人には既視感というものがあって、そこに訴えかける――というコンテンツの作り方がある。その昔、山口百恵のプロデューサーをしていた酒井政利さんが、何かのインタビューで「ヒットする曲は初めて聞いたときに『どこかで聞いたことがある』と思わせる」と語っていて、なるほどなと膝を打った。

映画においてもそういうことがある。先日、岩崎夏海クリエイター塾で映画『ジョーカー』についての議論をしていたとき、塾生のSさんが「この映画は既視感を覚えるシーンに満ちているのが魅力だ」と話していて、なるほどと思わされた。

そこでSさんは、例えばジョーカーが犯罪を犯して街へ逃げると、そこにはピエロの格好をした群衆による暴動が起きていて、ジョーカーはそれに紛れてまんまと逃げおおせる――そのシーンを既視感を覚えると語っていた。

それを聞いて、ぼくははっと気づかされた。確かに、この映画は既視感に満ちたシーンが連続しているのだが、