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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2017/11/16
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今回の記事はニコ生ゼミ11/05(#203)よりハイライトでお送りします。


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 「『ブレラン2049』はどうやったら面白くなるのか?」


 じゃあ、この『ブレードランナー2049』を、どうやったら面白くできるのか?

 僕、自分のFacebookにも書いたんだけど、『ブレードランナー2049』って、失敗作というよりも、ほんのちょっとの変更ですぐに面白くできるんだよ。

 もう簡単。


 この3つね。

 まず、「ライアン・ゴズリングによるモノローグを入れよう」と。

 劇場公開版の『ブレードランナー』と同じように、主人公のモノローグを入れれば大丈夫なんだよ。

 ナレーションなんて、ライアン・ゴズリングをスタジオに呼んだら、半日で録れるんだから。


 2番目は、「無理するのはやめて、ヴァンゲリスの音楽をもっと入れよう」。

 だって、映画の中で盛り上がるシーンは、全部ヴァンゲリスの音楽なんだから。


 最後の3番目は、ラストシーンについて。

 Kが、バーチャルリアリティのジョイと2人で駆け落ちして、スピナーが飛んで行く風景のバックに「チャーン、チャーン♪」って音楽を流しておけば、もう大丈夫。

 つまり、「ハッピーエンドにしちゃえ」ということなんだよね。

 これで『ブレードランナー2049』の本質が失われるのかというと、実は全く失われないんだ。

・・・

 まず、この映画の一番の問題は、ライアン・ゴズリング演じる主人公のKが、何を考えてるのかわからないということなんだけど。

 こういう場合はね、モノローグを入れちゃった方がいいんだよ。


 「俺の名はK。レプリカントでブレードランナーだ。今から俺は自分の仲間を殺しに行く」
 
 「汚い仕事で汚い存在、それがこの俺だ。そんな俺でも家で待ってくれている女がいる。バーチャルリアリティのジョイだ。まるで30年前の日本のオタクみたいだって? こんな時代、男はみんなオタクでなければ生きていけないんだ」

 「俺はジョイの偽物の笑顔に癒される。偽の笑顔に偽のキス。俺だって偽物。レプリカントだ」


 ――みたいなナレーションを冒頭で入れたとしても、映画的に、全然、問題ないんだよ。
 
 むしろ、その方がテーマ性がはっきりするんだよね。


 デッカードが生きていることを知らされる時にも、

 「デッカード? 誰でも知っている。伝説のブレードランナーで、裏切り者だ。レプリカントと逃げた男。そしておそらく……俺の親父だ」


 ――っていう台詞を入れた方が、わかりやすくなるって!
 
 あんなに予算を掛けたハリウッド映画なんだから、もう少しわかるように作れよ!(笑)


 確かに、こんなナレーションを入れれば、映像芸術性は下がるんだよ。
 だけど、その代わり、大衆性はものすごく上がるんだよ。

 悪いことは言わない。

 ためしにライアン・ゴズリングにナレーションをさせて、ダラスとサンディエゴで試写に掛けてみればいいんだよ。

 そしたら、みんな絶対に「こっちの方がいい!」って言うから。

 芸術性が高いバージョンは、その後で、“ファイナルカット版”として作ればいいんだよ(笑)。

・・・

 2つ目の改善点は「ヴァンゲリスの音楽をもっと使うこと」。

 これ、なぜかというと、言い方は悪いんだけど、『ブレードランナー2049』の中で掛かる音楽の中に名曲が無いからなんだよね。

 Kが死ぬシーンとか、とりあえず印象に残るような名場面では、昔の『ブレードランナー』と同じ、ヴァンゲリスの音楽が掛かってる。

 で、このヴァンゲリスが流れ始めると、もう、映画館で見てたらわかるくらいに、他のお客さんの背筋が一斉にピンと伸びるんだよ。

 「ああ、ここ、いいとこだ」っていう感じになっちゃってるんだよね。
 だったら、全部ヴァンゲリスでいいんだよ。


 ヴァンゲリスっていうのはシンセサイザー作家なんだけども。

 今まで、『炎のランナー』と『ブレードランナー』という2つの映画に音楽を提供しているんだ。……両方とも“ランナー”だよね(笑)。

 で、この2作の音楽とも、シンセで作るわりには、メロディを中心に据えたセンチメンタルな曲なんだ。

 そして、そもそもの問題として、『ブレードランナー2049』の本編では、そういうセンチメンタルな曲をほとんど流していないんだよ。

 あの、当たり前だけど、普通のハリウッド映画っていうのは、盛り上がるところでは心臓がドキドキバクバクするような音楽を掛けるものだし、アクションシーンだったら、激しいギターリフレインが入っているような曲を入れるものなんだ。

 そうやって、見ているお客さんの感情を、シーンに合わせて誘導することを意識した曲の使い方をするものなんだけど。

 今回の『ブレードランナー2049』は、映像もアートぶっているし、音楽もアートぶっているからさ、余計にわかりにくくなってるんだよね。


 ここに、ヴァンゲリスの音楽のような、ノスタルジックでセンチメンタルなメロディーがあれば、今はどういう気分になればいいのか、お客さんをちゃんと誘導することが出来る。

 その方が絶対いいと思うんだよね。

 でないと、今が悲しいシーンなのか、ドキドキするシーンなのかわからないままなんだよ。


 たとえば、Kが、自分の記憶の中にある木で彫った馬みたいなものの足の裏に、何か数字が彫ってあったことを思い出して、それを見つけようと焼却炉みたいなところに近づいていくシーンがあるんだけど。

 これがワクワクするようなシーンなのか、それとも怖いシーンなのか、最初に見ただけじゃわからないんだよ。

 まあ、画面だけを見たら、完全に怖いんだけど。

 もし、ここで、ヴァンゲリスの『ブレードランナー』でデッカードの部屋にレイチェルが来た時に鳴っていたような音楽が入っていれば、それだけで、すごく気分が上がるんだ。

 だけど、それをやってないから、よく分かんなくなっちゃってる。

・・・

 3つ目の最大の変更点は、「ラストは、Kとジョイが、2人でスピナーで去って行く」というハッピーエンドにすること。

 なぜかというと、この映画、2時間47分もあるんだよ。
 こんな3時間近い映画を見た客にはね、“ご褒美”が必要なんだよね。

 だって、フルコースの料理には、必ず最後にデザートが付くものじゃん?

 これが1時間ちょっとで終わる一品料理みたいな映画だったら、どんな無茶をしてもいいんだけどさ。


 ハッピーエンドっていうのは、その映画が当たるか外れるかを決める要素の一つという以上に、制作者側から観客への“詫び状”でもあるんだよね。

 「長々とシンドい話しをしたけど、とりあえず笑顔で終わりますよ」というのが、大衆演芸の世界では大事だと思うんだけども。

 そこで与えられるご褒美が「雪を見ながら死に行くKの口角が、薄っすら上がっている」というだけでは、俺らは、安心して家に帰れないんだよ。

・・・

 もう1つ、もっと真面目な話として、ジョイとKが最後に駆け落ちすることで、この映画は、ようやっと“リドリー・スコットの支配”から逃れられると思うんだよ。

 リドリー・スコットの世界観におけるレプリカントというのは、例外なく“逆フランケンシュタイン・コンプレックス”っていうのにかかっている。

 フランケンシュタイン・コンプレックスというのは、アイザック・アシモフというSF作家が、戦後すぐに書いた小説の中で作った言葉なんだけど。

 「人間が作ったロボットなどというものを神が許すはずがない。故に、ロボットは人間に反乱するに決まっている」っていう偏見を意味しているんだ。

 でも、リドリー・スコットの世界では、この逆のコンプレックスが蔓延している。

 
 『ブレードランナー』シリーズにおけるレプリカント、もしくは『エイリアン』シリーズのアンドロイドは、なぜか必ず人間に憧れていて、「人間になりたくて仕方がない」というコンプレックスを持っている。

 なので、『エイリアン;コヴェナント』に出てくるデイヴィッドも新しい生命を作って、“人間のまねごと”を始めちゃう。

 つまり、この逆フランケンシュタイン・コンプレックスがある限り、あくまでも、リドリー・スコットの世界観になっちゃうんだよ。


 ところが、『ブレードランナー2049』のラストシーンを、「Kとジョイが駆け落ちする」というふうに変えるだけで、話が全然 違ってくるんだ。


 劇場公開版の『ブレードランナー』のラストで見せた、デッカードとレイチェルの駆け落ち。

 これっていうのは、キリスト教徒からすれば「神に祝福された人間と、祝福されていないレプリカントが駆け落ちなんかして、果たしてそこに幸福があるんだろうか?」という、ちょっとショックな出来事だったんだけど。

 レプリカントのKとバーチャルリアリティのジョイの駆け落ちというラストは、「人間なんかもう必要としない」というようなメッセージにもなる。

 それに、キリスト教徒にしてみたら、エデンの東のそのまた向こう、もう別の大陸に移住するくらいの大事件というふうになるわけだよね。

 ラストシーンで、Kのモノローグで「俺は人間の偽物、レプリカント。ジョイは生命の偽物、単なるプログラム。俺たちの間に愛はあるだろうか? それはわからない。幸せな日々があればそれでいいのだ」みたいなことを言わせておけば、前作が持っているショック性より、更に上のショックを与えることが出来たはずなんだ。

 もちろん、これはキリスト教的なショックなんだけども。

 たぶん、こういうのでも人は感動するし、言いたいことは伝わるんだよ。

・・・

 なにより、こうした方が、リドリー・スコットの“レプリカント(複製品)”として作った映画ではなく、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督自身の映画になったと思うんだよね。

 今のバージョンだと、やっぱりね、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が、リドリー・スコットが作りたかったことを忖度して作っちゃってるように見えるんだ。


 新しいシーンを撮影しているような時間とか予算がないんだったら、「デッカードを助けるために死に行くKが見た幻」というラストシーンでもいいんだよ。


 たとえば、『フランダースの犬』のラストでも、死に行くネロが「やっとルーベンスの絵が見れたよ、パトラッシュ」ってつぶやくと、天使が迎えにきてくれるよね。

 現実的には何もいいことなんて起きていないんだけど、あれを見て、俺たちは感動するじゃん?

 それはなぜかというと、これによってネロの正しさが認められた気になるから。

 そういう「誰かに認められた」っていうのがないと、やっぱり人間の心というのは不安定になるんだよね。


 だから、ラストは「人間とレプリカント、最後の希望の象徴であるデッカードとその娘を天から見下ろすK」で、その横でジョイが微笑んでいたら、もうそれだけでいいんだよ。

 その方が、『メッセージ』を撮ったドゥニ監督らしい映画になってたし、そういうラストだったとしても、ヴァンゲリスの音楽で終わってたら、誰も文句を言わない。

 なにより、その方がよっぽど『ブレードランナー2049』のテーマに近いと思うんだけどね。


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