 「作る力」と「見る力」の両方が大切です。

記憶で書いているので不確かですが、 森博嗣さんの小説のどこかに、

 「ビリヤードのうまさは、腕ではなくて目で決まる」

と書かれていました。ここでいう「腕」は「作る力」に相当し、 「目」は「見る力」に相当するでしょう。

結城が子供の頃に習っていたリコーダー教師の言葉も思い出します。 それは、

 「音楽は耳で作られる」

という言葉です。音合わせの重要性と、 合奏中に他人の音を聞くことの重要性を説明するときに出てきた言葉でした。 リコーダーは笛ですから、息を吹き込めば音が出ますし、 指を動かせば音程が変わります。 ですから、「口と指」で音を作ると考えがちですが、 しかし実際には、音を聞く「耳」が大切になるのです。 ここでいう「口と指」は「作る力」に相当し、 「耳」は「見る力」に相当するでしょう (耳なのに見るというのは変ですけれど)。

ビリヤードプレイヤーは、目でプレイする。 音楽家は、耳で音を作る。 カウンセラーは、クライアントの言葉を聴くことでアドバイスする。 そして著者は、文章を読むことで本を書く。

つまりは、インプットとフィードバックによって、 アウトプットを行うということですね。

あなたが関わる世界でも、これに類することはありますか。

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それでは、今回の結城メルマガを始めましょう。

どうぞ、ごゆっくりお読みください!

目次

  • はじめに
  • 再発見の発想法 - Memoize(メモ化)
  • 『数学ガール6』進捗報告 - 本を書く心がけ
  • 「まちがい」について - 仕事の心がけ
  • 父の思い出
  • もっともためになったアドバイスは - Q&A
  • おわりに