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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/06/01
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今回は、ニコ生ゼミ5月20日(#231)から、ハイライトをお届けいたします。

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 【『かぐや姫の物語』解説 3 】 男がみんなクズに見えるのは姫の超能力のせい


 高畑勲監督の『かぐや姫の物語』ですけども、このアニメの何が凄いのか。


 常識なんですけど、実はこの作品の原作は 竹取の翁 の物語なんですよ。

 本来は 竹取の翁 の物語が、かぐや姫の物語にされたっていうのが最大ポイント。


 つまり、これは お爺さんが主役の話なんですよ。

 本来は お爺さんが主役の話を、女の子の方を主役にしちゃった。


 元々は竹の中に赤ん坊がいて、その子を育てていたんだけども、その子が月に帰っちゃったと。

 本来は、残される方の寂しさとか切なさを描いてたんですね。


 この枠組みっていうのは、元々は “貴種流離譚” といって、神様とか英雄とかが、自分の生まれ故郷を追放されて、彷徨って、試練を克服するとか罪を償った結果、尊い存在になって元の国へ戻るってやつ。

 これは世界中である神話の、貴種流離譚の枠組みになってるんですね。


 なので、たとえば『スターウォーズ』でいうと、アナキン・スカイウォーカーがダークサイドに落ちてダース・ベイダーになったと。

 そうするとルーク・スカイウォーカーが、そのアナキン・スカイウォーカーが落ちたダークサイドの誘惑に勝って、そしてちゃんと英雄になるんだっていう。

 このスターウォーズも、貴種流離譚の枠組みに入ってるんですよ。


 なので、かぐや姫っていうのは本当は “より良き神” になるために、地上で苦労をして、罪を償って、天上に帰るっていう必要があるんですね。


 それで お爺さんっていうのは、その場に居合わせて、たまたま姫に心を移してしまい、好きになってしまって尽くそうとした結果、悲しい目に会うと。

 それが民話的な構造です。

 これが全世界に共通の民話的な構造なんですけども。


 しかし高畑勲はですね、貴種流離譚で この かぐや姫 の方を主役にするという、わりとこれまで『竹取物語』を扱ったりアレンジした中で、誰も思いつかなかった大転換っていうのをやるんですね。

 なんでかというと、高畑勲にとってこれは『おもひでぽろぽろ』のリベンジだからです。


 これはどちらかというと現代の女の子の話で、テレビの中の東京に憧れて、東京に出てきて、また田舎に戻るみたいな話って考えると、この『竹取物語』をどれぐらいダイナミックに変えようとしているのかっていうのが分るかと思います。


 それで同時にですね、これは『天空の城ラピュタ』のアレンジなんですね。

 ストーリーではなく、構造として。


 パズーが翁で、シータが かぐや姫。

 シータを主役にした『天空の城ラピュタ』っていうのを考えてみたら、こういう話になるんですよ。


 天から女の子が降ってきて、「何があっても守るぞ!」と決意したパズー翁ってヤツがいてですね(笑)。

 しかし、シータかぐやは、貴族たちドーラ一家とか、帝ムスカにさらわれてしまいそうになると。


 そして、ついに天空の城ラピュタにシータだけ帰ってしまうっていう(笑)。


 その時にシータは、都合のいい事を言ってくれないんですよ。

 「人は大地に生きなければいけないのよ」っていうふうに言うんですけども、ラピュタの光がピカンと光ると「いや、それは気のせいだったわ」と言ってラピュタに帰ってしまうっていう、現実的な話を描いていると。


 おまけに高畑勲っていうのは、無類なまでに登場人物の誰にも感情移入をしない作家なんですね。

 登場人物の誰かに自分の本音を言わせたり、信念を言わせたりするのではなく。


 登場人物に感情移入はしないし、『火垂る墓』でも話した通り、「見ている人も、登場人物にあまり感情移入しないでくださいね」って言う作家なんですよ。

 なので、キャラクターが発しているセリフにテーマを探してはいけないと。


 たとえば かぐや姫は、不老不死の、死のない世界から来たんです。

 お釈迦様が仏門に入るようになったキッカケというのが、この世の中には四つの苦しみというのがあるのだと。


 生きる苦しみ。

 老いる苦しみ。

 病気になる苦しみ。

 死ぬ苦しみ。


 この四つの苦しみがあるからなんですよね。

 でも かぐや姫は、こういう四つの苦しみが無い、死のない世界から来たんですね。

 お月様っていうお釈迦様の世界から来たので、“生きる苦しみ”っていうのを “生きる喜び” だというふうに捉えてしまったんですよ。


 人間は、元々は命が有限で、いずれ死んじゃうからこそ 「生きる事は喜びだ」 っていう幻想を持っていると。

 でも不老不死の月の世界の人たちは、「生きる事は喜びだ」なんていう幻想を持たなくて済むんですよ。

 死なないんですから。


 で、この大構造が見えてないと、『かぐや姫の物語』って変な事になっちゃうんですね。


 “生きる喜び” っていうのは、死ぬ事が避けられない運命である人間にのみ与えられた幻想なんですよ。

 「いつか死ぬんだ」と思うからこそ、「“生きる事は喜びだ”と考えないと、やってられねぇよ!」っていうのが人間ですから(笑)。


 なので、もちろん穢れた地上に憧れた事も罪なんですけども、その地上に生きて穢れたものを味わって、その結果、月に帰りたいと思うと。

 これが、罪と罰の “罰” ですね。

 
 これは第一段階の かぐや姫 の罪と罰です。


 その後で「いやいや、でも やっぱり私は地上で生きたい」と願っても、それは麻薬中毒者が一時期「麻薬をやめる!」と決意して、また麻薬をやるっていうのと同じなんですね(笑)。

 お医者さんである月の人たちは、「そんな かぐや姫の世迷い言は、聞いてられない」っていうのが、不老不死の世界から見た、穢れた世界を見るときの見え方なんですよ。


 穢れた世界がいけない というのではなくて。


 “穢れた世界” っていうのが どういうものかっていうと、穢れたものを食べていて、盗んだ瓜とか、殺した雉とかを食べる穢れた世界だからこそ、人は死んでしまって。

 人が死んでしまうからこそ、そこに生きる喜びっていうのを無理やり見つけなきゃいけないんだけども。

 「私たちは、そんな事は最初から考えなきゃいいじゃないか」って世界観だから、本当にギャップがものすごいんですね。


 じゃあ、かぐや姫っていうのは、どうなるのか?

 あのまま月に帰ったら、どうなっちゃうのか?


 不老不死で過ごすんでしょうけども、あの不思議な、月で ずーっと歌を歌って泣いていたご婦人と同じく、毎日わらべ歌を歌って泣いて過ごすようになるのかっていうと、違うんですね。

 もっと壮絶な運命が かぐや姫には待っています。


 それは希望であるかも分からないですし、絶望かも分からないと思います。


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