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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。
「絵コンテ:富野由悠季」(前編)
アニメ『赤毛のアン』のエンディングで「絵コンテ:富野由悠季」と表記されていました。
当時、富野監督と宮崎監督はどのような関係にあったのでしょうか?
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富野さんは『鉄腕アトム』が大ヒットしたあと、虫プロを離れてフリーになったんだ。
フリーっていうのは、「どの会社の仕事も受ける」ってこと。
それがけっこう手間がかかるんだよね。
でも、富野さんの絵コンテは「早くて、そつがない」って評判だったんだ。
「コンテが早い」のには理由があったんだ。
虫プロは、手塚治虫からシナリオのOKが出るのが遅くてさ。
そのせいでオンエアまで余裕がなくて、絵コンテにかける時間がほとんどなかった。
だから、富野さんの絵コンテは早かったんだ。
だから、ちゃんした会社に就職しようとした人や、絵の勉強をした人はあまり入ってこなかった。
だけど、当時は絵が下手な人でも虫プロに入れた。
そんな場所で、富野さんは『鉄腕アトム』を何本も作らないといけなかった。
例えば、「アトムが空を飛んで敵を追いかける」カットの絵コンテを切る場合。
1.立っているアトム
2.「許さないぞ!」のセリフとともに体制を屈ませる
3.「行くぞ!」と言ってジャンプする
4.足からロケットが噴射して飛んで行く
普通だったら、こうやって細かく割って描写するんだ。
でも、富野さんが割ったカットではこうなるんだ。
1.「許さないぞ!」と言う
2.空を飛んでいるアトム
だけど、飛んで行く時の加速の表現が問題になって書くのが難しい。
そして、動く方向に背景を引っ張ればいい。
だから、作画的にとても楽なんだ。
そんな「早くて、そつのない」コンテがとても上手い。
それでいて、お話のクオリティはあまり変わらない。
(次号へ続く)
当時の富野青年はフリーの絵コンテマンで、「早くて、そつがない」絵コンテ作りで評判でした。
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