バタバタしております。
何か、公式が「ブリジットは女で~ちゅ」と居直ったとやらで、ショックを隠しきれない昨今で、ホントはそっちの問題に首を突っ込みたいところなのですが、そんな余力もないため再録記事です。
和月伸宏が逮捕され、またコンビニでアダルト書籍が排除されたという騒ぎの起きていた頃(2017/11/26)のものなのですが、わかりにくい点など、多少、初出とは変えてあります。
ともあれ(あまり評判のよろしくない)「ペドファイル批判」、「表現の自由クラスタ批判」がもうちょっとだけ続きます。
では、そういうことで……。
* * *
大きなトピックスが二つ、話題になっています。
一つにイオン系列の店舗がアダルト書籍の販売を中止した件、もう一つは和月伸宏が児童ポルノ所持により書類送検された件。これらには一体、どんな意味があるのか……いや、単なる偶然で起きたことに過剰な意味づけをすることは望ましくないかも知れませんが。
しかし実は場合によっては、この二件は「表現の自由クラスタ」の「敗北宣言」につながるのではないか……とぼくは考えています。
事件についてはみなさんご存じでしょうから詳細は省きますが、まずは和月氏の件についてです。本件についてのぼくの感想は、まず単純に「残念だな」と。何しろ『ジャンプ』作家さんです。『るろうに剣心』はアニメ化もしました。90年代の半ばという、ちょうどオタク文化がメディアを制するちょっと前くらいの微妙な時期、『ジャンプ』そのものが「オタク世代でない人の漫画」によって占められていたところにオタク作家が入っていった、かなり初期の人であるように思います。
単行本のフリートークコーナーではアメコミフィギュアに対する嗜好や伊集院光のラジオの小ネタが語られ、またキャラ造形についての裏話も語るなどしていて、当時のぼくは親しみや憧れめいた感情を持って、それを読んでいました。つまり和月氏は庵野秀明に近い、「俺たちの中から出た出世組」といったイメージの強い人だったのです。
が、作品そのものはそこまでにオタク色は強くない。本件にかこつけて取り沙汰された燕(『るろ剣』のキャラ)も作中珍しいローティーンの美少女というだけです。そう、作品自体にそこまで性的な(「萌え的な」と言ってもいいのですが)匂いがなく、だからこそ、「小学校高学年から中学二年生くらいまでの女の子が好きだった」発言は余計にショックとも言えました。腐女子人気の高い作家さんですから、そっちへの影響も強そうですよね。
が、更に言うならば「こんな位置の人が」という感慨も、覚えないではありませんでした。先に書いたように彼はオタク的とは言え、一般向けの作家。更に、先に庵野氏を挙げましたが、そこまでの大物では、申し訳ないけどない。つまり和月氏は、ぼくとしては「比較的一般的な会社に就職して、縁遠くなっていた昔のオタク友だち」とでもいった印象だったのです。「エラくなっちゃって、子供なんかできちゃって、休日も家族サービスとかしてんだろーなー」と思ってたら、家族サービスどころではなかったわけです。『ジャンプSQ』での『剣心』の「北海道編」の連載開始の直後にこんな事件が起こってしまい、何とも間が悪いとしか言いようがありません。
しかし、不謹慎な言い方ではありますが、報じられる児ポ販売サイトはかなりの大手のようで、そこの顧客にもし「もっと、露骨にオタク的な作家」がいたとしたら? との想像もつい、してしまいます。仮にですが、今回逮捕(いや、逮捕じゃないんですが)されたのが深夜のエロ満載アニメの原作を書いたラノベ作家だったとしたら? オタク界に対する打撃はかなり強かったことでしょう。そうした事態に至らずほっとしている、というのも正直なところです。
いや、或いはですが、そういう事態に陥らなかったこと自体には、必然性があったのかも知れません。47歳という和月氏の年齢を考えた時、そんな考えも浮かんでくるのです。
言うまでもありませんが、現行法では児童ポルノの単純所持が禁じられている。しかしホンの少し前までは違法ではなかった。黎明期のネットにはそれなりに児ポが溢れていたし、更に時代を下れば一般書店で結構えげつないモノが売られていた時代もあります。
違法でない時代なのだから仕方ないと言えばそれまでですが、二十年ほど前の同人誌にはエロ同人作家が裏モノの児童ポルノをやりとりした近況報告などが時折、書かれていたものです。コミケがそうした裏モノのやりとりの場となっていたこともあります。もちろん、同人誌自体は準備会が審査し、違法なものは売られない体制が築かれていますが、隠れてこそこそやられたら防ぎようがありませんし、これは今でもなされていることかも知れません。
美少女コミック誌の先駆けである『レモンピープル』にコラムを連載していた蛭児神建は当時のリアル幼女ヌード、ポルノ情報満載の児童ポルノ誌『ヘイ!バディ』でも児ポビデオ紹介記事を書いていました(ちょっとウィキで見てみたのですが、そうしたリアル関連の仕事については記載がありませんでした。どうも黒歴史のようです)。この蛭児神氏、今ではあっさりフェミニストに転向し、今のオタク文化のメイド萌えなどを腐しているのが笑えますが……。
つまり、ある時期までは、オタク文化とペドファイル文化はそれなりのつながりがあったのです。そのこと自体は(対外的に声高に言う必要はありませんが)忘れるべきことではありません。和月氏の年齢は、そうしたつながりの残滓を残している、ギリギリの世代ではないか……と思えるのです。
だから乱暴でシンボリックな表現になりますが、先の児童ポルノサイトの顧客名簿に、「もっと若い、今時のオタク丸出しの作家」の名は、或いはなかったのかも知れない。何となれば彼らは生粋の二次元世代であり、「児ポ何それ美味しいの?」と思ってる比率が、上の世代より比較的に高いからです。
イヤな言い方をすれば、和月氏はぼくたちの尻尾でした。
その「イヤな言い方」を敵に投げつけるならば、「表現の自由クラスタ」はそうしたことに対する危機感がまるきり欠落しているとしか、言いようがない。
前回、「エロはけしからぬと主張しているクセに、しかし残酷表現になったとたん、それは反社会的なので正義だとする」という「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベ」の幼稚極まる価値観をご紹介しました。しかしそうした価値観は、「表現の自由クラスタ」もまた……と言わざるを得ないのです。それは丁度、リアル幼女をレイプしまくっている児童ポルノを面白おかしく紹介しておきながら、「メイド喫茶は女性差別」と口走る、誰かさんのように。
ちょっと話を、イオン系列のアダルト書籍問題に移しましょう。
この話題に関してツイッターで度々聞かれた意見に「そもそも(コンビニはまだしも)量販店としてのイオンの書店に、エロ本などほとんど置いてなかったぞ」といったものがありました。しかしそうなると、これは元から大した事件じゃなかった、ということでもあります。コンビニは元からエロ本の置かれる場ではあったけど、ミニストップなんてそこまでメジャーなコンビニじゃないですしね。
更に言えばこれは「一般的なご家族の立ち入る店にはアダルト書籍は売っていない」という当たり前のことであり、仮に売っている店があるのであれば、「それは止めた方が」と考える者が多いことが予想できるわけです。
或いは「イオンに置いてあるのはBL、レディコミだけだ、自分で自分の首を絞めやがって、ざまあ見ろ」という声もありましたが、そもそもフェミニストはレディコミなど好きではありません(前回取り上げた本でも、師匠らが少女漫画、レディースコミックの「レイプ神話」を腐す箇所があります*1)。もちろん、イオンでの夕食の食材の買い物帰りに書店でレディコミを買う主婦というのがそれなりの比率でいるのであれば、その人たちが本件を問題にするという可能性はありましょう。が、よく言われるスマホでのBL、レディコミ、乙女ゲーの隆盛を鑑みるに、堂々と書店でそうした物を買いたい女性というのは存外に少ないのではないでしょうか。
つまり、本件の是非は置くとして、ぶっちゃけ世間的にそこまで重大なトピックとは思えず、一般社会と表現の自由クラスタの温度差を感じずにはおれない。
本件に限らず、「表現の自由クラスタ」もフェミ同様、どうにも浮世離れしていて、世間一般と自分たちの世界観のずれに気づいていない、「お友だち同士でつるんでるうちに世の中も自分も見えなくなった人たち」であると思えることが多々あります。一方ではこれもフェミ同様、「今そこにある危機に気づいていない愚民ども、しかし自分だけがそれに気づいている」といった世界観をもお持ちでいらっしゃるような気がするのですが、それこそ先に挙げた「反社会的なので正義」な、幼稚極まる価値観の最たるものでしょう。
*1 香山師匠の言い分がものすごく、
香山 (前略)ちょうどその頃レディコミでも、セールスマンが来て、玄関で無理やり犯すとかいったシチュエーションが多かったけども、それを私たちが「ファンタジーで楽しんでいるだけなのよ」って言っても、作品の世界を鵜呑みにするおじさんもいるかもしれないじゃないですか。
(30-31p)
などと言っています。対談ということもあってか話が論理的につながってないことの多い本書ですが、どうも香山師匠は、「女が読む分にはファンタジーを楽しんでいるだけだからOKだが、おじさんはそこを理解できないからNG」とでもいった考え方を持っているようです。そもそもレディコミをおじさんが読むと、この人はどうして思い込んでいるのか……(ヒント:病的被愛妄想)。
そうした「浮世離れ」というワードを踏まえた上で和月事件に立ち返ると、あることに気づきます。本件をきっかけに「ちょっとヤバげな人たち」が盛んにツイッターで発言し、一般人(含む、オタク)をどっ退きさせているのです*2。
曰く、「児童ポルノの単純所持の禁止自体があってはならぬ、被害者など誰もいないのだ」、曰く「同性愛者もまた、かつてはこうした扱いを受けていたのだ、ペドファイルもまた同様に、そうした体制に悪のレッテルを貼られ続けて来た、清浄なるマイノリティなのだ!」。
「表現の自由クラスタ」は児童ポルノの単純所持に激しく反対論を唱えていましたが、しかし「児童ポルノの所持自体が被写体の児童への虐待となる面がある」という側面について彼らが所見を述べているのを、見たことがありません。彼らの大御所のサイトでも、その旨の意見が書き込まれたとたん、コメントが消されるといったことが起こっています。
彼らの中には明らかにペドファイル寄りの人も含まれています。上に挙げたような、「一般人(含む、オタク)をどっ退きさせる、ヤバいペドファイル」がどれだけいるかはわかりませんが、海外ではNAMBLA(北米少年愛協会)のような子供と大人のセックスの合法化を目的にしているペドファイルの組織も存在しています。ペドファイルは自らの性欲の発露それ自体が犯罪になってしまうが故に、「いや、子供とセックスすることは何も悪いことではないのだ、子供もそれを望んでいるのだ」と主張(そうした幻想に逃避)する傾向にあるわけですね。
日本でも伊藤文学が長らく子供へのレイプを推奨し続け、それを批判した者は「表現規制推進派」として謎の組織からの恫喝を受けたことが知られています(笑)。
――なるほど、許せぬ! しかしペドファイルがペドファイルであること自体が悪なのではない。彼らを男性攻撃の口実にするフェミに対抗するためにも、ペドファイルを守ろう!
……いえ。
その心配には及びません。
何となれば、フェミニストはペドファイルの味方なのですから。
ぼくは度々、以下のようなことを言ってきました。
「自分をオタクだと思い込んでいる一般リベの中に、オタクをLGBTのメンバーに加えていただこうと主張する者がいる。しかしそれは悪手だ。何となればLGBTというのはあくまでフェミニズムをフォーマットにした歪んだ思想を持つ者たちであり、このレズ、ホモ、バイ、オカマというセレクト自体がぶっちゃけ“名誉女性”という政治性を持ったものでしかない、二次元性愛症という非実在セクシャルマイノリティがその仲間にしてもらえるとは思えない」*3。
しかし、では、ペドファイルはどうでしょう?
幼児とのセックスが認められるはずもない性癖である以上、ある種の政治的目的を持った彼ら彼女らが自軍に迎えるはずがないのでは?
いや、それがそうでもありません。そもそもフェミニズムはフリーセックスと縁が深く、例えば性科学者のジョン・マネーは(女性ではありませんが)フェミニズムに傾倒していた人物です。彼は人間のジェンダーが後天的であると主張し、同時に子供とのセックスを認めよとも唱えていました。
当ブログの読者の方は周知かと思いますが、このジェンダー後天論の根拠となった実験がインチキとバレて、フェミニストたちも手のひらを返してマネー批判に回りましたが、彼の子供とのセックス容認発言を批判したフェミニストの話は、聞いたことがありません。
いえ、そればかりではありません。先のNAMBLAなどに比べればマイナーですが、欧米では女性少女愛運動というモノもあり、フェミニズムに強く関わっています*4。フェミニストが病膏肓に入るとレズに至ることは比較的知られているかと思いますが、更に病むと「幼女タンとヤりたい!」となるのですね。例えば、「結婚もセックスもその全てが女性の男性への隷属である!」といった狂った思想を持つフェミニスト、ケイト・ミレットもまた、子供とのセックスに肯定的な一人です。
では、そのミレットは「俺たちと幼女タンとのセックス」を肯定するのかとなると、それは疑問という他はない。ぶっちゃけ、フェミニストの言うことなどまともに理解することなどできないのですが、敢えて言えば、「フェミニスト女性と幼女タンのセックスはおk、少年愛者とショタっ子とのセックスもおk、しかし成人男性と幼女タンのセックスはまかりならぬ! 後、成人男性と成人女性のセックスもまかりならぬ!」が彼女の考えであるとしか、言いようがありません。論理的には、そうならざるを得ないのですから。
まあ、この辺りはさすがに日本のフェミニストでは主張している者が見当たらず、詳しいことはぼくもわからないのですが、ともあれフェミニストをセックスヘイターとして罵ることは論理的にも倫理的にも歴史的にも政治的にも、完全な間違いであ(り、勘繰るならば一部勢力はだからこそ盛んにそうしてい)ると言えます。
前回は「表現の自由クラスタとフェミニストは線対称だ」と表現しましたが、こうしてみると、ある意味では「裏返すことなく、完全に一致」しているとも言えることが、おわかりになるのではないでしょうか。
セックスヘイター、ホモフォビア、ミソジニー。いずれも口にするだけで頭の悪くなる、ファシストの用語であり、口にする者はみな、「志を同じくするお友だち」なのです。
*2「そもそも児ポ規制は正しい法律なのか? 「被害者が可哀相」VS「所持するのは個人の自由」 和月先生の事件を受けて」
「社会的に受け入れられない性的嗜好を持つことについて」
*3「「新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク」を読む」
*4 当記事の初出自は「少女愛運動」というWikiのページにリンクが張られていたのですが、今では削除されています。かつてはレズフェミの少女愛を肯定する団体のサイトなどもあったのですが、どうやら目下は地下に潜っているようです。
先に、『フェミニストとオタクはなぜ相性が悪いのか』をフェミニストの「敗北宣言」としました。オタクというスケープゴートを叩くという戦略であったはずが、AKBに憧れる女子大生をも敵に回すという失態が、そこでは演じられていました(もっとも、書けば書くほど墓穴を掘るのがフェミニズムです。香山師匠の著作『結婚がこわい』でも、女子大生に就職を勧めて拒まれ、ついにはゼミに来なくなってしまったと嘆く箇所が出てきます)。
先の書籍がいかな計算の下に出版されたか、ぼくに知る由はありません。しかし場合によっては「オタクという異常者の異常性癖を糾弾する書」としてある種の支持を得られたかも知れない。もし今回の事件が本書の出版前に起きていたら、そのような「ワンチャン」もあったかも知れないわけです。
しかし「オタク」をターゲットにするつもりの師匠らのガバガバなターゲットスコープは、無残にも「ごく一般的な女子大生」を誤射しまくってしまった。件の書は、そんなフレンドリーファイアの記録に読めます。仮に師匠らがこれを読んだら、「いや違う。同じ女性でも過ちは正さねばならぬ。だから歯に衣着せぬ物言いをしたまでだ」との反論がなされるかも知れません。しかしでは、「自分たちの意見がどれだけマイノリティのモノであるか」について、師匠らが自覚を持っているかとなると、それは疑問と言わざるを得ないのです。
そう、大戦末期の日本軍部とか日本赤軍とか韓国とかオカルトとか、みんなピンチになればなるほど「自軍の統率のために過激で非現実的なことを言わざるを得なくなり、先鋭化、自滅」という道を辿ります。殊に追い詰められると、内部で「裏切り者」を捏造し、そいつを処刑することで結束しようとします。
先の女子大生批判はまさしくそれです。となると、「表現の自由クラスタ」もまた、そうなるのでしょうか。ぼくも彼らから幾度となく「事実を捏造しての裏切り者認定」を受けています(笑)。考えると「彼ら」が必死で岡田斗司夫氏を「仮想敵」にすること自体、どうした政治的意図があるのか……と思えてきますね。
本件では、実のところあまりにセンシティブな事態であるせいか、いつもなら騒いでいそうな連中が沈黙を守っていて(あくまでぼくの観察であり、見ていないところではしているのかも知れませんが……)、ある意味賢明な対応を見せている気がします。
が、彼らが「自分たちの意見がどれだけマイノリティのモノであるか」についての自覚を欠落させ、「非常識なセックスヘイター」とやらの幻に向けて誤射を繰り返している以上、いずれ彼女らと同じ轍を踏むのでは……というのがぼくの懸念です。
まあ、問題は、彼らが支持を失った頃には彼らの誤射でオタク界に相当な被害が出て、また彼らが去った後は全ての責任がオタクにひっ被らされていることが、想像できてしまうことなのですが……。