庭について:その61(2,091字)
龍安寺は、15世紀後半に細川勝元の領有となったため、応仁の乱で細川氏のライバルであった山名氏の攻撃を受け、焼失した。
1488年、勝元の子の細川政元が再建に着手し、1499年頃、方丈(建物)が上棟された。銀閣寺の上棟が1489年なので、およそ10年後である。
龍安寺の庭も、やっぱり金閣寺や銀閣寺にならって、下に「水のある池」、上に「水のない池」がある二段構成となっている。このうち下の「水のある池」は、作りも豪勢な池泉回遊式庭園だ。ここには水鳥なども頻繁に訪れたため、風光明媚で最初はこちらの方が人気だった。
ところが、今となってはその立場が完全に逆転している。龍安寺の押しも押されもしないシンボルとなっているのは、上にある「水のない池」、すなわち枯山水の石庭である。
この石庭は、1500年頃、当時の臨済宗の高僧たちが作ったとされているが、実際に設計した人、また正確な時期、そして意図や意匠など、
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