今週のお題…………「巌流島・再始動に期待すること」

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文◎山口日昇(元『紙のプロレス』編集長/現『大武道』編集長)………火曜日担当


 
全国3千万人の『厳流島』ファンの皆さま、こんにちは。
山口日昇という者です。
 
ボクが「巌流島・再始動に期待すること」は、サダちゃんの "復活"です。
"サダちゃん"というのは、元K-1プロデューサー、現『厳流島』広報部長の谷川貞治氏のことです。彼のアダ名が"サダハルンバ"だから、そう呼んでいます。決して貞治の"貞"に"ちゃん"を付けた意味で"貞ちゃん"と呼んでるわけではなく、"サダハルンバ"の"サダ"に"ちゃん"を付けて"サダちゃん"と呼んでいるわけです。
 
ま、そんなことは心の底からどうでもいいんですが、では、サダちゃんの"復活"とは何か? 
それは過去の格闘技シーンの焼き直しをやってそこそこうまくいくとか、失ったものを取り戻すとか、かつてのK-1やPRIDEにより近いコンテンツをつくるとか、決してそういうことでありません。
 
つまり、ボクはサダちゃんに新しいものをつくってほしいのです。
でも、この「新しいもの」というのもじつに曲者で、世の中には「まったく新しい●●」とか「これまでとはまったく違う新しい●●」なんかが溢れかえっています。得てして、恥ずかしげもなく声高にそう叫んだもののなかに「新しいもの」なんてほとんどありません。
だからサダちゃんには、大上段に構えて「新しいものをつくります!」なんて宣言しなくても伝わる「新しいとはこういうことさ」というものをわかりやすく提示してほしいと思っています。
そして『巌流島』には、それを提示できる根っこがあると思っています。
その根っこが"武道"です。
 
じつはボクは『巌流島』の第1回を生で観に行かなかったんですが、それは「谷川貞治は成功体験に縛られて、やってることは過去の劣化版」だの「谷川貞治はニ匹目のどじょうを狙っていて、テレビ局との関係を第一に考えている。懲りもせず、またテレビ局頼りだ」な~んて話しか入ってこなくて、"ああ、サダちゃんはまだ亡霊を追っているのかぁ"と噂を勝手に鵜呑みにしてしまったからでした。
 
でも人生、やっぱり実際に観たり聞いたりしてみないとわからないもんですね。
第1回大会の映像を観たり、第2回の両国大会に、とある選手を出すお手伝いとかをしているうちに、サダちゃんともいろいろ突っ込んだ話もするようになって、"新しい格闘文化""これまでにない格闘技シーン"をつくっていこうとすることへのサダちゃんの本気度がボクにも伝わってきました。
両国大会2日前にフジテレビのCS放送が理由不明のまま中止と発表されたときも、「これをチャンスに変えるしかないよぉ」と落ち込む間もなく大会開催に向かって前進し、決して「テレビ局への依存」ということに縛られているわけではないこともわかりました。
 
ちなみにボクはいま、格闘技としてもエンターテインメントとしても、大相撲をとても面白く感じています。
昔、作家の村松友視さんは、プロレスのことを"他に比類なきジャンル"と称しましたが、大相撲は「競技」であり「興行」であり、なおかつ「神事」であるという奇跡の三位一体を見せる、まさに"世界に例を見ないジャンル"です。
例えば日本のプロレスがWWEに追随していくよりも、日本の総合格闘技がUFCに対抗していくよりも、大相撲をそのまま輸出・展開していったほうが、"日本発の格闘文化"として世界に届き切るんじゃないかとさえ思います。
大相撲の世界観は地球上のどの人々にとっても十分神秘的で魅力的だし、ルールもわかりやすいから競技としても普及しやすいと思います。 
 
大相撲を観ていると、まさに"灯台もと暗し"という言葉が浮かびます。
相撲だけではなくて、日本の格闘文化には、まだまだ面白いものがたくさんあるはずです。
そして、日本には"武道"という概念があります。
また、その"武道"には、歴史と思想と哲学が埋め込まれています。
 
最強を追い求めることだけが格闘技ではないし、競技として判定で勝つことだけが格闘技でもない。刹那を売りにすることだけが格闘技ではないし、刺激を重ねていくことだけが格闘技でもない。ましてや大晦日にやることだけが格闘技ではない。
 
やっても観ても面白い競技という土台の上に、武道の思想や哲学、歴史感やスケール感を埋め込んでいけば、本当の意味で世界に"日本発の格闘コンテンツ"を根付かせていくチャンスが広がるんじゃないでしょうか。
そのきっかけをつくる役割を、ボクは『巌流島』に期待します。
 
いまからそれをつくっていくのは途方もないことなのかもしれないけど、それを真剣にやって初めて、新たな格闘文化を芽生えさせることになるんだと思います。
 
じつはボクも来年から始動させていきたいプロジェクトというかコンテンツがあるんですが、サダちゃんと話していて、偶然にも『巌流島』とは、"武道"というキーワードでヘソの緒が繋がっているなぁということも感じました。
やっぱりボクもこれからのキーワードは"武道"だと思います。
 
あれだけ一世を風靡したUWFも前K-1もPRIDEも、いまはありません。
そういったプロレスや格闘技の紆余曲折を通過して、我々も時代も、ようやく"武道"という"道"の入り口に立てたんだと思います。
 
じゃあ"武道"とは何か? "道"とは何か?
それを考えたり提示していくために、今度サダちゃんと一緒に『大武道!』という本も出すことになりました。
カバー付きの単行本仕様(A5版)なので雑誌ではないんですが、定期的に発行していきたいと思っています。
編集長1号がサダちゃんで、編集長2号がボク。
W責任編集という体制で、"武道"という概念を通して世の中のあらゆる事象にアクセスしていきながら、「"武道"とは何か?」を探っていく媒体にしたいと思っています。
 
あ、ここまで書いちゃったから、もう少し本のことを書きますね。
 
今回の特集は「"恥"を知る!~現代にとっての恥とは何か!?~」。
"武士道"という概念もまた"武道"にとっては切っても切り離せない大事な概念だと思いますが、その概念を世界に広めたのが新渡戸稲造の『武士道』という本です。
100年以上前に書かれたこの『武士道』には、「武士の最上級の徳目は"名誉"である」と書かれています。
"名誉"という概念は教条的・教育的に語られることも多いですが、その"名誉"と対になるはずの"恥"という概念についてはこれまであまり語られてきませんでした。
 
サダちゃんもK-1をあーしたりこーしたりしてこうなってますし、ボクもハッスルをあーしたりこーしたりしてこうなってしまった社会的にはじつに恥ずかしい人間ではあるんですが、その恥ずかしい2人が、いろんな人に「闘う者にとっての "恥"とは何か?」を聞きに行きました。
久しぶりにメディアに出てくる数見肇さん、ヒクソン戦から15年経った船木誠勝選手、骨法のバーリ・トゥードでの惨敗から約20年・堀辺正史師範、生き恥を晒し続ける達人・ターザン山本さん。
その他にも旭道山さん、デヴィ夫人、『女子の武士道』の著者・石川真理子さん、"日本一のニート"Phaさん、"炎上プロブロガー"イケダハヤトさんにもご登場いただき、贅沢にもなぜだか田原総一朗さんと鈴木邦男さんの対談まであるという、じつにバラエティに富んだ顔ぶれで「"恥"とは何か?」を考えていきます。

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それから、『巌流島』両国大会には "合気の達人""古流武術の達人"という触れ込みで60歳の渡邉剛さんが出場し大きな話題を呼びましたが、「TATSUJIN~はたして達人はこの世にいるのか!?~」という第二特集も組みました。RIZINじゃなくて、TATSUJINです。
甲野善紀さん、山田"ザンス"英司さん、平直行さんに、それぞれの"達人"の概念を語ってもらっています。
そしてサダちゃんと両国大会で6年半ぶりに復帰戦を行った田村潔司選手には、「大晦日格闘技と『巌流島』」というテーマで、これからの格闘技界のこと、『巌流島』のことを存分に語ってもらっています。
藤波辰爾さんの『どうせ住むならこんな城』、安西伸一さんの『週プロ&格通 留魂録』、更級四郎さんの『日本史レスラー千一夜』などの連載陣もあります。
 
12月10日ごろから全国書店に順次並んで行きますので、"武道"なんてものにはまったく触ったことがない格闘技ファンやプロレスファンの方もぜひ一緒に"武道"という概念を考えてみてください。出版元は東邦出版さんです。
 
いや、すみません。すっかり本の宣伝になってしまいました。
でもね、手前味噌にもほどがありますけど、面白いですよ、これ。
 
そういえば、現在は柳生新眼流という武術の門を叩いている元祖総合格闘家の平直行さんがこんなことを言ってました。
「武術は戦(いくさ)の時代のものなので、もともとが命の取り合いであり殺し合い」
「武道は一度負けても"蘇る"ことで再び闘える」
つまり武術は"死を知ること"で、武道は"生き抜くこと"とも言えるかもしれません。
でも武術こそ"生き抜くこと"で、武道こそ"死を知ること"。武術と武道は合わせ鏡のようになっているとも言えるかもしれません。
 
そういうわけで、"武道"という概念をキーワードにした以上、サダちゃんには生き抜いてほしいし、ボクも生き抜きます。
今後ともよろしくお願いいたします。
 
では、また来週!