アニメだけじゃなく、邦画でもコメディとして成功したものはほとんどないよ。
逆にいえば、三谷幸喜とか、宮藤官九郎とか、一握りの脚本家が、かなり万全の体制をとった時にだけ、“映像のコメディ”が成功するわけだよね。
「笑わせる」ということをやる場合、漫画は割と得意なんだけど、小説になると難しくなる。
で、これが映像になると、本当にシンドいんだよ。
特にアニメは、実写映画みたいなキャラの魅力や、ちょっとした味がすごく出にくいんだよね。
■アニメがニガテとする表現
今までも何度か話してるんだけど、アニメには表現するのが難しいものがいくつかあるんだ。
その一つが、“質感”。
「これが布なのか、もしくはプラスティックなのか?」をアニメで表現するためには、表面にシワを描き込むことしかできない。
実写だったら、実際にカメラに映る“物の動き”だけでシワの変化が表現できるんだ。
「服の袖にシワが生まれる。そしてシワがなくなる」、そういった照り返しとか微妙な光の当たり具合で、質感を簡単に伝えることが出来る。
でも、それをアニメーションでやるのは難しい。
技術的な意味ではもちろん、表現としてそもそも向いていないんだ。
例えば、『ベイマックス』みたいなCGアニメでこういった質感を正確に表現しても、ウザいだけなんだよね。
技術的にそれが可能である高度3DCGアニメですら、あえて質感は減らして、金属、布、ビニールのような代表的な質感を画面上で見せるだけに留めている。
■アニメーションは"引き算の芸術"
何故かと言うと、アニメーションは"引き算の芸術"であって、実写のように足し算ではないからなんだ。
では、実写映像における足し算とは何か?
布があって、人間がそれを着ていて、雨が降ってそれが濡れて、染みが生まれる。
すべてのストラクチャーに対して、足し算で重層的に“画”を作れる。
でもアニメでそれをやっても、あまり意味がない。
要するに、"引き算の芸術"は「何を書かないのか」によって、表現していくんだ。
『ブルース・ブラザーズ』という俺の好きなコメディがある。
ジョン・ベルーシやダン・エイクロイドの顔つきとか、立ち振る舞いの可笑しさが、だんだん面白くなってくるんだ。
だけど、そういう微妙な可笑しさは、足し算によって重層的に表現されるもので、実写映画特有の面白さなんだ。
あれをアニメでやろうと思ったら、「極端なプロポーションのヤツが、ちょっと格好つけたジョジョ立ちみたいな感じ」でやるしかない。
それはそれで格好よくはなるけど、可笑しくはなりにくいんだよ。
■アニメはお笑いをやるのは不得意
つまり、そういった可笑しさを表現するお笑いをアニメでやるのは不利なんだ。
もちろん、「アニメでお笑いができないか?」というと、そうじゃない。
俺、『はれときどきぶた』ってアニメが好きで、あれはすごくいいコメディだと思ってるよ。
あと、『彼氏彼女の事情』も、かなり笑える構造となってると思う。
なので、無理じゃないんだけど、もともと不得意は不得意なジャンルなんだ。
一方で、アニメにも得意なジャンルはある。
いわゆるファンタジー系みたいな、手からエフェクトが出たり、魔法的な力で周囲の色がサッと変わるような表現を多用するようなジャンルだね。
これは実写で表現するには向いてない。
実写で“魔女っ子もの”が作られなくなった理由は何か?
アニメでは当たり前のように使われる、「背景の色が一瞬にして変わる」とか、「ピンク一色になって視点が回り込む」みたいな表現。
これを実写でやると、あまりにも“ウソっぽさ”が出ちゃうんだ。
だから、魔女っ子ものって、本当に実写に向いてないんだよ。
(次号へ続く)
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