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「【大人が楽しむゴジラ映画 その1 】 怪獣映画の概論」
それでは、ようやっと『ゴジラ』の話に行きましょうか。
まずは、怪獣映画の概論というのをやってみたいと思います。
1954年に『ゴジラ』が公開されてから、1975年に『メカゴジラの逆襲』が終わるまで、これが “怪獣ブーム” というやつです。
たとえば、『ガンダム』も、萌え美少女も、ロボットアニメも、ここまで集中的に長い間、子供文化全体に影響を与えたことはなかったんですね。
唯一、近い存在はゲームかもわかりません。
ゲーセンの筐体からファミコンなどの家庭用ゲーム機、あとは携帯ゲーム、スマホアプリという形で、ゲーム全般で考えれば、怪獣ブーム以上、子供文化を引っ張ってるんですけど。
しかし、ゲームっていうのは “ジャンル” なんですね。
それに対して、怪獣ブームというのは1つの “作品群” なんですよ。
そういった作品群が、20年以上も子供文化の本当にど真ん中にあって、ずーっと熱量を持って引っ張っていたというのは、本当に古今東西未曾有の状態だったわけですね。
しかし、その巨大な帝国も徐々に滅びていって、ロボットアニメとか仮面ライダー、スポーツ漫画などに攻められ、ついには滅びてしまうわけですね。
でも、そういった『マジンガーZ』などの巨大ロボットも、実は、怪獣帝国の遺跡の上に建てられたものなんですよ。
叫び声を上げて出てくるし、もう「ロボット」とは名ばかりで、撮り方にしても登場の仕方にしても実際の戦闘方法にしても、実は怪獣モノというジャンルを、単にアニメに置き換えて、モダンなマシンにお化粧直ししただけなんですね。
『ゲッターロボ』に出てくる敵ロボットなんて、「ゲッタートマホーク!」って胴体を真っ二つに割ったら、中から血が出てきて内蔵が飛び出すわけですよ。
もう本当に、怪獣モノの描き方でロボットモノというのは描かれていたわけなんです。
これは、後ほど話しますけど、実は、怪獣映画にも、いわゆる『ウルトラマン』などのTVシリーズにしても、致命的な欠陥があって、子供達が楽しく見るには適さない部分があったんですよ。
そんな中、アニメーションというのは、それを軽々と超える事ができた。
そのおかげで、怪獣ブームというのはロボットブームに上手く移行できたわけです。
怪獣映画という帝国は滅んだんですけど、その遺跡の上に建てられた新しい文化、『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』というのは、今のライダーや戦隊モノ、あとは『トクサツガガガ』として、その子孫が今日も発展しています。
まるで「恐竜は滅びたけれど、鳥類になって生き延びた」ような感じなんですね。
これ、あまりにも慌てて作ったから、予告編すら存在しないんですね。
とにかく、出来たらすぐ劇場にかけた。それくらいゴジラがヒットしたんですよ。
急ピッチでですね、撮影、公開しました。
あとは、もう来る取材、来る取材、「次はどんな『ゴジラ』ですか?」というふうに聞かれて拗ねてしまった。
その結果、「もう『ガンダム』は作りません!」と言った富野由悠季と全く同じように、「もう『ゴジラ』は書きません!」と言うことになりました。
困ったのは、第3作目を作ろうとしていた東宝です。
なんせ、メチャクチャヒットしてたから。
その結果、『空の大怪獣ラドン』というのは、そこから1年半も掛かってしまいました。
『ゴジラ』から『ゴジラの逆襲』って5ヶ月しか空いてないんですけど、次の『ラドン』では、1年半も掛かっちゃったのは、原作者を確保できなかったからなんですね。
『モスラ対ゴジラ』、『宇宙怪獣ドゴラ』、『三大怪獣地球最大の決戦』この辺りから、ブームが本格的になってきました。
『ドゴラ』というのは、「もう着ぐるみの怪獣をやめよう! 全部、水槽の中で撮影したクラゲみたいな宇宙怪獣を出そう!」という、大人向けの作品として作られたんですけど、これは大失敗しました。
「 “怖い怪獣” でなければいけなかったはずのゴジラを、もう正義の側にしちゃおう!」というのは、「それまで共和制だったローマを、独裁者カエサルを中心とした皇帝制度にしちゃおう!」というのと同じことなんです。
それと同じく、この「ゴジラを正義の味方にしちゃう」っていうのは、やってはいけない一手、大人向けの怪獣映画という立場を完全に放棄することになったんですけども、その代りに、怪獣ブームをより強く燃やすことになりました。
まあ、本来はやってはいけないんだけど、これが当たっちゃったということなんですね。
1964年というのは、本当に不思議な1年でした。
この1964年について「オリンピック以外に何があったのか?」というのを研究するだけで、たぶん、絶対面白いノンフィクションになると思うので、誰か書いてください。
それくらい、高度経済成長と怪獣ブームというのは結びついています。
それが『大怪獣ガメラ』です。
なぜ、この時代の怪獣映画なのに、1匹しか出ないしモノクロなのかというと、実は期待されてない映画だったんですね。
そんなふうに喧嘩しながら制作した映画が『大怪獣ガメラ』なんですね。
この作品、制作中は現場でも顰蹙もので、「ついにウチも怪獣映画なんかやるようになっちまったのか。しかも、亀かよ!」なんて言われてたんですけど。
いざ、前売り券を売り出したら、これがメチャクチャ売れて、公開後には大ヒットになってしまったんですね。
ガメラも2作目で、ついにカラー化です。それも、1作目は76分しかないのに、2作目はいきなり2時間という大怪獣対決モノです。
そして、7月にテレビのカラー放送で『ウルトラマン』と『マグマ大使』がほぼ同時に始まるという、もう、子供にとっては “ 1日中 怪獣漬け ” という環境がとうとうやってきちゃったんですね。
『ウルトラマン』『マグマ大使』は、大人気のまま続いています。
3月に、ご家族向けの文芸映画で有名だった松竹映画が、『宇宙怪獣ギララ』を作り、大映はですね『ガメラ対ギャオス』を作り、4月には純文学を映画化するはずの日活が『大怪獣ガッパ』という映画まで作ってしまいます。
7月に、東宝は『キングコングの逆襲』、10月に『ウルトラマン』が終わった次に『ウルトラセブン』がテレビで始まり、12月には『ゴジラの息子』。
『ギララ』とか『ガッパ』も、続編を作るほどにはヒットしなかったんですね。
それぞれの映画会社が「じゃあ、うちも怪獣、怪獣」というふうに乗り出してきたはいいものの、もう、その頃には「何を出しても当たる」という時代ではなくなってきてたんですね。
『ガメラ対ギャオス』は『バルコン』の半分。
『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』は『ギャオス』の半分。
『ガメラ対大悪獣ギロン』は『バイラス』の半分というふうに。
なんか、倍々ゲームじゃなくて、半分半分ゲームで、ガメラシリーズは続けられですね。
これ、後に、ガメラシリーズの湯浅監督は「そんなに予算を下げられたら、作れるはずがない!
……おや? 作れてしまった。という状況を、自分でも面白がってしまったのがいけなかった」と言ってるんですけども。
これは “第2次怪獣ブーム” というふうに言われたんですけども。
なぜか?
なんで第2次怪獣ブームっていうのは、そんなに爆発せずに『仮面ライダー』に持ってかれたのか?
これ、さっき少し話した「怪獣映画というものが持っている根本的な欠陥」に関係しているんですけども、みんなわかるかな?
ちょっとコメントを見てみようかな?
怪獣モノが持っている根本的な欠陥。
(コメント)「予算?」
予算じゃないんですよ。
『ゴジラの逆襲』で、ゴジラとアンギラスは格闘をやったんですけど、これは「アンギラスが飛びついて噛み付いて、ゴジラがそれを振り払う」というのの連続だったんですね。
なぜかと言うと、怪獣って着ぐるみだから、腕の長さが短いんですよ。
だから、基本的に取っ組み合いが出来ないんですね。
『キングコング対ゴジラ』では、コングとゴジラは、お互いに離れたところから声を出して、岩を投げ合うんですよ。
そのまま、キングギドラが初登場する『三大怪獣』でも、ゴジラとキングギドラの戦い方っていうのは岩を投げ合うことでした。
昭和のゴジラ映画って、ゴジラの戦闘シーンがダサいというかカッコ悪い。
絵にならないんですね。
なぜ、東宝がフランケンシュタインの怪獣というのにスライドさせたがっていたのかと言うと、この根本的な欠陥に気がついていて、なんとか怪獣に取っ組み合いさせるために、人間的なプロポーションの怪獣を出そうとしたからなんですよ。
もちろん、怪獣も真似出来たんですけど、怪獣の真似をする時には、みんな「ゆっくり動いて、砂場の砂の建物を踏む」みたいな、地味な遊びになるんです。
それに対して、『仮面ライダー』って、もう、敵とか味方とかに別れてアクションするだけですから、子供達が休み時間にパパパっと遊べるくらい、スピーディーで早いんですね。
そして、これが『帰ってきたウルトラマン』と『仮面ライダー』の人気の差になっちゃったわけですね。
「なんで怪獣映画が滅ぼびたか、自分で作ってみてようやっとわかりました。ガメラはリーチが短い。ギャオスと格闘できないんです。だから、もう俺がやっているのは、カットを切り替えて怪獣同士が格闘してるように誤魔化すのの連続なんですよ」って。
アニメって、ものすごく進化が速かったんですよね。
怪獣映画というのは、この進化の速さについていけなかったんですね。
まさに「巨大だけどノロマな恐竜と、身体は小さいけど敏捷な哺乳類の差」になってしまったんですね。
まあ、持ち直したといっても、『メガロ』や『ガイガン』に比べて持ち直しただけで「全盛期の怪獣映画に比べて」という意味ではありません。
でも、持ち直して終われたのが、最後の慰めになっているとは思います。
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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2019/06/13
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今回は、ニコ生ゼミ6月2日分(#284)から、ハイライトをお届けいたします。
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「【大人が楽しむゴジラ映画 その1 】 怪獣映画の概論」
それでは、ようやっと『ゴジラ』の話に行きましょうか。
あんまり『キング・オブ・ザ・モンスターズ』の中身については語れないので、外側の話が多くな
っちゃいますけども。
っちゃいますけども。
まずは、怪獣映画の概論というのをやってみたいと思います。
ちょっと字がちっちゃくなっちゃうんですけども。
「怪獣映画ブームとは何なのか?」ということで、ここに細かい字でズラーッとまとめてみました。
赤い字がゴジラ映画なんですけども。
赤い字がゴジラ映画なんですけども。
1954年に『ゴジラ』が公開されてから、1975年に『メカゴジラの逆襲』が終わるまで、これが “怪獣ブーム” というやつです。
1954年から75年まで、この怪獣モノというのが、テレビとか映画などを通じて、20年間以上、子供文化を支配していました。
こんなに長く、1つの作品群というのが子供文化をリードしていた時代はありません。
たとえば、『ガンダム』も、萌え美少女も、ロボットアニメも、ここまで集中的に長い間、子供文化全体に影響を与えたことはなかったんですね。
唯一、近い存在はゲームかもわかりません。
ゲーセンの筐体からファミコンなどの家庭用ゲーム機、あとは携帯ゲーム、スマホアプリという形で、ゲーム全般で考えれば、怪獣ブーム以上、子供文化を引っ張ってるんですけど。
しかし、ゲームっていうのは “ジャンル” なんですね。
それに対して、怪獣ブームというのは1つの “作品群” なんですよ。
そういった作品群が、20年以上も子供文化の本当にど真ん中にあって、ずーっと熱量を持って引っ張っていたというのは、本当に古今東西未曾有の状態だったわけですね。
怪獣モノを語る時には、まず、これを最初に押さえておかなければいけない。
いわゆる、織田信長とか家康を語る時には「戦国時代というのがあった」というのを押さえるのと同じようなものですね。
いわゆる、織田信長とか家康を語る時には「戦国時代というのがあった」というのを押さえるのと同じようなものですね。
・・・
たとえるならば、この20年以上に渡る怪獣ブームというのは “ローマ帝国” みたいなものなんですね。
1954年から75年まで、この20年以上に渡って、ほぼ子供文化というのは、怪獣帝国に支えられていた。
しかし、その巨大な帝国も徐々に滅びていって、ロボットアニメとか仮面ライダー、スポーツ漫画などに攻められ、ついには滅びてしまうわけですね。
でも、そういった『マジンガーZ』などの巨大ロボットも、実は、怪獣帝国の遺跡の上に建てられたものなんですよ。
『マジンガーZ』に出てくる “機械獣” という敵のロボットは、機械の怪獣であって、『機動戦士ガンダム』が登場するまで延々と、敵の巨大ロボットには “叫び声” があったんですね。
「行け!機械獣G7!」とか「VX!」と言われると、「ギャァー!」とか「ガオー!」とかって言って出てくるものだったんですよ。
『UFOロボグレンダイザー』とか、『コン・バトラーV』とかは、もっと酷かったと思うんですけど。
『UFOロボグレンダイザー』とか、『コン・バトラーV』とかは、もっと酷かったと思うんですけど。
叫び声を上げて出てくるし、もう「ロボット」とは名ばかりで、撮り方にしても登場の仕方にしても実際の戦闘方法にしても、実は怪獣モノというジャンルを、単にアニメに置き換えて、モダンなマシンにお化粧直ししただけなんですね。
だからこそ、『機動戦士ガンダム』という、本物のロボットを扱ったアニメが出てきた時に、アニメファンはすごくビックリしたわけですね。
なんせ、ロボットなのに叫び声あげないから。
いや、今ではそれが当たり前なんですけども。
それまでずっと敵のロボットは、登場する時に叫び声をあげてたんです。
いや、今ではそれが当たり前なんですけども。
それまでずっと敵のロボットは、登場する時に叫び声をあげてたんです。
『ゲッターロボ』に出てくる敵ロボットなんて、「ゲッタートマホーク!」って胴体を真っ二つに割ったら、中から血が出てきて内蔵が飛び出すわけですよ。
その血の色が、オイルの色に塗ってあったり、内臓が機械で描いてあるんですけど。
そういった機械の間にあるのはなんか太めのケーブルで「これ、どう見てもこれ内蔵じゃん」というやつで繋がっているわけで。
そういった機械の間にあるのはなんか太めのケーブルで「これ、どう見てもこれ内蔵じゃん」というやつで繋がっているわけで。
もう本当に、怪獣モノの描き方でロボットモノというのは描かれていたわけなんです。
当時の子供文化の研究家とか評論をしているような人は、よく「怪獣の時代からロボットの時代になった」って言うんですけど。
実際には、そうではなくて「アニメで描いた方が自由度が高かったから」なんですね。
実際には、そうではなくて「アニメで描いた方が自由度が高かったから」なんですね。
これは、後ほど話しますけど、実は、怪獣映画にも、いわゆる『ウルトラマン』などのTVシリーズにしても、致命的な欠陥があって、子供達が楽しく見るには適さない部分があったんですよ。
そんな中、アニメーションというのは、それを軽々と超える事ができた。
そのおかげで、怪獣ブームというのはロボットブームに上手く移行できたわけです。
なので「僕らが知っているロボットアニメブームというのは、ロボットアニメという単独の流れの中にあるのではなく、この怪獣ブームというローマ帝国のような巨大な文化の遺跡の上に建っている建物だ」というふうに考えてもらうと、ちょっと話がわかりやすくなると思います。
怪獣映画という帝国は滅んだんですけど、その遺跡の上に建てられた新しい文化、『仮面ライダー』や『スーパー戦隊』というのは、今のライダーや戦隊モノ、あとは『トクサツガガガ』として、その子孫が今日も発展しています。
まるで「恐竜は滅びたけれど、鳥類になって生き延びた」ような感じなんですね。
・・・
では、年表をチェックしてみましょう。
まず、1954年の『ゴジラ』です。
これが、まあ考えられないくらいヒットして、海外にも売れたわけですね。
慌てた東宝は、僅か3ヶ月後に続編を制作します。
それが『ゴジラの逆襲』です。
それが『ゴジラの逆襲』です。
これ、あまりにも慌てて作ったから、予告編すら存在しないんですね。
とにかく、出来たらすぐ劇場にかけた。それくらいゴジラがヒットしたんですよ。
急ピッチでですね、撮影、公開しました。
しかし、この『ゴジラの逆襲』の時に、原作者の香山滋は「もうゴジラは作れません」と言っちゃったんですね。
もともと、香山滋という人は、ちょっと不気味なミステリーとかを書く作家だったんですけど。
まあ、『ゴジラ』があまりにもヒットしたので、周りの同業者から、もう、やっかみとか羨みで「またあんな変なの書いてるのかい?」とか、「おやおや、君はまた、あんなオバケの話を書くのかい?」というふうに言われて、すごくヘコんでしまった。
まあ、『ゴジラ』があまりにもヒットしたので、周りの同業者から、もう、やっかみとか羨みで「またあんな変なの書いてるのかい?」とか、「おやおや、君はまた、あんなオバケの話を書くのかい?」というふうに言われて、すごくヘコんでしまった。
あとは、もう来る取材、来る取材、「次はどんな『ゴジラ』ですか?」というふうに聞かれて拗ねてしまった。
その結果、「もう『ガンダム』は作りません!」と言った富野由悠季と全く同じように、「もう『ゴジラ』は書きません!」と言うことになりました。
困ったのは、第3作目を作ろうとしていた東宝です。
なんせ、メチャクチャヒットしてたから。
その結果、『空の大怪獣ラドン』というのは、そこから1年半も掛かってしまいました。
『ゴジラ』から『ゴジラの逆襲』って5ヶ月しか空いてないんですけど、次の『ラドン』では、1年半も掛かっちゃったのは、原作者を確保できなかったからなんですね。
・・・
ブームが本格的になってきたのは、この1964年頃からです。
『モスラ対ゴジラ』、『宇宙怪獣ドゴラ』、『三大怪獣地球最大の決戦』この辺りから、ブームが本格的になってきました。
『モスラ対ゴジラ』というのは『ゴジラ』を悪役に見立てた怪獣対決モノです。
『ドゴラ』というのは、「もう着ぐるみの怪獣をやめよう! 全部、水槽の中で撮影したクラゲみたいな宇宙怪獣を出そう!」という、大人向けの作品として作られたんですけど、これは大失敗しました。
映画の評判も悪いですし、あんまり客も入らない。
まあ、あんまり客も入らないといっても、当時「怪獣映画」と言ったらなんでも客が来た時代なので、映画全体で見れば、そこそこ当たってはいるんですけどね。
まあ、あんまり客も入らないといっても、当時「怪獣映画」と言ったらなんでも客が来た時代なので、映画全体で見れば、そこそこ当たってはいるんですけどね。
『三大怪獣~』というのは、世紀の悪役 “キングギドラ” が出てきて、ゴジラが正義側についたという作品です。
この『三大怪獣地球最大の決戦』こそが、さっきからのローマの例えで言うと「ローマが共和制から帝政に移行することになったカエサル登場」のような作品です。
ここがもう、ターニングポイントだったんですよ。
ここがもう、ターニングポイントだったんですよ。
「 “怖い怪獣” でなければいけなかったはずのゴジラを、もう正義の側にしちゃおう!」というのは、「それまで共和制だったローマを、独裁者カエサルを中心とした皇帝制度にしちゃおう!」というのと同じことなんです。
それまでの共和制ローマにしてみたら「何だ、それは?」ということなんですけども。
やってみたら、案外、それがローマを長続きさせることになった。
やってみたら、案外、それがローマを長続きさせることになった。
それと同じく、この「ゴジラを正義の味方にしちゃう」っていうのは、やってはいけない一手、大人向けの怪獣映画という立場を完全に放棄することになったんですけども、その代りに、怪獣ブームをより強く燃やすことになりました。
まあ、本来はやってはいけないんだけど、これが当たっちゃったということなんですね。
この1964年というのは、皆さんもご存知の通り、前の東京オリンピックがあった年で、都市部からは田畑が失われて、田んぼがどんどんなくなって、ビルがニョキニョキ建ち並ぶという、日本が近代国家に改造された年なんですけども。
「そんな近代国家の象徴であるビルを怪獣が破壊する」という、怪獣映画のブームがやってきたのもこの年です。
1964年というのは、本当に不思議な1年でした。
この1964年について「オリンピック以外に何があったのか?」というのを研究するだけで、たぶん、絶対面白いノンフィクションになると思うので、誰か書いてください。
ちなみに、この怪獣ブームというのは、日本の高度経済成長時代とピッタリ符合します。
高度経済成長期というのは、ウィキペディアによると「1954年12月の鳩山内閣から1973年11月までの第2次田中角栄内閣」と言われてるんですね。もう本当に、不思議なことに、この中に綺麗に入るんですよ。
それくらい、高度経済成長と怪獣ブームというのは結びついています。
・・・
1964年、オリンピックの年の話をさっきしました。
その次の年である1965年、ついに東宝以外の、大映という文芸映画の老舗の会社までもが、怪獣映画に進出します。
それが『大怪獣ガメラ』です。
この『大怪獣ガメラ』、モノクロで、しかも、怪獣1匹しか出てこない映画です。
なぜ、この時代の怪獣映画なのに、1匹しか出ないしモノクロなのかというと、実は期待されてない映画だったんですね。
「おいおい、東宝が特撮映画を作ってるぞ! ウチだって戦争映画とか、『釈迦』みたいな歴史モノのスペクタクルを撮るための特撮班があるじゃんか。だったらウチでも作れるだろ? これくらいの予算でゴジラシリーズみたいな映画を撮れよ!」と、大映本社は言ったんですけど、現場は「いや、ちょっと待って。怪獣映画って、デカいセットいるし、特撮やらなきゃいけないし、金が掛かるんですよ。この予算で怪獣映画やるんだったら、もうモノクロにしか出来ません!」と。
そんなふうに喧嘩しながら制作した映画が『大怪獣ガメラ』なんですね。
この作品、制作中は現場でも顰蹙もので、「ついにウチも怪獣映画なんかやるようになっちまったのか。しかも、亀かよ!」なんて言われてたんですけど。
いざ、前売り券を売り出したら、これがメチャクチャ売れて、公開後には大ヒットになってしまったんですね。
逆に、本家の東宝は『フランケンシュタイン対地底怪獣』という映画を作ったんですけど、あの、これ、すごく良い映画なんだけど、あんまりヒットしなかったんですね。
結果、「やっぱりゴジラじゃないとダメなんだ」ということで、その年の12月に『怪獣大戦争』というのをやります。
・・・
ローマ帝国というのは、外側と内側にそれぞれ滅びる要因がありました。
外側の要因は、もちろん “ゲルマン民族の大移動” 。
内側には “キリスト教” というのを自分たちの国教にしてしまうということが、逆に首を締めることになったんですね。
内側には “キリスト教” というのを自分たちの国教にしてしまうということが、逆に首を締めることになったんですね。
同じく、ゴジラ映画も、1966年にブームの頂点が訪れたと同時に、滅びの要因というのがやってきたんです。
外側の要因は、ゲルマン民族ならぬ、『ウルトラQ』『ウルトラマン』などの怪獣が見られるTV番組の放送開始と、『ガメラ』などの他所の会社の怪獣の登場です。
そして、内側の要因は、さっきも話した「ゴジラが正義の味方になって、さらにキャラクター化してしまった」ということでした。
特にこの『怪獣大戦争』というやつは、ゴジラがハッキリと正義の味方になり、おまけに「X星に連れて行かれたゴジラが “シェー” をする」というところまで見せてしまったんですね。
それも、連続3回くらい。
飛び上がって、シェーをしてしまった。
「これで子供らも喜ぶだろう」と思ったんですけど。
こんなふうに、子供に愛されよう好かれようとして、徐々に徐々に「馬鹿らしいな」と思われて見放されるようになってしまった。
飛び上がって、シェーをしてしまった。
「これで子供らも喜ぶだろう」と思ったんですけど。
こんなふうに、子供に愛されよう好かれようとして、徐々に徐々に「馬鹿らしいな」と思われて見放されるようになってしまった。
その意味では、この65年から66年というのは、ものすごい1年間だったんですよ。
まず、お正月の1月1日に、毎週テレビで新作怪獣が無料で見られるという『ウルトラQ』がスタートしちゃって、4月に『ガメラ対バルコン』。
ガメラも2作目で、ついにカラー化です。それも、1作目は76分しかないのに、2作目はいきなり2時間という大怪獣対決モノです。
そして、7月にテレビのカラー放送で『ウルトラマン』と『マグマ大使』がほぼ同時に始まるという、もう、子供にとっては “ 1日中 怪獣漬け ” という環境がとうとうやってきちゃったんですね。
フランケンシュタインの怪獣シリーズの『サンダ対ガイラ』も7月に公開して、12月には新作ゴジラ映画として『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』というのが公開されました。
・・・
その次の年67年は、さらにすごい。
『ウルトラマン』『マグマ大使』は、大人気のまま続いています。
3月に、ご家族向けの文芸映画で有名だった松竹映画が、『宇宙怪獣ギララ』を作り、大映はですね『ガメラ対ギャオス』を作り、4月には純文学を映画化するはずの日活が『大怪獣ガッパ』という映画まで作ってしまいます。
7月に、東宝は『キングコングの逆襲』、10月に『ウルトラマン』が終わった次に『ウルトラセブン』がテレビで始まり、12月には『ゴジラの息子』。
そして、ついにはヤクザ映画を撮っている東映までもが『怪竜大決戦』という、江戸時代を舞台にした怪獣映画を作っちゃうんですね。
本当に、1967年は、どの映画会社、どのテレビ局も怪獣モノを作ろう作ろうとしていた、本当に怪獣ブームの頂点の年だったんです。
しかし、もう子供達はわざわざ映画館まで行かなくても、テレビで毎週毎週『ウルトラマン』とか『マグマ大使』で怪獣が見られるわけなんですよ。
おまけに、ゴジラはシェーして正義の味方になっちゃって、その2年後には子供まで出来てるんですよ(笑)。
『ギララ』とか『ガッパ』も、続編を作るほどにはヒットしなかったんですね。
それぞれの映画会社が「じゃあ、うちも怪獣、怪獣」というふうに乗り出してきたはいいものの、もう、その頃には「何を出しても当たる」という時代ではなくなってきてたんですね。
『ガメラ』も、ここから先、大映はシリーズを作り続けるんですけども、予算的には『ガメラ対バルコン』が頂点だったんですね。
『ガメラ対ギャオス』は『バルコン』の半分。
『ガメラ対宇宙怪獣バイラス』は『ギャオス』の半分。
『ガメラ対大悪獣ギロン』は『バイラス』の半分というふうに。
なんか、倍々ゲームじゃなくて、半分半分ゲームで、ガメラシリーズは続けられですね。
これ、後に、ガメラシリーズの湯浅監督は「そんなに予算を下げられたら、作れるはずがない!
……おや? 作れてしまった。という状況を、自分でも面白がってしまったのがいけなかった」と言ってるんですけども。
本当に、絵がものすごく安っぽくなっても、「怪獣が出ている」というだけで、なんとなく見れていたところが、やっぱりあの時代のすごかったところですね。
・・・
しかし、終わりの予感はついに当たって、怪獣ブームの終わりが始まりました。
明らかに怪獣ブームの黄昏が見えてきたんですけど、これの逆境を打破するために、1971年『帰ってきたウルトラマン』や『ミラーマン』がテレビで始まりました。
これは “第2次怪獣ブーム” というふうに言われたんですけども。
この『帰ってきたウルトラマン』と『ミラーマン』の間に挟まれている『仮面ライダー』、これが問題だったわけです。
第2次怪獣ブームが始まるはずだったんですけど、同時に始まった『仮面ライダー』に、子供達の人気はほぼ全て持っていかれてしまったんですね。
なぜか?
なんで第2次怪獣ブームっていうのは、そんなに爆発せずに『仮面ライダー』に持ってかれたのか?
これ、さっき少し話した「怪獣映画というものが持っている根本的な欠陥」に関係しているんですけども、みんなわかるかな?
ちょっとコメントを見てみようかな?
怪獣モノが持っている根本的な欠陥。
(コメント)「予算?」
予算じゃないんですよ。
これね、樋口真嗣も『ガメラ』を作った時に思い知って、「これはキツい」って言ってたことなんですけど。
実はですね、怪獣というのは「格闘戦が出来ない」んですよ。
『ゴジラの逆襲』で、ゴジラとアンギラスは格闘をやったんですけど、これは「アンギラスが飛びついて噛み付いて、ゴジラがそれを振り払う」というのの連続だったんですね。
なぜかと言うと、怪獣って着ぐるみだから、腕の長さが短いんですよ。
だから、基本的に取っ組み合いが出来ないんですね。
『キングコング対ゴジラ』では、コングとゴジラは、お互いに離れたところから声を出して、岩を投げ合うんですよ。
『キングコング対ゴジラ』って、コングがゴジラのしっぽを持って振り回すシーンとかがポスターになってたんですけど、確かに、そういうシーンもあるんですけど、それはほんのちょっとなんです。
ほとんどは、岩投げ合ったりとか、そんなシーンばっかりなんです。
ほとんどは、岩投げ合ったりとか、そんなシーンばっかりなんです。
この対戦方法は、以後もそのまま引き継がれて。
そのまま、キングギドラが初登場する『三大怪獣』でも、ゴジラとキングギドラの戦い方っていうのは岩を投げ合うことでした。
『怪獣大戦争』でも、やっぱりゴジラはキングギドラに岩を投げてます。
まあ、しっぽで岩を弾いたりもしてるんですけど。
まあ、しっぽで岩を弾いたりもしてるんですけど。
昭和のゴジラ映画って、ゴジラの戦闘シーンがダサいというかカッコ悪い。
絵にならないんですね。
なぜ、東宝がフランケンシュタインの怪獣というのにスライドさせたがっていたのかと言うと、この根本的な欠陥に気がついていて、なんとか怪獣に取っ組み合いさせるために、人間的なプロポーションの怪獣を出そうとしたからなんですよ。
『仮面ライダー』というのは、根本的に主人公の仮面ライダーも敵の怪人も人間型だから、動きがシャープなんですね。
ちゃんと格闘が出来る。イコール「子供が真似出来る」んですよ。
もちろん、怪獣も真似出来たんですけど、怪獣の真似をする時には、みんな「ゆっくり動いて、砂場の砂の建物を踏む」みたいな、地味な遊びになるんです。
それに対して、『仮面ライダー』って、もう、敵とか味方とかに別れてアクションするだけですから、子供達が休み時間にパパパっと遊べるくらい、スピーディーで早いんですね。
そして、これが『帰ってきたウルトラマン』と『仮面ライダー』の人気の差になっちゃったわけですね。
これ、『平成ガメラ』を撮った時に、特撮監督をやった樋口真嗣が、夜、ガイナックスに来て、本当にしみじみ語ってたんですけども。
「なんで怪獣映画が滅ぼびたか、自分で作ってみてようやっとわかりました。ガメラはリーチが短い。ギャオスと格闘できないんです。だから、もう俺がやっているのは、カットを切り替えて怪獣同士が格闘してるように誤魔化すのの連続なんですよ」って。
これはもう、平成ガメラ3部作、全部そうなんですよね。
「こんなの子供が真似しても楽しくない」というふうに語っていました。
「こんなの子供が真似しても楽しくない」というふうに語っていました。
・・・
もう1つの滅びの理由は、1974年の『ゴジラ対メカゴジラ』の辺りであった出来事なんですけど、「『宇宙戦艦ヤマト』によるアニメブームの到来」です。
『マジンガーZ』が公開されたのが1972年なんですよ。
で、『宇宙戦艦ヤマト』って、そのわずか2年後の1974年なんです。
そして、『機動戦士ガンダム』というのが1979年なんですよ。
で、『宇宙戦艦ヤマト』って、そのわずか2年後の1974年なんです。
そして、『機動戦士ガンダム』というのが1979年なんですよ。
アニメって、ものすごく進化が速かったんですよね。
怪獣映画というのは、この進化の速さについていけなかったんですね。
まさに「巨大だけどノロマな恐竜と、身体は小さいけど敏捷な哺乳類の差」になってしまったんですね。
このアニメーションの表現というのは、所詮は怪獣映画の真似だった『マジンガーZ』から、怪獣映画の影響を受けない『宇宙戦艦ヤマト』になって…
…まあ、『宇宙戦艦ヤマト』も、中盤に “宇宙怪獣バラノドン” というのが出てきて、怪獣映画の残り香がちょっとだけ入っているんですけども。
…まあ、『宇宙戦艦ヤマト』も、中盤に “宇宙怪獣バラノドン” というのが出てきて、怪獣映画の残り香がちょっとだけ入っているんですけども。
もう『機動戦士ガンダム』になってきたら、ドラマから何から、怪獣映画が全く追いつけない地平まで進んじゃったわけですね。
「巨大な怪獣が戦う」という絵の痛快さは『マジンガーZ』に奪われてしまい、お話のスケールやロマンみたいなものは『宇宙戦艦ヤマト』に追い抜かれ、教室でごっこ遊びする楽しさは『仮面ライダー』とか戦隊モノに追い越された。
なので、後期のゴジラ、1972年の『ゴジラ対ガイガン』や、73年の『ゴジラ対メガロ』は、もう本当に酷い。
酷すぎて逆に面白いというか、酷すぎて、いまだに僕は年に1回は必ず見るという作品になってるんですけど(笑)。
酷すぎて逆に面白いというか、酷すぎて、いまだに僕は年に1回は必ず見るという作品になってるんですけど(笑)。
そこから、ラスト2年、74年の『ゴジラ対メカゴジラ』、75年の『メカゴジラの逆襲』で、ちょっとだけゴジラは持ち直しました。
まあ、持ち直したといっても、『メガロ』や『ガイガン』に比べて持ち直しただけで「全盛期の怪獣映画に比べて」という意味ではありません。
でも、持ち直して終われたのが、最後の慰めになっているとは思います。
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