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岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の解決!ズバっと 2015/06/12
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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。

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「絵コンテ:富野由悠季」
キーマニアさん/46歳/零細企業の従業員

 アニメ『赤毛のアン』のエンディングで「絵コンテ:富野由悠季」と表記されていました。
 この作品には宮崎駿監督も参加していました。
 当時、富野監督と宮崎監督はどのような関係にあったのでしょうか?

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(前号からの続き)

 虫プロを離れフリーになった富野さんは、「早くてそつのない絵コンテを切る」と評判になった。
 そして、『赤毛のアン』の製作に参加した。

 でも、赤毛のアンの演出をしたのは宮崎駿じゃなくて“高畑勲”さんだよね。
 

■富野青年が抱えたコンプレックス

 富野さんにとって、高畑さんはライバルであり、憧れの的だったんだ。
 そんな高畑監督が演出した作品に参加して「何かを得たい」と思った。

 でも、富野さんの書いた絵コンテは、高畑監督から徹底的に直されたんだ。
 それで、プライドをすごく傷つけられたんだよ。

「いずれは自分も、宮崎監督と高畑監督コンビの『未来少年コナン』のようなアニメを作りたい!」
 そんなコンプレックスがずっとあったのにね。


■宮崎・高畑へのライバル心で作り上げられたガンダム

 富野さんが『機動戦士ガンダム』を作ったとき、“安彦良和”という超天才のアニメーターが作画を監督することになった。
 彼の力を借りることで、ロボットアニメでありながら、日常の演技を押さえたアニメ作品の完成が見えた。
 そこでようやく「俺も追いつける!」と思ったんだ。

 でも、途中で安彦さんが病気で倒れて、ダメになっちゃった。

 その後、富野さんは後期ガンダムシリーズの『∀ガンダム』という作品で、まるで高畑監督みたいなアニメをようやく作れたんだ。

 富野さんにしてみれば、30年ぶりに自分の思いを遂げた瞬間が来たんだよね。
 彼は終わった作品をあんまり褒めない人なんだけど、∀ガンダムについては楽しそうに語ってたよ。


 質問文の「この当時、富野監督と宮崎監督がどんな関係にあったのでしょうか?」だけど、富野監督と宮崎監督はあまり関係ないと思う。
 むしろ関係があるのは高畑監督と富野監督だよね。

 赤毛のアンの高畑監督には「虫プロの人は、絵コンテを描いてくれるのが早いね」と言われた。
 でも、全面的に書き直しをされちゃう。

 そんな関係だったということです。


【まとめ】 
 当時、富野監督と関係があったのは宮崎監督より、ライバルで憧れの高畑監督です。
 富野監督は『赤毛のアン』で絵コンテを書いていたが、高畑監督に徹底的に直される。
 そんな関係でした。