今週のお題…………「なぜグレイシー柔術は衝撃を与えたのか?」
文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………水曜日担当
なぜグレイシー柔術は黒船だったのか~答えは簡単、ガチンコだったからだ。1993年シュート革命元年、K-1、パンクラス、UFCが期せずして同年に始動を始めたことが歴史の宿命、必然の流れだったとあと出しジャンケンの総括が認められることになるが、当時はとにかく様々な意味で驚きだったことを書き残す必要があろう。
筆者は当時、ニューヨーク在住。この連載内でも少し触れたが、米国のプロレスは1984年からローカルテリトリー時代を卒業してWWEが全国制覇を成し遂げたが、おかげで月一回開催だったMSGでの定期戦興行が消滅、また団体が「公式マガジン」を自前で編集・発行するようになって、リングサイド撮影から締め出されてしまった。昼間のお仕事が忙しいことが理由にせよ、バイト待遇で記者仕事を請け負う環境にもなかった次第。ところがどうだろう、1993年順番としてはK-1という新ブランドが大成功で業界の台風の目になったのみならず、旗揚げ会見で「完全実力主義」というケーフェイ禁句を船木誠勝、鈴木みのるらが表明、チョーク(裸締め)は有効技で関節技が極まっても一本になると謳う"プロレス団体"パンクラスが見切り発車して、どうやら壮大な実験リーグがついにプロ興行プロモーション化するのかと、さすがに興奮しなかったら嘘になる。現場取材から離れていた時期だったとはいえ、2倍の値段で週プロ以下専門誌もマンハッタンの紀伊国屋経由で入手していた事情通の立場からは、再び記者魂に火が付いた1993年という時代背景は強調して足りない。実際、右の方向からガチンコ革命元年だったが、左の方角からはみちのくプロレスとECWの旗揚げも同年であり、後者は筆者の足跡テリトリー範囲内のフィラデルフィアの汚い小屋が常設会場だから、現場にも復帰して95年4月発売の単行本処女作となる『プロレス・格闘技、縦横無尽』(集英社)の執筆を開始したのも1993年だった。
完全リアルタイムで1993年11月12日に開催された第1回UFCのPPVを注文した段階では、何が始まるのかは誰もわかってはいない。なにしろ、有料チャンネルの無料時間枠に前煽りのスポットCMが流れるが、明らかに無断でリングスのディック・フライの闘っている姿とかの映像だから、パンクラス旗揚げのニュースと相まって、まずはPPV中継を購入したに過ぎない。そして大会が半分以上過ぎてもなお、正直半信半疑だったのを昨日のことのように思い出す。やがて試合後の選手インタビューからも、これはガチンコ大会なのかと、静かなる興奮が第一回トーナメント優勝ホイス・グレイシーが賞金ボードを掲げるクライマックスに至っては、ついにもの凄いリアリティーを見たという衝動が爆発していた。
プロレスから派生したパンクラスに対し、アメリカではブラジルに渡った柔術の「何でもあり」ルールを採用した"究極格闘技"UFCが発足、これを境にマット界全体の運命が大きく変わっていくのである。リングは「四角キャンバスに3(4)本のロープ」といった概念を取り払った、金網で囲まれた八角形のオクタゴンがまず目を見張らせる。そして「ノー・ルール」宣言。発足当時は本当に急所蹴りすら許されていた。
まともなプロ・スポーツと呼べる代物ではなかったが、インパクトだけは強烈だった。パンクラス出現の興奮は、UFCの追撃で唐突にクライマックスを迎えたことになる。
格闘技の側からすれば、プロレスの定義は「事前に結果が決まっている格闘芸術」に尽きる。ところが新日本プロレスから第二次UWF、さらに藤原組を経てパンクラスを結成した船木誠勝らは、ついに「競技としてのプロレス」を始めてしまった。
「八百長ではないプロレス」―――プロレスを長年見つづけてきたファン、そして関係者にとって、パンクラスの出現ほどすさまじい衝撃はなかった。
9月21日NKホール、ビデオで真実の検証が可能な時代に、本当に「完全実力主義」の格闘技団体が出現したことは世紀末の奇跡とさえいえる。
かつて、格闘技色を全面に出すことで、従来のプロレスとの差別化に成功、独自の様式美に昇華したUWFスタイルが、ついに一線を超えた格好になる。プロレスが誕生したのは、それまで宗教儀式色が濃かったオリンピックが近代五輪として再発足した19世紀末だとされている。しかし、いつしか「食う」ために競技からプロの見世物へと変貌を遂げた歴史があり、そうした特異なジャンルが、誕生から百年後に原点回帰を果たしたのだ。
旗揚げ興行時点で船木だけでなく、鈴木みのる、ケン・シャムロック、バス・ルッテンら実力者が揃ったからこそ、「ハイブリッド・レスリング」と呼ばれる総合格闘技は継続と進化を遂げたといえよう。初期の「秒殺」ラッシュから、「膠着試合」が多発した時期を含む発展の過程が総合格闘技の歴史といっても過言ではない。
そのパンクラス旗揚げ大会のリングで、エース船木を破って、最強の称号を手にしたばかりのケン・シャムロックが、本国の新興プロモーション立ち上げに伴いコロラド州に出陣する。テコンドーのチャンピオンの足関節を極めて勝ちあがったものの、ブラジル柔術代表ホイス・グレイシーという無名選手にチョークを極められ敗北を喫した。「最強神話」のプロレス界が、「黒船」に開国を迫られた瞬間だった。
米国在住者の生活実感としては、収益の柱がチケット代金からPPVイベント放映権料に移ったことも特筆される。この時期には日本からのUインター中継、メキシコの団体AAAによるカリフォルニアからのルチャリブレ大会、格闘ゲームの実写版など、UFCの競争相手の顔ぶれがとてもユニークだった。時差も国境もない、映像による検証比較が可能な時代が到来した事実も重要だ。
報道する側も、変化を迫られる。週刊プロレスに代表されるファンタジー系の「活字プロレス」に対して、ジャーナリズムを貫く「シュート活字」の必要性が一気に高まった。
このシュート革命に触発されてニューヨーク在住時代の95年春に上梓したのが拙著『プロレス・格闘技、縦横無尽』である。「プロレスとは何か?」「格闘技とは何か?」の章で、大手からの出版物では初めて、「プロレスは映画と同じく作られたものである」ことをはっきりと活字にした。
ただ"完全実力主義"を提唱したといって、パンクラスがいきなり新日本プロレスの地位に取って代われるわけではないように、「シュート活字」の普及は一朝一夕に成し得るものではない。集英社から印刷された単行本現物を受け取るため一時帰国した筆者は、4月20日 日本武道館で開催された『ヴァーリ・トゥード・ジャパン』に向かい、席がヒクソン・グレイシー夫人の後ろだったので米国版ドキュメンタリー『CHOKE』にも顔が映っていた。
ただ"完全実力主義"を提唱したといって、パンクラスがいきなり新日本プロレスの地位に取って代われるわけではないように、「シュート活字」の普及は一朝一夕に成し得るものではない。1997年の拙著2作目『開戦! プロレス・シュート宣言』(読売新聞社)では、業界用語まで網羅してより詳細に試合が成立する仕組みを記述したが、専門誌紙は依然としてその存在を無視した。フィニッシュと試合時間を対戦相手に厳命する業界用語「ブッカー」の存在を伝え、アメプロのビジネス大成功とそれに伴う市民権の獲得を正確に予言した内容を、マニア層ですら「まだ早すぎる」と決め付けたのであった。
グレイシー柔術黒船論に戻るなら、紆余曲折の歴史はあったにせよ現在UFCが業界の盟主である圧倒的な現実だけで十分だろう。
2016年2月16日、49歳、税金滞納王という悪名も授かったホイス・グレイシーと、51歳、人生崖っぷちのケン・シャムロックが『Bellator 149』で対戦する。ガチンコ格闘技もまた、神話劇の領域に入ったのだ。
コメント
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何か無性に故井上義哲編集長の文章が読みたくなってきた。
I編集長なら巌流島をどう表現するだろうか?