などとは決して言わない。
私と「カミさん」は
彼女が発病した時からその病状をよく知っていた。
乳がんにより片方の乳房を切除し
投薬の副作用で全ての頭髪を失った時も
病状の詳細を本人から知らされていた。
よくできたシリコン製の胸が完成した時には
それを祝って酒盛りを行い
その胸に触れさせてももらった。
ちょっとだけあはーんと言ってくれた。
我々と会う時にはかつらなどかぶらずに現れ
わずかに生え始めた髪を見た我々は
中学野球部だの水前寺清子だのと言ってはからかい
みんなで笑い合った。
やがて彼女が飲むお酒の量は減り
わずかな飲酒で泥酔する体質となってしまい
情緒も若干不安定になった。
そんな「牧野エミ」でも
もっともっと舞台で輝かせてあげたいと考え
「カミさん」は
「中道裕子」と共に
おばさん女優3人組によるユニット
「タニマチ金魚」を結成した。
その旗揚げ作品である
『更年期SHOWガール』というタイトルは
「牧野エミ」が飲み屋で自分が語って
一人で”気に入った気に入った”と言ってきかなかった
単なる駄洒落に過ぎなかった。
なのに私にそのタイトルで作品を書けと強要した。
私はひるまず書いた。
とても”今が旬”とは言えない
関西のおばさん3人組のために
更年期障害なるものをできる限り研究し
それを笑って乗り越えて行く勇気の物語を執筆した。
とてもばかばかしいシーンをいっぱい盛り込み
闘病中の「牧野エミ」が
思いっきり遊んで騒げる脚本を完成させた。
彼女が演じた更年期障害に悩む主人公は
周囲から散々振り回された挙げ句に
意味不明なコスプレまでせざるを得なくなり
客席を爆笑に巻き込む大暴れを見せてくれた。
「牧野エミ」が死んだ。
3日前の朝の事だった。
知らせをもらった私は落ち着いていた。
電話先の相手には
「そうですか」
とだけ告げた。
そして東京の稽古場で稽古中に知らせを聞くであろう
「カミさん」の事を想った。
お通夜で眺めた棺の中の「牧野エミ」は
にっこりと笑っていた。
彼女の生前
私と「カミさん」は何度か泣いた。
彼女があまりにも普通に
あまりにも笑顔で
あたかも楽しい事であるかのように病状を話し
居酒屋でそれを聞いているうちは
ずいぶん笑うのだが
帰宅した後でよく泣いた。
だから棺の中に彼女の笑顔を見た時
私は思った。
「まただ。
また自分だけ笑ってるよ。
こっちは涙が止まらないってのに
またこの人だけ笑ってるよ。」
お通夜には500人の弔問客が現れたと聞く。
ならば翌日の告別式で
沿道に並んでいた大勢の人達は
どれほどの数だったのだろうか?
一切の香典を拒否し
親戚も親友も
そしてファンをも区別せず
全員にその笑顔を披露した。
そして彼女が涙よりも拍手を好んだ事から
出棺はいつまでも鳴り止まない拍手で送られた。
「カミさん」はずっと泣いていた。
立てなくなるほど泣き続けた。
ならば私は毅然とするべきだったのだろうが
なかなかそれもうまくいかなかった。
「灰と骨になったエミさんなんか見られない!」
と「カミさん」は泣き叫んだが
そこまで見てあげるのが君の役目だと説得した。
我々の間では
「喜劇王・川下大洋」の話題でお酒を飲む事が
一つのスタイルとして定着している!
彼の話題は尽きる事がなく
みんなでいくらでも大笑いができる!
とある飲み会でもやはり
「川下大洋」飲みをしていると
「牧野エミ」はこう言い出した!
「ええわぁ!
大洋さんうらやましいわぁ!
本人がおれへん場所で
こんだけ話題にされて
飲み会の中心人物になってるやん!」
そして最後に衝撃の一言を発した!
「あたし大洋さんになりたいわ!」
一同は大爆笑したものだが
正気とは思えないその発言は
どうやら本気な物のようであった!
彼女は後日しらふの状態でも
同じ事を語っていた!
なぁに!
「川下大洋」になどなる必要はない!
だってね!
みんなでいっぱいあなたの話をしましたよ!
あなたがいない場所で
我々はいつまでもいつまでも
あなたの話をしていましたよ!
けどね!
込み上げて来る涙がこぼれないように
いっぱいあなたの馬鹿な話をしようとするのですけどね!
そうするとね!
余計に涙があふれて来るのですよ!
今もそうなのです!
あなたの事を楽しく書こうと思っているのにね!
語尾に「!」をつけ始めてから
涙が止まらないのですよ!
「ねぇねぇ大洋さん!
写真撮っておくれよ!」
それまでみんなそれをしようとはしていなかったが
私は「牧野エミ」とツーショット写真が撮りたかった!
なのでお願いして撮ってもらった!
するとそれを機に
後から後から撮影希望者が現れ
そこは一気に盛大な写真撮影会へと変わった!
「川下大洋」とも撮ったし!
「升毅」さんとも撮った!
懐かしい男「佐々木蔵之介」もいたので撮った!
彼はその後
「牧野エミ」のご親戚の方々とも
いっぱい写真を撮っていた!
いいぞ!
なんだか雰囲気はもう
「牧野エミ」が開催したパーティだ!
けど!
だめだ!
やっぱりだめだ!
これが恐らく最後の「タニマチ金魚」写真だろう!
せっかく揃った「タニマチ金魚」なのに
一人が写真だなんてあんまりだ!
また涙はまた止まらなくなってしまう!
小さな小さな「牧野エミ」だったが
その存在はあまりにも大きかった!
生きていても記憶に残らない人がいる中で
「牧野エミ」は死んでもなお
いっぱいの記憶で私を満たしてくれている!
それは彼女が
短いながらも
素晴らしい人生を送ったという証拠だ!
私は以前の『ひろぐ』で
人間の価値を数字で表す方法を記した事がある!
それは決して財産の合計金額ではない!
職場での役職の順序でもない!
その人をどれだけの人が必要としているか?
どれだけの人がその人との別れを惜しむか?
その数こそが人間の価値だと私は信じている!
沿道で盛大な拍手を送った人々の数!
そして参列できなかった事を悔やむ人達の数!
それこそが「牧野エミ」の価値だったはずだ!
我々はあまりにも価値の高い女優を失った!
私はこれから何度も彼女の話をしようと思う!
彼女のいない場所で
いっぱい「牧野エミ」の話題に興じようと思う!
ね?
エミさん!
だよね?
それでいいんだよね?
それが願いだものね?
だから今いる場所が
何でも願いの叶う天国だったとしても
絶対に
「私を川下大洋にしてくれ!」
なんて言わないでね!
ばいばいエミさん!
もう飲酒制限も偽物の胸もいらないよ!
いっぱい遊んで
いっぱい楽しい場所を調べておいてね!
そしていつかまた再会できた時には
香川県でうどん屋さんを巡ってくれた時みたいに
いっぱい案内しておくれ!
その日を楽しみにしています!
さよなら!
私は涙の止め方を知っていて
それを脚本に書いた事がある!
その方法に従って
しばらくは泣いてみようと思う!