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“最強”髙田延彦はプロレスを背負っていた!理想とするプロファイター

2016/01/12 15:00 投稿

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  • 田中正志
今週のお題…………「私が理想とするプロファイター

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文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………火曜日担当(本当は木曜日担当)


 
 お題が「私が理想とするプロファイター」で、谷川貞治がアンディ・フグを選んでしまっている。日本の格闘技ブーム、歴史といっても1993年からのことでまだまだ浅い。”青い目のサムライ”アンディ・フグがいなかったら、そもそもK-1の繁栄、わが国の格闘技の隆盛はなかった。
 負けても絵になる男の色気と、志の高さという選考理由も激しく同意する。プロレスラーに関しては、年間最高試合賞の負け役が真のMVPという理屈もあり、感情移入させる小橋建太がなぜに偉大かの議論に繋がる。小橋も志が高く、負けても青春の握り拳で立ち上がる姿が絵になった。ガチンコ競技もプロレス興行も、専門家が棲み分けするほどには大衆にとってケツはどうでもよい。主役がドラマを回して行けるか否かなのだ。
 
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 なんか1名を挙げて論ぜよテーマなので、直近ということで髙田延彦にする。RIZINの旗揚げ成功、普通に考えてMVPは榊原信行代表と、ふんどし姿で太鼓を叩いた29日のオープニングから31日のフィナーレまで、髙田延彦だと思う。なにしろ、開き直って堂々と「PRIDE復活」を謳うRIZINだ、UFCに市場を独占されている逆境下からの再スタートだった。ヴァンダレイ・シウバもミルコ・クロコップも使えない。アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラらすでに引退組の方が多い。かろうじてエメリヤーエンコ・ヒョードルを春にロシア訪問、3年ぶりに現役復帰させたのは金星だが、忘れてはならないのが髙田統括本部長だ。日が昇るイメージを団体コンセプトとするRIZINに、髙田がいなかったら存在の耐えられない軽さ、初登場なのにいきなり格闘技メジャーのアイデンティティーはなかった。
 2007年3月27日、榊原信行はPRIDEがUFCを運営するズッファ社に買収されたことを六本木ミッドタウンのキャノピー・スクエア会見で発表。場所も同じ2015年10月8日、新プロモーション旗揚げ発表の場で榊原は緊張に震えていたが、髙田はここからずっとマスコミ会見でも深夜放送枠『FUJIYAMA FIGHT CLUB』でも主役だった。
 
 PRIDEの歴史はプロレス最強の髙田延彦と、グレイシー柔術400戦無敗ヒクソンが対戦した1997年東京ドームから。お茶の間向きカードとして、RIZINはレスリング山本ファミリーの19歳、東京オリンピック出場を目指す山本アーセンと、ヒクソンの次男クロン・グレイシーの次世代対決を組んだ。結果は柔術家の三角締めに落とされるが、山本が何度もクロンをひっくり返して身体能力の高さを披露。お客さんを大興奮させ、デビューの新人に「アーセン、アーセン」と自然コールしていた。
 四角いリングのロープがLEDで光る斬新な仕掛けともども金網の闘技場MMAとの違いを提示。日本の格闘技復活の狼煙を、しっかり印象付けた大会だった。髙田延彦は「made in Japan - 世界最高峰の舞台を作りたい」「世界に宣戦布告する」と、UFCに挑む姿勢を叫んでいる。
 地上波復帰を直前に、そもそもPRIDEが立ち上がった黎明期を紹介する連続放送番組がBSスカパー!という、BS/CS放送が受信出来る環境なら無料で見られるチャンネルで『ヘリテージ』と題された回顧録が29日前夜からオールナイト放送された。髙田延彦と榊原信行(当時・東海テレビ)との出会いから始まり、例えば『PRIDE.3』カイル・ストゥージョン戦では、統括本部長本人が「いろんなルールの交じった大会だった」と口にする。そうなのだ、本年に新しく制作し直した番組であり、当時の番組を垂れ流しただけのものではなかったのだ。
 「カードを組ませたのが悪いのであって、髙田選手は悪くない」と、いわゆる格闘技マニアの論調に反論していた記者自身を思い出した。『ヘリテージ』には水道橋博士らもPRIDE愛を語っている。そこで先行紹介されていたのが、桜庭和志の柔道を始めたという高校生になった息子の登場だ。これは『ロッキー』シリーズの最期、ジュニアに託していく展開含みなのだろうか。その親子対話は小池栄子が実況席にいるフジテレビ中継でも放送されていた。
 
 総合格闘技はプロレスの異母兄弟に過ぎない。殴って闘ってそれを職業に出来ると、サーカス巡業の一部から派生したプロレスが現在のような興行イベントとして完成形をみたのは約100年前とされる。最強は当然追及されてきたものだ。プロ仲間なら、寝ても(=負けても)構わない。しかし、アマに負けることは許されない。価値観の違う者に聖域を荒らされてはいけない秘密結社の不文律があった。
 “最強”髙田延彦はプロレスを背負っていた。映像班まで含めて主催者側にPRIDE栄光史=桜庭和志という思い入れが強かったRIZINの初陣大会『SARABAの宴』だった。プロレスと総合格闘技のミッシングリンク=Uインターがなければ、PRIDEは誕生しえなかった。果たしてUインターは井の中の蛙大海を知らずのドン・キホーテだったのか否か。TAKADAは騙しのビジネスという罪を背負って処刑され、世間からプロレスが負けたとゴルゴタの丘にさらし者にされるが、弟子の桜庭和志が主の名誉を守る。
 一回だけで終わらずシリーズ化を見据えた忠臣蔵をモチーフとするPRIDEが誕生する。前田日明、髙田延彦、船木誠勝には、それぞれの肉体のピークがあったに過ぎない。枠を出なかった世代もいれば、タイミングが合ったために選ばれし者となったサク(桜庭和志)という稀なケースもあった。
 ヒクソン・グレイシーは「サクラバとは交わらなかった戦歴」を背負い続けていると本人が語っていたが、29日のメイン、青木真也戦には呆然としていた。31日は息子クロン勝利で陣営は喜んでいたが、デビューしたプロモーションより高く買ってくれる大舞台が、髙田延彦をアイコンとするRIZINという帰結はどうだろう。大会終えてヒクソンの方から握手を求めていた。
 同じく、握手を求めていたのは酔っ払い親父キャラ!?をハッスルで演じていたマーク・コールマンだ。「お前は偉大だよ」「最高だ」と声をかける。ヒース・ヒーリングともども『格闘技EXPO』(小路晃「えびすこ」ラーメン出店)に呼ばれている。2005年の大晦日、試合前に中尾芳広がヒーリングの唇にキスしたら、テキサス州出身のカウボーイが眼にとっさの顔面パンチ、中尾は失神して担架送りとなり試合が飛んだ。テレビ的に美味しい回だった。プロレスの業界用語ストレッチャー・ジョブではなく、担架はガチだったからだ。
 どれほどコールマンが1999年の『PRIDE.5』髙田戦を誇りに思っていることか。記者は本人にインタビューしている。本人に聞かずに、ああだこうだと見当はずれの評をしても、ライターが本質を見てない浅はかさを晒すだけだ。たどり着いた最後の真実は、スカパー!広報大使RGがキャンペーンしていた生中継版のラストに握手映像が残されている。RIZINの主役は髙田延彦だった。
 
 選手からMVPを選ぶならピーター・アーツになる。クリスマスに六本木で泥酔していたら、急に「試合が出来るか?」となったそうで、「友達の把瑠都とやるのはどうか」と思ったが、大会を救ったことは間違いない。最後のラウンドまで立っていたのは驚異的だ。ピーターにとっては、KOされたり、一本はとられないという意地で最後まで闘っていた。まるで映画『ロッキー1』のようで、3分3Rを最後まで闘い抜いた真の勝者。試合中会場は「アーツ、アーツ」の合唱が起こっていた。
 「プロファイターの理想」を問われると、フォトジャーナリストとしては狙った通りを絵にしてくれる戦士となる。芸能系媒体から「パンチラ狙ってくれ」の仕事依頼と同じ、ジャンル問わず絵になった者が主役なのだ。29日オープニングには有言実行の人・高田延彦がふんどし姿を披露。Twitterによると生卵10個とか広報されているが、それは『ロッキー』の比喩だ。曙もボブ・サップも、全員が凄くこのチャンスに賭けて精進していたことは間違いない。それが肉体の秘訣、とりわけrising髙田延彦が究極の勝者だった。
 
▼髙田延彦ふんどし太鼓グラフ収録
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