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 続きです。
 正直、ニーズがあるのかどうかわかりませんが、また五作を採り上げます。
 今回は特にどの作品が目玉、というのはないのですが、こうして見ると80年代~90年代サブカルチャーにおける少女キャラの描かれ方の変遷の記録、とも言うべきものになっていますので、軽い気持ちで読んでいただければ嬉しく思います。
 後、性質上、ミステリなどもネタは全部バラしていますので、そこはお含み置きください。

『ズッコケ山岳救助隊』
●メインヒロイン:有本真奈美、大村みゆき

 リアリティに満ちたシミュレーション物。が、おもちゃ屋のオヤジ、有本が三人組を半ば無理に山に引っ張り出して遭難させてしまう……という筋立てなので、事件後のオヤジの様子までがリアルで、読んでいて居たたまれません。そこまでやる必要はあったのか。
 この有本は最近の子供の軟弱さを憂慮しており、三人組をファミコンソフトで釣って強引に山歩きをさせるのです。最終的に毎年恒例だったこの行事は今年で取りやめ、というオチになるので、『児童会長』と同様、こうした体育会系的教育者に対するdisこそが本作のテーマだったのかも知れません(ただし三人組自体は登山に興味を持つようになった、とのオチがつきます)。
 さて、リアルと書きましたが物語後半は誘拐事件が絡んできて、三人組が拉致された少女を助け、誘拐犯が土砂崩れに巻き込まれて死にそうだったのをも救助という、非現実的な大活躍。
 ここで注目すべきは有本の娘、真奈美で彼女は「活発で、終始三人組と変わらぬ活躍を続ける少女」として描かれます。身体能力的にもハチベエのライバルと呼んでいいスペックの主で、性格的にもジェンダーレスなボーイッシュさを持っています。
 一方、誘拐された女の子、大村みゆきはいわゆるお姫さま的役割の少女です。
 丁度、戦隊シリーズのヒロインが83年の『バイオマン』で二人になったことが象徴するように、80年代のフィクションにおけるヒロイン像は「女性ジェンダー/男性ジェンダー」に揺れておりました。
 本作は90年代になって出された初の『ズッコケ』であり、そうした「ジェンダーフリー」の波が、いよいよ『ズッコケ』にまで押し寄せてきた、と言えるわけです。
 とあるブロガーさんはみゆきについて、以下のような指摘をしていました。

初期ズッコケなら、この子は歳下の男の子だったはずです。つまり、小学生が自己投影するかもしれない六年生像として、「歳下に強いところを見せる頼もしいお兄さん」よりも「女の子を助ける勇敢な男子」の方にシフトしていったということです。

 なるほど、そう考えるとこの時期は『ズッコケ』が時代の波に呑まれつつあった、ということかも知れません。何しろ本書の出版後、数年すれば『セーラームーン』が始まるという頃なのですから。

『ズッコケTV本番中』
●メインヒロイン:池本浩美

 さすがに90年代にもなると、小学校にもハイテク(死語)の波が押し寄せます。
 今回はモーちゃんが学校の放送委員に選ばれ、番組を作るというお話です。
 そこにハチベエ、ハカセも加わりドキュメンタリーの制作をしようと奮闘……と書くと、この二人も委員になったのか? という感じですが、そうではありません。モーちゃんのトロいのに焦れ、カメラマンとしての技術を磨く特訓につきあってやっていた二人ですが、そこを放送委員側の藤井理香にバカにされてしまいます。よし、俺たちもヤツらに負けない動画を作ってやろう……というのが話の流れです。
 要するに気の強い女子が敵として出てくる、極めて基本に忠実なお話のわけですが、もう一つ『ズッコケ』の主要なモチーフに、「体制からのはぐれ者が何かをなそうとする」という点があります。ハチベエは肉体派ですがスポーツマンとして快哉を浴びる様子はなく、勉強好きのハカセは何故か成績が悪い。また、本作におけるスクールカーストの上位は中学校受験をするような連中であり、『文化祭事件』では「文化祭が卒業間際の行事のため、トップ連中が受験にかまけて積極的に参加してこないところでハチベエが行動を起こす。と、受験を終えたトップ連中がその手柄を横取り」といった事態が描かれます。
 つまりそうした体制側のムカつくヤツとして、本作では放送委員が選ばれているのですが、これがどうにもエリート意識丸出しの人間のクズども。どうも那須センセは善悪をかなりはっきりさせたがる作風のようです。
 ところが、お話は中盤から、極めて異色な方向へと転がっていきます。
 モーちゃんは放送委員の仕事の中、後輩の池本浩美に懐かれます。浩美は委員会の仕事をサボってまで三人組の動画制作に協力するのですが、ハチベエの軽口のせいでそれを委員会側に知られ、吊し上げられることに。モーちゃんは後輩を案じ、ハチベエと険悪になってしまうのです。
 そう、見る限りお話に恋愛を思わせる描写はないものの、浩美は「可愛らしい後輩」という、それこそ前作の大村みゆき的なキャラクター。
 妹萌えです。サークラ姫です。女を巡っての三人組の絆の危機です。
 ストーリーは「放火犯を捕まえるまでのドキュメンタリーの制作」をテーマに進んでいくのですが、読者の誰もがモーちゃんとハチベエのケンカに気を取られ、それどころではありません。
 結局、ドキュメンタリーも犯人の逮捕もついでのようにしか描写されないにもかかわらず、最後まで両者の和解が描かれないまま、話は終わってしまいます。
 ちなみにモーちゃんは最初こそ怒りを露わにしますが、それ以降は女々しくふてくされ続けるのみ。ハチベエも悪かったと思ってはいるものの、素直になれない。放火犯が明らかになった時、「友情の証」として真っ先にモーちゃんにそれを知らせるのですが、どうもそれでもモーちゃんの怒りは解けなかったようです。
 リアルというか、気持ちはわかるけどというか、今回ばかりはちょっとモーちゃんに苛立ちを感じずにはおれませんでした。
 こうしたエンドも余韻があり、決して悪くはないのですが、ちょっと子供にしてみるとキツいんじゃないでしょうか。野暮は承知で「仲直り」というケリをつけた方が……という感じがしました。
 一方、某ブログではハチベエ、モーちゃんのケンカと対比するように、浩美と里香たちがあっさり和解していることが指摘されていました。
『占い大百科』でもさわやかな男の友情に比べ、女子たちがドロドロとした争いの後も「表面上だけ仲よくしている」様をハチベエが気味悪がるシーンがあるのですが、その意味で那須センセとしては、「男の友情はそんなものではなく、本音をぶつけあうものだ」との思いから、敢えてこのようなラストを選んだのかも知れません。
 浩美がモーちゃんに対し、「先輩たちってケンカしていても相手のことを認めあってるんですね」と羨むシーンなど含め、その意味で本作は『占い大百科』との相互補完の関係になっています。

『ズッコケ妖怪大図鑑』
●メインヒロイン:奥田タエ子

「いろんな妖怪が出て来る」とまえがきにあるのですが(タイトル的にもそうしたものを期待させますが)、登場するのは実質的には大ダヌキのみ。まあ、中盤のクライマックスとして妖怪の百鬼夜行的な描写はあるんですが。
 お話としては、終の棲家であるボロアパートを追われたくない老人たちが妖怪と結託、という一応の社会問題を押さえてはいるものの、ドラマ性は低い。一方、妖怪の描写もストイックであるがためあまりキャラクター性を持たず、その意味でちょっと物足りません。メインは三人組が謎を解いていく展開なので、これはこれでいいのかも知れませんが。
 今回のヒロインはモーちゃんのお姉さんで、終始出ずっぱりなのですが、あんまりにもデブスに描かれており、ちょっとなあという感じ。『結婚相談所』では美人とは言えなくても、もう少しマシに描かれてたと思うのですが。

『夢のズッコケ修学旅行』
●メインヒロイン:荒井陽子

 本シリーズは全50巻。本作はその24作目で次回作の『未来報告』は25作目、つまり丁度折り返し地点です。また次回作は内容自体が「三人組の大人になった頃の話」であってある種の「最終回」的な内容。また、これは作り手たちにとっても全く予想外のことだったでしょうが、絵師の前川かずお先生が物故してしまい、この『未来報告』が最後の登板となってしまいました。
 つまり、いろんな意味で『未来報告』は擬似的な最終回、この『修学旅行』は擬似的なプレ最終回とでも称するべき位置づけになる作品なのです。
 一方、本物のプレ最終回と言うべき49作目『ズッコケ愛のプレゼント計画』は、未読ですが一言で言えば「ハチベエがモテる話」らしく、辛口レビューでは作者のエゴであると辛辣な評がなされておりました。まあ、長期シリーズにはこうしたことがありがちで、チャーリー・ブラウンが後期はモテていたり、映画ではのび太が妙に格好よくなったりするのは、作者のキャラクターへの愛情なのでしょうが、ちょっとなあ、という感想を抱かないでもありません。
 さて、本作のテーマは「ハチベエが修学旅行でガールフレンドを作ろうと誓う」というもの。つまりやはり『プレゼント作戦』と印象が被るわけなのです。
 当初は女の子になれなれしくしては嫌がられるハチベエの様子が描かれます。ところが、旅館においては、ハチベエの誘いを一度は断った女子たちが男子の部屋に遊びに行く(が、行き違いでハチベエは出会えず)といった描写、またリフトにペアで乗る時、(特に理由も描かれず)荒井陽子がハチベエと同乗するという描写がなされ、女子たちもハチベエのしつこい誘いにほだされつつあるようにも取れます。
 そして最後の最後、いささか無理矢理な、ちょっと蛇足的な感じで旅行先に人気のアクション俳優がロケに来ており、ハチベエがちょい役でそれに参加、というストーリーが描かれます。
 女子たちに頼まれ、その俳優にサインをねだりにいったハチベエがどういうわけか気に入られ、映画出演。一転してスター扱い受けるハチベエ。いささかご都合主義ではありますが、「女子にモテるために必要なイベント」としてこうした偶然を降って湧かせる辺り、やはり那須センセのニヒリズムが透徹されているようにも感じられます。
 本作、平板と言えば平板ですが充分に面白く、ブログなどでの(普段は穏健なレビュアーの)評が妙に辛辣なのが謎です。
 ただ一つ言うとゲストである若手の美人先生、せっかく眼鏡ッ娘として描かれているのに活躍の場はほとんどナシ。それはどうなんだって感じです。

『ズッコケ三人組の未来報告』
●メインヒロイン:荒井陽子

 先に書いた通り、本作は25作目。
 お話の冒頭では卒業間際の三人組がタイムカプセルに入れる作文を書いており、そこから舞台が二十年後の未来、そこでの同窓会に飛びます。
 話はカプセルの消失、若くして死亡した長嶋崇(クラスメイトですが、今まで目立った活躍のなかったキャラです)、そして世界的ミュージシャン、ジョン・スパイダーがミドリ市(三人組の住む町)でコンサートを開くことにまつわる謎解きに絞られます。
 単純な「未来の三人組」の話にしないところが那須センセの味でしょうが、三人組が揃って活躍するのは最後の最後のみで(成人してよりはバラバラな彼らが同窓会で久し振りに再会したにもかかわらず)ちょっと寂しい気がします。
 何しろ謎解きという性質上、活躍するのはハカセばかりです。本シリーズは常に「ハカセ無双」となる傾向にあるのですが、この種の特別編でまでそうなのはいかがなものでしょう。
 最後の大冒険はいかにもですが(アニメ版『のび太の結婚前夜』でものび太たちがバチェラーパーティの当日、「ガキの頃みたいに、久し振りに」冒険するエピソードがあり、それ的な痛快さです)、その時ですら所帯を持ったハチベエは危険を冒すことを怖れ、しかし独身のハカセは「君も歳を取ったな」と彼以上に大胆です。この辺り、ちょっと『劇画・オバQ』のハカセ的でもありますね。
 そうそう、『劇画・オバQ』ではハカセが報われない大人であったのに対し、本作は「ハカセリア充編」といった趣もあります。前作がある種、「ハチベエリア充編」であったのに対し、今回はハカセが荒井陽子とフラグを立てるのみならず、他のクラスの「売れ残り」女子勢にやたらとモテているのですから。
 本書が出版されたのは92年。舞台はその二十年後とされており、劇中、彼らは三十を超えた辺り。2010年代にはこの歳で独身が普通だとは、さすがの那須センセも読み切れなかったらしく、独身女性勢はみな焦っております(ただし、もうちょっと経てばこの読みも、現実化しそうな気はしますけれども)。
 他に小ネタを拾うなら、劇中では『カラテマン』というヒーローのカードにプレミアがついていると語られます。有名アーティストの新人時代の作だったとされており、現代を予見していたと見るべきか、「アニメ作家がアニメ作家として名を挙げている」現代からすると外れていると見るべきか。
 またクラスメイトの一人は大学で(マンガの描き方のノウハウではなく、学問としての)「マンガ学」を教えているとあります。これもこの時期の未来予知としてはどうなのか。
 すみません、浅学なぼくではちょっとこの辺、論評しかねます。
 しかし何より強烈なのはミュージシャン・スパイダーのキャラでしょうか。
 死者の霊と交信して曲を作るスピリチュアルなロッカー(?)として描かれ、その格好も何だか「昭和の子供漫画に出て来る怪盗」みたいなあんまりなもの。これもまた那須センセの望む未来観(死者崇拝的宗教観がナウい文化と併合して延命しているという)なのでしょう。