今週のお題…………「大晦日と格闘技」
文◎ターザン山本(元『週刊プロレス』編集長)………金曜日担当
大晦日と格闘技? また面倒臭いテーマだなあ。大晦日とはそもそも何なのか? ハイ、その答えは簡単。ひと言でいうとそれは「大晦日教」なのだ。
日本には明確な形での宗教はない。宗教は罪と救済の二本立てで成り立っている。日本人に罪とか救済の概念なんかあるわけがない。あるのはただ一つ。死んだら終わりじゃんという考え方だよ。どうせ死ぬんだから罪も救済も関係ありません。必要ありません。本音の部分はそうだよな。その証拠に大晦日によってこの1年をなかったことにしようとする。何もかもね。全部、あらゆることをチャラにするのだ。しかもそれを全員一致、満票でね。それを称して日本人の「大晦日教」と名付ける。大晦日教、バンザーイだあああああ。
「紅白歌合戦」がまさにそのための儀式、イベント、祭りだよ。歌謡、芸能の力を借りてね。チョチョイのチョイ。そのことで1年間の穢れや汚れが綺麗に水に流される。真っさらになって新しい年を迎えられるというわけだ。まるで巧妙なトリック。なんて日本人はいい加減で無責任な民族なんだよ。あきれる。大晦日教のバイブルがまさか紅白歌合戦とはねえ。
その大晦日教に待ったをかけたのが格闘技における真剣勝負の世界だった。それは歌謡芸能とは真逆の存在だ。その真剣勝負という神聖な世界に触れることで日本人の心はなぜか浄化される。紅白歌合戦が軟派のバイブルなら格闘技は硬派のバイブル。絶対にバイブルは二つあった方がいい。実際、大晦日ではそれが東西の両横綱的な形で主役になった。
ところでここからは私の自慢話。大晦日に格闘技をやったらいいんじゃないかと最初の言い出しっぺはこの私なのだ。今は廃刊になった『週刊ファイト』。そこでPRIDEの森下社長をインタビューした時、そのアイデアを提案。森下社長はそんなこと出来っこないよという顏をした。ところが2000年12月31日、大阪城ホールでイノキボンバイエとして実現。さらに百八の闘魂ビンタも私のアイデアなのだ。大晦日の格闘技の興行に関してはあれは私の特許なのだあああああ。と勝手に解釈している。
問題はそんなことより打倒・紅白歌合戦が至上命令だったはずなのに格闘界は一致団結出来なかったことだ。むしろ分裂。三派に分かれて自滅。なんてバカなことをしてくれたものだ。最悪。せっかく大晦日教で硬派のバイブルだったのにね。今年、やっとそれが復活。どうなるんだろう。まあ、高みの見物をするしかないか。押忍!
コメント
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(ID:957512)
宗教論の部分は単純に事実誤認が多いですね。