石原莞爾と東條英機:その58(1,885字)
皇道派は荒木貞夫と真崎甚三郎を旗頭としていた。荒木も、元々は一夕会の領袖を務めるなど、統制派の永田鉄山とは非常に近しい関係にあった。永田鉄山が荒木を引き立て陸軍大臣に仕立て上げたという経緯さえあった。
ところが荒木は、陸軍大臣になってからは、腐敗した閣僚や経済人を一掃し、陸軍が中心となる国家を作ろうという考えをこじらせ、天皇の名の下、武力によるクーデターを起こし自分が首相になろうと目論むようになった。この考えに多くの若手将校が感銘を受け、皇道派が形成される。
そうして皇道派に与しない、静かなるクーデターを志す永田や東條らとの間に亀裂が生じた。それがやがて「統制派」という派閥の形成を促す。統制派は必ずしも積極的に派閥を組んだわけではないが、皇道派に与しないものは自動的に統制派と見られるような状況が生まれたのだ。
そして統制派の領袖はもちろん永田鉄山だった。永田鉄山と彼に近しい者たちが、荒木や
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