ネットマガジン『ASREAD』様でちょっと書かせていただきました。
「サブカルがまたオタクを攻撃してきた件ーーその2 オタク差別、男性差別許すまじ! でも…?」です。
前回のものの後編。
「ミサンドリー」、或いは「男性差別」という言葉に対して、現状では最も突っ込んだ分析がなされております。
ともあれご一読いただければ幸いです。
コメント
(著者)
はじめまして(^^
コメントありがとうございます。何と、『女災』もお読みいただいているんですね。
フェミニストたちの図々しさ、傲慢さ、独善性には本当に言葉を失いますが、おっしゃるように「私は愛されて当たり前の性なのに、何故」と思っているからこそだと思います。その意味で、彼女らほどジェンダーに縛られている人々はいませんね。
「男性差別」という声が上がってきたのは男性側も自分自身にセンシティブになって来たからで、いい面もあると思うのですが、下手にフェミに倣うと彼女らの二の舞を踏むと同時に、彼女らほどには甘やかしてもらえず、手痛いしっぺ返しを食うことになりそうです。
>「愛されない性別」に生まれてしまって本当に理不尽だなと思うのですが、「ミサンドリーをなくすのではなく、うまく付き合っていくべき」という結びを見て、冷静で現実的で良いな、信用できるな、と感じました。
ありがとうございます。
ぼくの言は「即効性のある手段はないのか、処方箋を出せ」という反応が返ってくることが多いので、そうおっしゃっていただけると嬉しいです。
また、よろしければコメントをお願いしますね。
(ID:9240167)
はじめまして。ASREADの記事読ませていただきました。
男性差別を批判する人々は度々目にしますし、その訴えにも共感するところはあるのですが、どうにも勢いがないし、素直に応援しにくい感じがするのです。そのもやもやを、今回の記事の「感情を断罪するのは不毛」、「男は女に比べて愛されない」という指摘でかなりすっきりしました。
フェミニストの皆さんは凄く言葉に勢いがあって態度も大きく「お前ホントに弱者かよ!?」と思うほどエネルギーに満ちていますが、それは「私(女)は愛されるのが当たり前、訴えれば(駄々をこねれば)訊いてもらえて当然」という確信があるからなのでしょうね。そして男性差別反対派には逆に「俺(男)は愛されなくてもしょうがない」という諦観がどこかにあるから勢いがなく、また賛同者も少ないのかなと思いました。
「愛されない性別」に生まれてしまって本当に理不尽だなと思うのですが、「ミサンドリーをなくすのではなく、うまく付き合っていくべき」という結びを見て、冷静で現実的で良いな、信用できるな、と感じました。
これまでもちょくちょく拝見させていただいていたのですが(『女災社会』読みました)、これからも勉強させて貰います。
ありがとうございました。