石原莞爾と東條英機:その32(2,063字)
石原莞爾は1920年、31歳のときに中国に赴任する。その直前には陸軍大学の教官をしていたが、そこはあまり性に合わなかった。
石原は、エリート――特に陸大生クラスの人間が苦手だった。突出して頭が良いか、それとも自分の頭の弱さを知っている謙虚な人間でないと、上手く関係を持てなかった。
後年、石原は自分の部隊を持ったとき、民間上がりの兵卒たちからは慕われ、人気があった。威張らないし、自分たちのことをどの部隊長より考えてくれたからだ。
さらに、軍隊を退いた後も慕ってくる人たちを無碍にせず、一種の私塾なようなものを開いた。そこでは、弟子とも呼べる人物たちと楽しく、また仲良く過ごした。
そんなふうに、石原はけっして指導者に向いていないわけではなかった。ただ、とにかく頭が良いとされる人たちとは死ぬまで相性が悪かったのだ。
ただし、その中で永田鉄山との関係だけが唯一の例外であった。永田は石原の能力を大いに
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