今週のお題…………「私が興奮したベスト興行」

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文◎ターザン山本(元『週刊プロレス』編集長)……………急遽土曜日担当(昨日、やっと山口日昇氏の原稿が届いたため。1日遅れ)



ベスト興行? そういう言い方をするということは試合ではない。いつ? どこで? つまりどの会場だったの? 空間論、風景論になるよね。だって興行のことでしょ? 
 
昭和の時代に作られた体育館は老朽化が問題となり次々と解体された。有名なところでは札幌中島体育センター。宮城県スポーツセンター。蔵前国技館。などだよね。もう、それは今ではない。解体のあと建て替えられたのが大阪府立体育会館、大田区体育館。東京体育館。ベストマッチ、ベスト興行は常に体育館やアリーナと共にある。それが私の考えだ。
 
プロレスファンは過去に生きる。記憶に生きる。そういう習性がある。ベスト興行を一つだけあげろということ自体がそれを証明しているではないか? だったらベストというのは喪失感の裏返しでもある。
 
何がもっとも美しい喪失感としてあるのかである。急に思い出したよ。もはや失われた会場。誰もが忘れてしまった会場。なんだと思う? 35年前のことだからまだ生まれていない人も多いはず。そう、田園コロシアムだよ。あの調布にあったすり鉢状の屋外の会場。夏休み、全日本プロレスがジャンボ鶴田とミル・マスカラス戦を雨の中でやった会場さ。そうだ。あの試合は年間最高試合賞に輝いたんだっけ? 全日本女子プロレスも田園コロシアムで何回もビッグマッチをやったよなあ。昭和のプロレスファンなら記憶が蘇ってくるはずだ。そんなもろもろがね。
 
1981年9月23日の祝日。「秋分の日」に新日本プロレスが田園コロシアムで試合をやった。これが私の中のベスト興行さ。1万3千人を超える大観衆。熱狂。その歓声が凄すぎて近所の住宅から後で苦情が出た。いわくつきの伝説的興行。しかもこの時の主役はメインに登場した猪木ではなかった。そこがまた皮肉。話題を独り占めしたのは外国人対決。スーパーヘビー級、スタン・ハンセン対アンドレ・ザ・ジャイアントの超ど迫力マッチ。おそらくこれを超える外国人対決はそれ以後、見たことがない。しかもプロレス史上初の延長戦。この試合をマッチメイクしたのはレフェリーをつとめたミスター高橋氏だったとは。
 
さらに当時、新日本プロレスはメキシコの団体と提携していたためタイガーマスクはソラール、藤波辰爾はエル・ソリタリオというマスクマンと対戦。新日本のストロングスタイルとメキシコの飛んだり跳ねたりのマリポーサ殺法がからむはずがない。案の定、タイガーマスクはソラールの腕を折ったか怪我させてまともな試合にならなかった。それはそれでまた別の意味でのリアリティーがあった。
 
メインは猪木とタイガー戸口の試合。ゴングが鳴る前につぶれた国際プロレスの生き残りラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇が上がって来た。マイクを持ったラッシャーの第一声は「今晩は!」。客席からは失笑。猪木といえばモロ、不機嫌そのものの表情。それがまたよかった。しかも戸口に決めた卍固めが崩れて最後はグランド卍固? やってられないよな。
 
しかしその後、ラッシャーたちははぐれ軍団と呼ばれヒールなって大ブレイク。木村さんと浜口さんというあんなにいい人を悪者にした新日本はビジネスの鬼だよ。さんざん儲けた。猪木対ラッシャー、浜口、寺西組の1対3の対決を蔵前国技館でやってそれがまた大当たり。あんなカードは非常識そのもの。どこまでえげつないんだよ。開いた口がふさがらないとはこのことだ。それはちょうど猪木絶対スター時代から複数スター時代への転換期でもあった。
 
あと坂口征二対ストロング小林、ピート・ロバーツ対藤原喜明の試合もあった。ラッシャーにアンドレは亡くなった。猪木、坂口、小林、ハンセンは引退。ソラールとソリタリオは? 全ては夢のまた夢か? つわものどもの夢の跡、田園コロシアム。まさしく偉大なる喪失感。ベスト興行という名の郷愁。私にとっては過去は、記憶は呪いでもある。



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