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PRIDEという競技ではなく、正に異種格闘技だった「吉田秀彦 vs 田村潔司 戦」の内幕を明かす!

2016/01/06 13:10 投稿

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  • 山口日昇
今週のお題…………「私がシビれた異種格闘技戦

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文◎山口日昇(『大武道』編集長)………急遽、水曜日担当



全国3千万人の『厳流島』ファンの皆さま、あけましておめでとうございます。
ワタクシ、山口日昇という者です。
どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。
 
今週のお題は『私のシビれた異種格闘技戦』。
となると、そりゃあもう、誰がなんといってもジャイアント馬場vsラジャ・ライオン戦に尽きる! という気がしないでもないですが、おそらくこれはシビれ方が違うと思われますので、もとい!
 
サダちゃん(谷川貞治氏)が、自身が業界に入る前の「猪木vsウィリー戦」をあげていたので、ボクは自身が関わった一戦から「吉田秀彦vs田村潔司戦」をあげたいと思います。
 
これは2003年夏のPRIDEミドル級GPの1回戦で実現し、当時のPRIDEルールで行われた一戦ですが、シチュエーション的にはまったくの「異種格闘技戦」だったと思います。
 
吉田秀彦をミドル級に組み込み、翌年のヘビー級GPには小川直也を引っ張り上げるという、PRIDEを運営するDSEの目論見のなか、ミドル級GP1回戦では、3度目の対戦となる「桜庭和志vsヴァンダレイ・シウバ戦」、そして「吉田秀彦vs田村潔司戦」が軸に据えられました。
 
このときに田村潔司を口説いていたのがボクでした。
2002年のPRIDE初参戦となったヴァンダレイ・シウバ戦を皮切りに、ボブ・サップ戦、高田延彦引退試合、そしてこの吉田秀彦戦、それ以降もPRIDEの運営サイドとして、ボクはなぜかズッと田村潔司担当でした。
別に気が合うわけでもないのに。
 
この年、ヒョードルがノゲイラを破りヘビー級チャンピオンになり、ミルコもK-1から移籍。波に乗るPRIDEは、何がなんでもこの一戦を実現させたかったし、ボクも同じ思いでした。
 
当時のK-1は、テレビというメディアをうまく使い格闘技の大衆化を成功させて盛り上がっていましたが、それに対抗するPRIDEはライブでの熱が勝負どころでした。
 
遠心力のK-1に対し、求心力のPRIDE。
その対立概念は、昔の馬場・全日本vs猪木・新日本のように本気で切磋琢磨しながら転がっていけば、業界が盛り上がると個人的にも思っていました。
ところが後年のPRIDEはテレビ局に依存し、K-1ともグダグダの中で手を結び、結果、PRIDEも旧K-1も共になくなってしまいました。
 
それはともかく、アントニオ猪木の「プロレスこそ最強」「プロレスは“闘い”である」という理念、つまり“猪木プロレス”の概念は、当時の迷走していた新日本プロレスにはとっくになく、迂回や氷解を繰り返しながらも、UWFを経てリングスやPRIDEに点在していました。
 
当時のPRIDEは、「打・投・極」(懐かしい!)というUWFのフォルムの延長戦に見えたことや、プロレスラーも出陣し異種格闘技戦を行う“場”として、“猪木プロレス”ファンの期待を背負っていました。
 
UWFの理念を体現する男・田村と柔道金メダリスト・吉田が実力測定の場でカチ合えば、間違いなく“場”には熱がつき、それ以降のPRIDEというイベントに求心力がつく大きな弾みになるだろうと思いました。
 
ところが運営サイドがそう考えても、すぐに選手との交渉がまとまるとは限りません。
 
田村潔司本人とも、この試合の意味づけ、今後のPRIDEの方向性、メリット・デメリット、ギャランティの交渉なども含め、何度も何度も話し合いながらも、なかなかYESの返事がもらえなかったり、決定までには紆余曲折がありすぎるほどありました。
田村潔司が目を閉じて押し黙る非常に重い空気のなか、ボクと隣にいる田村のマネージャーは「今日はもうやめにしませんか?」「今日決めないと時間がないです」なんてやりとりを、なぜだか携帯のメールでする。で、気がつくと何時間も経過していて朝を迎えたなんてこともありました。
田村潔司が雲隠れし、1ヶ月間、まったくの音信不通になったこともありました。
 
当時は、まだ桜庭和志が高田道場所属だったため、高田延彦統括本部長には「サクがヴァンダレイで、田村が吉田戦というのは不公平。1回戦としてのリスクが違う」とゴネられるなど、内部からも妙な角度からの反対意見があったりしてスンナリとは行きませんでした。
 
ボクが引き抜きをしたわけでもないのに、ヒョードル擁するロシアントップチーム(旧リングス・ロシア)をPRIDEに上げたときも、前田日明さんにボロクソに言われたり、小川直也という特殊案件を扱うときにも交渉事の気苦労は絶えませんでしたが、それ以上に田村潔司という“変人”と向き合うのは大変なことでした。
でも、なぜかボクはなぜかズッと田村潔司担当でした。
別に気が合うわけでもないのに。
 
田村潔司は、運営サイドの思いも、ボクの考えも、プロレスファンの期待も、わかりすぎるほどわかっていたから、熟考を重ねたのでしょう。
プロレスやUWFというジャンルを背負うということも、ファンや関係者が思ってる以上に真剣に考えて臨んだんだと思います。
 
そういえば、試合当日のリハーサルの際に、おなじみのテーマ曲ではなく、知り合いがつくったという新たなテーマ曲を田村潔司が持ち込んだということがわかりました。
開場前、現場の制作は「今日会場に来るファンは、いつもの入場テーマを期待しているし、そのほうが盛り上がるので、なんとかいつものテーマ曲に戻してほしい」とセコンドに付いていた宮戸優光さんにお願いしたところ、「とてもいま、そんなことを言える状況ではない」なんていうやりとりがあったり、試合前の田村潔司は、いつも以上にとてもヒリヒリしていた記憶があります。
 
強くなるためにプロレスラーになったことや、強さを目指すプロレスがこの世にあったことの証明や、UWFで自分がやってきたことの整合性を示すために、田村潔司は何がなんでも勝ちたかったのでしょう。
 
片や吉田秀彦側は対照的に「UWF? UWFを背負うんですよね?(ニヤニヤ)」みたいな試合前の煽りVに代表されるように、プロレスやUWFを馬鹿にしきったかのような雰囲気を出していて、これがまたプロレスファンの思い入れに火を点けました。
田村潔司の入場テーマではスカされましたが。
 
試合は、大半を田村潔司が支配し、右フックが当たっていれば勝っていたというところまで柔道金メダリストを追い詰めましたが、最後は吉田秀彦の道着を使った袖車が決まりました。
結果、その後のPRIDEでのエースぶりを伺わせる吉田秀彦の勝負師としての強さ、精神力、地力などが光り、勝って当たり前という宿命を背負った吉田秀彦の覚悟もよく見えました。
しかし、吉田本人も吉田陣営もかなり焦った展開だったんではないかと思います。
 
実現までの過程や結果が与えた“ショック”。
両選手の“覚悟”。
勝負のギリギリの“紙一重感”。
裸の田村と道着の吉田が対峙した“決闘感”
田村潔司の“孤独感”。
 
この一戦は、そういった要素がすべてリング上で表現された、じつにシビれる「異種格闘技戦」だったと思います。
 
 
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