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「【『かぐや姫の物語』解説 3 】 男がみんなクズに見えるのは姫の超能力のせい」
そんな能力があるもんだから、周囲の男の行動とか判断の全てを歪ませてしまうんですね。
図書館にあった分厚い本で、当時小学校6年生だった僕にとっては難しくて全部は読めなかったんですけども。
その本に書いてあったことの中で1番面白かったのが “重力場” の説明なんですね。
そこにボーリングの玉をドンと置くと、その重みの分だけ、ゴムの膜はギューンとヘコむ。
では、その周りにビー玉があったらどうなるか?
ビー玉は、ゴムの膜のヘコんだ部分に向かって、吸い込まれるように転がり落ちていくだろう。
ビー玉を真っ直ぐに転がそうとしても、ボーリングの玉によって作られたヘコみに沿ってギューンとコースを変えることになる。
これが、重力場というものだと書いてあったんです。
つまり、強い力というものは、周りの物を歪ませる効果を発生させるということです。
かぐや姫も それと同じなんですね。
人間関係や、周りの人間の欲望とか決心を歪ませる。
そういった強いチャームの能力を持っている。重力場を強く発してるんですよ。
だから、本人にもどうしようもできないし、制御できないんです。
もし自分の脇の下からマタタビの匂いがしてしまったら、そりゃ、猫が近くによってきて、始終ニャーニャー言いますよ。
で、そんなことがずっと続いたら、猫嫌いになって当たりまえですよね。
「もう、猫はクズばっかり! 私の脇の下ばっかり狙ってる!」って思って当たり前なんですよ。
猫はマタタビの匂いには抗えない。
それと同じように「基本的に、かぐや姫の魅力には人類は逆らえない」というふうに、このアニメの中では設定されてるんです。
「理性が強かったら逆らえる」とか、そんな描き方をされてないんですよ。
「かぐや姫の姿を見たり、もしくは演奏している琴の音を聴いたら、チャームの魔法に掛かってしまうし、それは地上の者である以上は仕方がない」というふうに設定されています。
これなんですけど、5枚同じ絵が並んでいるように見えますよね。
これは、開始から1時間8分55秒のカットです。
DVDを持っている人は、後で確認してください。
この1カット、実に20秒もの間、このまま続くんですよ。
全く同じで、画面に動きがないように見えますが、実は動いているものがあります。何かというと――
わかりにくいんですけど、○をした位置に蝶々が飛んでるんですよ。
全く動きが無い画面の中を、蝶々がヒラヒラと飛ぶという、それだけのシーンに丸々20秒も使ってるんです。
吾妻鏡によると、これは「これから何か怪しい現象が起こる」という明確なサインなんです。
つまり、高畑勲監督としては、この20秒間、蝶が飛んでいるシーンを見せただけで、「この男たちは、今、魔法に掛かりましたよ」という状況を説明できたと思っちゃってるんですよ。
「そんなこと、日本人だったらわかるだろ?」とばかりに。
僕なんかは「悪いけど、高畑さん、それ、無理だから」って思うんですけども(笑)。
ところが、かぐや姫と会えるとなって、琴の音と肉声を聴いた瞬間に、彼らは魔法に掛かっちゃった。
ある者は海中を旅をしたり、ある者は命を掛けてツバメの巣を高い所から拾おうとしたり、ある者は財力の全てを掛けて偽物を作ろうとした。
偽物を作るのは、やってることはダメなんだけど、ただ、熱意だけはものすごいんですね。
なぜ、彼らがそんなに熱意を注いだのかと言うと、かぐや姫によってチャームの魔法を掛けられてしまったからなんです。
いわば被害者なんですよね。
この蝶のシーンのコンテには、「ものみなくっきりと鮮やかさを増し、まるでLSDか何かの覚醒作用が働いたかのよう」という指示が、ハッキリ書いてあるんですよ。
高畑さんとしては、「ある種の幻覚作用が働いている」と描いてるんです。
だから、おばあさんには掛からないんですね。
嫗はかぐや姫のチャームの魔法に掛からないからナチュラルに接することが出来るだけ。
それに対して、翁の方は、まともにかぐや姫のチャームの魔法にかかってしまったので、タケノコの幸せだけを延々と思ってしまうんです。
「タケノコの幸せだけを願っている」と言いながら、翁がやったことは、かぐやの幸せには直結していないという現象は、マタタビで興奮してる猫がいくら周りによってきても、脇の下がマタタビ臭い人が幸せにならないのと同じですね。
だから、家庭教師の相模っていう嫌味なおばさんには全く通用しませんし、村の女の子もタケノコに対して一貫してフラットな態度です。
タケノコの家で雇われている侍女たちも、タケノコに対して態度が変わったりしません。
男ばかりが変なんですよ。
「それは、彼女が美人だから」って、アニメを見ている人は、ついつい思っちゃうんですけども。
この蝶々のシーンを見逃さなければ、何か特殊な能力が発動しているというのがわかります。
結果、記憶はあるんだけど、そんなことはなかったことになってしまいます。
でも、この駆け落ちは、本当にあったんですよ。
だから、「かぐや姫がそこにいた」という証拠は残るんです。
その後、奥さんと子供が近づいてきた時に、捨丸兄ちゃんは慌てて誤魔化して、子供を抱きかかえるんですけども。
コンテには「妻の目を見ないようにしている。やましい。妻も何か気づいているが、言えない」って書いてあるんですよね(笑)。
つまり、捨丸兄ちゃんは月の光によって助けられたということなんです。
そういった、「バンパイアに噛まれずにすんだ」みたいな話になってるんですよね。
実は、かぐや姫の「私は私らしく生きたい!」とか、「そんなの私の幸せじゃない!」みたいなセリフから読み取れるテーマと、絵としては何が描かれているのかという部分の両方を見ていると、この『かぐや姫の物語』が持っている、ものすごく複雑な構造がわかってくるんです。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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コメント
コメントを書く(ID:3282243)
せっかくそういう古典に忠実な表現があるのに、捨丸(ポッと出のオリキャラ)に帝の役どころを食わせるっていうのはどういう意図で以て行われたのかが気になる。別にあれ原作通りに帝で良かったよ。
(ID:17012174)
これ劇場でみた時素直に怖い作品だと思った
かぐや姫の魅了によって捨丸でさえ今の自分の嫁と子供を捨ててかぐや姫を選ぼうとしちゃうんだぜ
かぐや姫=生まれついての突出した才能を持つ天才、と置き換えたら天才ゆえの苦悩、凡人には理解の及ばない遠い世界があるってメッセージなのかな
(ID:59159723)
>>2
これ間違ってたんだな。
基盤的なシナリオ自体は専門知識無くても楽しめる様に創ってあるんだ。
専門知識が必要な領域はあくまでおまけ程度の扱いで済んでる。 知ってたら百倍面白い! 的な。