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岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の解決!ズバっと 2015/06/11
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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。

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「絵コンテ:富野由悠季」(前編)
キーマニアさん/46歳/零細企業の従業員

 アニメ『赤毛のアン』のエンディングで「絵コンテ:富野由悠季」と表記されていました。
 この作品には宮崎駿監督も参加していました。
 当時、富野監督と宮崎監督はどのような関係にあったのでしょうか?

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 富野さんは『鉄腕アトム』が大ヒットしたあと、虫プロを離れてフリーになったんだ。
 フリーっていうのは、「どの会社の仕事も受ける」ってこと。
 
 絵コンテの仕事だけで食べていく"絵コンテマン"になったんだ。
 絵コンテとは、アニメのシナリオが出来た時に作る設計図みたいなもの。
 それがけっこう手間がかかるんだよね。
 
 でも、富野さんの絵コンテは「早くて、そつがない」って評判だったんだ。


■劣悪スケジュールの虫プロにいた富野青年

 「コンテが早い」のには理由があったんだ。
 富野さんは虫プロ出身で、劣悪なスケジュールで働くのに慣れてたから。

 虫プロは、手塚治虫からシナリオのOKが出るのが遅くてさ。
 そのせいでオンエアまで余裕がなくて、絵コンテにかける時間がほとんどなかった。
 仕事を頼まれたら2,3日で上げなきゃいけない。
 だから、富野さんの絵コンテは早かったんだ。

 じゃあ、「そつがない」のは何故か?
 虫プロは漫画家・手塚治虫に憧れた人たちが集まった”梁山泊”みたいな所だったんだ。
 だから、ちゃんした会社に就職しようとした人や、絵の勉強をした人はあまり入ってこなかった。

 もちろん、結果的に絵が上手い人はいたよ。
 だけど、当時は絵が下手な人でも虫プロに入れた。
 だから、アニメーターごとに絵やスケジュールのバラつきがめちゃくちゃ多い。

 そんな場所で、富野さんは『鉄腕アトム』を何本も作らないといけなかった。


■「早くて、そつがない」富野さんの絵コンテ術とは?
 
 例えば、「アトムが空を飛んで敵を追いかける」カットの絵コンテを切る場合。

1.立っているアトム
2.「許さないぞ!」のセリフとともに体制を屈ませる
3.「行くぞ!」と言ってジャンプする
4.足からロケットが噴射して飛んで行く

 普通だったら、こうやって細かく割って描写するんだ。

 でも、富野さんが割ったカットではこうなるんだ。

1.「許さないぞ!」と言う
2.空を飛んでいるアトム

 飛ぶ前に1回しゃがんだ方が、動きがあるから重量感がでる。
 だけど、飛んで行く時の加速の表現が問題になって書くのが難しい。

 でも、富野さんの絵コンテなら「許せない、行くぞ!」のセリフのあとでセルを1枚書くだけ。
 そして、動く方向に背景を引っ張ればいい。
 だから、作画的にとても楽なんだ。


 そんな「早くて、そつのない」コンテがとても上手い。
 それでいて、お話のクオリティはあまり変わらない。

 だから、「困ったら富野にやらせればいい」という評判が業界にはあった。
 でも、同時に「微妙な心情表現までカットされる」「安物の絵にされてしまう」という批判もあったんだよ。

(次号へ続く)


【まとめ】
 当時の富野青年はフリーの絵コンテマンで、「早くて、そつがない」絵コンテ作りで評判でした。
 しかし、同時に「安物の絵にしてしまう」という批判もありました。