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今回は、ニコ生ゼミ6月2日分(#284)から、ハイライトをお届けいたします。
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「【大人が楽しむゴジラ映画 その1 】 怪獣映画の概論」
それでは、ようやっと『ゴジラ』の話に行きましょうか。
っちゃいますけども。
まずは、怪獣映画の概論というのをやってみたいと思います。
赤い字がゴジラ映画なんですけども。
1954年に『ゴジラ』が公開されてから、1975年に『メカゴジラの逆襲』が終わるまで、これが “怪獣ブーム” というやつです。
たとえば、『ガンダム』も、萌え美少女も、ロボットアニメも、ここまで集中的に長い間、子供文化全体に影響を与えたことはなかったんですね。
唯一、近い存在はゲームかもわかりません。
ゲーセンの筐体からファミコンなどの家庭用ゲーム機、あとは携帯ゲーム、スマホアプリという形で、ゲーム全般で考えれば、怪獣ブーム以上、子供文化を引っ張ってるんですけど。
しかし、ゲームっていうのは “ジャンル” なんですね。
それに対して、怪獣ブームというのは1つの “作品群” なんですよ。
そういった作品群が、20年以上も子供文化の本当にど真ん中にあって、ずーっと熱量を持って引っ張っていたというのは、本当に古今東西未曾有の状態だったわけですね。
いわゆる、織田信長とか家康を語る時には「戦国時代というのがあった」というのを押さえるのと同じようなものですね。
しかし、その巨大な帝国も徐々に滅びていって、ロボットアニメとか仮面ライダー、スポーツ漫画などに攻められ、ついには滅びてしまうわけですね。
でも、そういった『マジンガーZ』などの巨大ロボットも、実は、怪獣帝国の遺跡の上に建てられたものなんですよ。
『UFOロボグレンダイザー』とか、『コン・バトラーV』とかは、もっと酷かったと思うんですけど。
叫び声を上げて出てくるし、もう「ロボット」とは名ばかりで、撮り方にしても登場の仕方にしても実際の戦闘方法にしても、実は怪獣モノというジャンルを、単にアニメに置き換えて、モダンなマシンにお化粧直ししただけなんですね。
いや、今ではそれが当たり前なんですけども。
それまでずっと敵のロボットは、登場する時に叫び声をあげてたんです。
『ゲッターロボ』に出てくる敵ロボットなんて、「ゲッタートマホーク!」って胴体を真っ二つに割ったら、中から血が出てきて内蔵が飛び出すわけですよ。
そういった機械の間にあるのはなんか太めのケーブルで「これ、どう見てもこれ内蔵じゃん」というやつで繋がっているわけで。
もう本当に、怪獣モノの描き方でロボットモノというのは描かれていたわけなんです。
実際には、そうではなくて「アニメで描いた方が自由度が高かったから」なんですね。
これは、後ほど話しますけど、実は、怪獣映画にも、いわゆる『ウルトラマン』などのTVシリーズにしても、致命的な欠陥があって、子供達が楽しく見るには適さない部分があったんですよ。
そんな中、アニメーションというのは、それを軽々と超える事ができた。
そのおかげで、怪獣ブームというのはロボットブームに上手く移行できたわけです。
怪獣映画という帝国は滅んだんですけど、その遺跡の上に建てられた新しい文化、『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』というのは、今のライダーや戦隊モノ、あとは『トクサツガガガ』として、その子孫が今日も発展しています。
まるで「恐竜は滅びたけれど、鳥類になって生き延びた」ような感じなんですね。
それが『ゴジラの逆襲』です。
これ、あまりにも慌てて作ったから、予告編すら存在しないんですね。
とにかく、出来たらすぐ劇場にかけた。それくらいゴジラがヒットしたんですよ。
急ピッチでですね、撮影、公開しました。
まあ、『ゴジラ』があまりにもヒットしたので、周りの同業者から、もう、やっかみとか羨みで「またあんな変なの書いてるのかい?」とか、「おやおや、君はまた、あんなオバケの話を書くのかい?」というふうに言われて、すごくヘコんでしまった。
あとは、もう来る取材、来る取材、「次はどんな『ゴジラ』ですか?」というふうに聞かれて拗ねてしまった。
その結果、「もう『ガンダム』は作りません!」と言った富野由悠季と全く同じように、「もう『ゴジラ』は書きません!」と言うことになりました。
困ったのは、第3作目を作ろうとしていた東宝です。
なんせ、メチャクチャヒットしてたから。
その結果、『空の大怪獣ラドン』というのは、そこから1年半も掛かってしまいました。
『ゴジラ』から『ゴジラの逆襲』って5ヶ月しか空いてないんですけど、次の『ラドン』では、1年半も掛かっちゃったのは、原作者を確保できなかったからなんですね。
『モスラ対ゴジラ』、『宇宙怪獣ドゴラ』、『三大怪獣地球最大の決戦』この辺りから、ブームが本格的になってきました。
『ドゴラ』というのは、「もう着ぐるみの怪獣をやめよう! 全部、水槽の中で撮影したクラゲみたいな宇宙怪獣を出そう!」という、大人向けの作品として作られたんですけど、これは大失敗しました。
まあ、あんまり客も入らないといっても、当時「怪獣映画」と言ったらなんでも客が来た時代なので、映画全体で見れば、そこそこ当たってはいるんですけどね。
ここがもう、ターニングポイントだったんですよ。
「 “怖い怪獣” でなければいけなかったはずのゴジラを、もう正義の側にしちゃおう!」というのは、「それまで共和制だったローマを、独裁者カエサルを中心とした皇帝制度にしちゃおう!」というのと同じことなんです。
やってみたら、案外、それがローマを長続きさせることになった。
それと同じく、この「ゴジラを正義の味方にしちゃう」っていうのは、やってはいけない一手、大人向けの怪獣映画という立場を完全に放棄することになったんですけども、その代りに、怪獣ブームをより強く燃やすことになりました。
まあ、本来はやってはいけないんだけど、これが当たっちゃったということなんですね。
1964年というのは、本当に不思議な1年でした。
この1964年について「オリンピック以外に何があったのか?」というのを研究するだけで、たぶん、絶対面白いノンフィクションになると思うので、誰か書いてください。
それくらい、高度経済成長と怪獣ブームというのは結びついています。
それが『大怪獣ガメラ』です。
なぜ、この時代の怪獣映画なのに、1匹しか出ないしモノクロなのかというと、実は期待されてない映画だったんですね。
そんなふうに喧嘩しながら制作した映画が『大怪獣ガメラ』なんですね。
この作品、制作中は現場でも顰蹙もので、「ついにウチも怪獣映画なんかやるようになっちまったのか。しかも、亀かよ!」なんて言われてたんですけど。
いざ、前売り券を売り出したら、これがメチャクチャ売れて、公開後には大ヒットになってしまったんですね。
内側には “キリスト教” というのを自分たちの国教にしてしまうということが、逆に首を締めることになったんですね。
飛び上がって、シェーをしてしまった。
「これで子供らも喜ぶだろう」と思ったんですけど。
こんなふうに、子供に愛されよう好かれようとして、徐々に徐々に「馬鹿らしいな」と思われて見放されるようになってしまった。
ガメラも2作目で、ついにカラー化です。それも、1作目は76分しかないのに、2作目はいきなり2時間という大怪獣対決モノです。
そして、7月にテレビのカラー放送で『ウルトラマン』と『マグマ大使』がほぼ同時に始まるという、もう、子供にとっては “ 1日中 怪獣漬け ” という環境がとうとうやってきちゃったんですね。
『ウルトラマン』『マグマ大使』は、大人気のまま続いています。
3月に、ご家族向けの文芸映画で有名だった松竹映画が、『宇宙怪獣ギララ』を作り、大映はですね『ガメラ対ギャオス』を作り、4月には純文学を映画化するはずの日活が『大怪獣ガッパ』という映画まで作ってしまいます。
7月に、東宝は『キングコングの逆襲』、10月に『ウルトラマン』が終わった次に『ウルトラセブン』がテレビで始まり、12月には『ゴジラの息子』。
『ギララ』とか『ガッパ』も、続編を作るほどにはヒットしなかったんですね。
それぞれの映画会社が「じゃあ、うちも怪獣、怪獣」というふうに乗り出してきたはいいものの、もう、その頃には「何を出しても当たる」という時代ではなくなってきてたんですね。
『ガメラ対ギャオス』は『バルコン』の半分。
『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』は『ギャオス』の半分。
『ガメラ対大悪獣ギロン』は『バイラス』の半分というふうに。
なんか、倍々ゲームじゃなくて、半分半分ゲームで、ガメラシリーズは続けられですね。
これ、後に、ガメラシリーズの湯浅監督は「そんなに予算を下げられたら、作れるはずがない!
……おや? 作れてしまった。という状況を、自分でも面白がってしまったのがいけなかった」と言ってるんですけども。
これは “第2次怪獣ブーム” というふうに言われたんですけども。
なぜか?
なんで第2次怪獣ブームっていうのは、そんなに爆発せずに『仮面ライダー』に持ってかれたのか?
これ、さっき少し話した「怪獣映画というものが持っている根本的な欠陥」に関係しているんですけども、みんなわかるかな?
ちょっとコメントを見てみようかな?
怪獣モノが持っている根本的な欠陥。
(コメント)「予算?」
予算じゃないんですよ。
『ゴジラの逆襲』で、ゴジラとアンギラスは格闘をやったんですけど、これは「アンギラスが飛びついて噛み付いて、ゴジラがそれを振り払う」というのの連続だったんですね。
なぜかと言うと、怪獣って着ぐるみだから、腕の長さが短いんですよ。
だから、基本的に取っ組み合いが出来ないんですね。
『キングコング対ゴジラ』では、コングとゴジラは、お互いに離れたところから声を出して、岩を投げ合うんですよ。
ほとんどは、岩投げ合ったりとか、そんなシーンばっかりなんです。
そのまま、キングギドラが初登場する『三大怪獣』でも、ゴジラとキングギドラの戦い方っていうのは岩を投げ合うことでした。
まあ、しっぽで岩を弾いたりもしてるんですけど。
昭和のゴジラ映画って、ゴジラの戦闘シーンがダサいというかカッコ悪い。
絵にならないんですね。
なぜ、東宝がフランケンシュタインの怪獣というのにスライドさせたがっていたのかと言うと、この根本的な欠陥に気がついていて、なんとか怪獣に取っ組み合いさせるために、人間的なプロポーションの怪獣を出そうとしたからなんですよ。
もちろん、怪獣も真似出来たんですけど、怪獣の真似をする時には、みんな「ゆっくり動いて、砂場の砂の建物を踏む」みたいな、地味な遊びになるんです。
それに対して、『仮面ライダー』って、もう、敵とか味方とかに別れてアクションするだけですから、子供達が休み時間にパパパっと遊べるくらい、スピーディーで早いんですね。
そして、これが『帰ってきたウルトラマン』と『仮面ライダー』の人気の差になっちゃったわけですね。
「なんで怪獣映画が滅ぼびたか、自分で作ってみてようやっとわかりました。ガメラはリーチが短い。ギャオスと格闘できないんです。だから、もう俺がやっているのは、カットを切り替えて怪獣同士が格闘してるように誤魔化すのの連続なんですよ」って。
「こんなの子供が真似しても楽しくない」というふうに語っていました。
で、『宇宙戦艦ヤマト』って、そのわずか2年後の1974年なんです。
そして、『機動戦士ガンダム』というのが1979年なんですよ。
アニメって、ものすごく進化が速かったんですよね。
怪獣映画というのは、この進化の速さについていけなかったんですね。
まさに「巨大だけどノロマな恐竜と、身体は小さいけど敏捷な哺乳類の差」になってしまったんですね。
…まあ、『宇宙戦艦ヤマト』も、中盤に “宇宙怪獣バラノドン” というのが出てきて、怪獣映画の残り香がちょっとだけ入っているんですけども。
酷すぎて逆に面白いというか、酷すぎて、いまだに僕は年に1回は必ず見るという作品になってるんですけど(笑)。
まあ、持ち直したといっても、『メガロ』や『ガイガン』に比べて持ち直しただけで「全盛期の怪獣映画に比べて」という意味ではありません。
でも、持ち直して終われたのが、最後の慰めになっているとは思います。
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