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「『ブレラン2049』って、そもそもどんな話だったのか?」
このKは、レプリカントでありながら「逃亡したレプリカントを捕まえて殺す」という汚れ仕事をやってるんだよ。
彼は、仲間を殺して貰ったボーナスで、ジョイをバージョンアップして、「うへへ」って喜んでいるという、そんなやつなんだけど。
まずは、こういう舞台説明から始まる。
この導入部は、なかなか上手いんだ。
それを調べてみたら、その骨には、子供を出産したような痕跡があったんだ。
「レプリカントがなぜ出産なんかしたんだ?」と思ってさらに調べてみたら、昔、逃げたという、ある女性型レプリカントの話に行き着く。
ここで、前作の『ブレードランナー』を見てた人には、「前作の最後で逃げたデッカードとレイチェルという2人の間に、どうやら子供が生まれたらしい」ということがわかるようになってるんだけど。
なので、Kに対してデッカードの抹殺を依頼する。
でも、レプリカントを作っている会社の社長にしてみれば、安く数を増やせる方法というのは、ぜひとも知りたいことなんだ。
人類がもっと他の星に行くために、多くのレプリカントが必要なんだ。
だけど、従来通りにレプリカントを作ろうとするとコストが掛かるし、難しい。
こんな中で、レプリカント同士がセックスして子供を作れるのだとしたら一番いいじゃん?
なので、「この秘密を探るためにデッカードを見つけてこい」とKに依頼する。
こんな矛盾した命令の間で、Kは悩むわけだよね。
なぜかというと、K自身が「ひょっとしたら、その“レプリカントから生まれた子供”って、俺のことなんじゃないか?」と思っているからなんだ。
これについては、映画の中にもいろんな証拠が出てくるんだけども。
ここまでが、映画の中盤までの話。
こういった「自分はレプリカントから生まれた子供なのでは?」という謎を提示することによって、物語を前に進めていくためのトルクを作っている。
せっかく見つけたデッカードを奪われて、おまけに、「Kはレプリカントの息子でもなんでもない」と知らされる。
どういうことかというと、「俺は2人の息子かもしれない」と思っているKの記憶自体が、後から植え付けられたものだったんだ。
Kは、「ただでさえレプリカントという人間の偽物なのに、自分が子供の頃の記憶だと思っていたものすら偽物だったなんて、俺ってとことん偽物なんだな」って悩む。
ここらへんは、現代人が抱える「どこまでが本当の自分の記憶なのかわからない」といったテーマが入ってきているよね。
そんな中、奴隷的な境遇の中から人類と戦って独立を勝ち取ろうとしているレプリカントの反乱組織の人から、こんなことを言われるんだ。
「人間というのは、大義のために命を捨てることが出来る者のことだ。たとえレプリカントだったとしても、自分のためでなく、もっと大きな目標のために命を掛けることが出来れば、俺たちも人間と同じじゃないか」と。
Kは、そう言われて初めて、人間に対して反乱することを考えるんだよね。
というのも、それまでの映画の中には、そんな描写は無いんだよ。
人間から差別されてツラそうにしている場面はあったんだけど、だからといって「俺も人間になりたい!」と言っているような描写は無いし。
それどころか「レプリカントという存在が、差別を受けることに対して辛いという感情を持っているのかどうかもわからない」というふうに描いていた。
圧倒的な説明不足。
画面的な説得力だけはバーンと出しておいて、キャラクターに関する説得力を出すのを忘れている。
「そこは俳優の演技力にお任せで」というような感じでやっちゃってる。
だから、俺、Kが反抗を決意するあのシーンを見て「ちょっと待て。そんな描写なかったぞ!」って思っちゃったんだ。
で、最後、『ブレードランナー』でも使われていた懐かしい音楽が掛かる中、雪が降ってきて、これで死んで、おしまい、と。
そういう映画なんだ。
「こんなにネタバレしていいの?」と言うよりは、「これくらいネタバレしないと、映画館に見に行ってもよくわからない話になってる」んだよね。
だからこそ、彼は、映画のヒーロー足り得るわけだ。
最初に話したように、Kにも、ジョイっていうバーチャルリアリティの恋人が自分の部屋にいるんだよね。
このジョイは、Kがギリギリのピンチに陥った時に「待って!」と言って彼をかばうんだ。そのせいで、コントローラーみたいなものを踏みつぶされたジョイは消えてしまう。
要するに、「俺だけのフィギュアだ!」って思ってたら、すごいデカいポスターがバンバン貼られているのを見て、そこら中で売られていることに改めて気がつく、みたいな感じなんだけど。
この2人にはキャラクターとしての対立があるんだよ。
でも、その辺りの違いをギャップとして上手く描いてないんだよね。
つまり、「信じられなかった者としてのKが、贖罪のために、信じる者としてのデッカードを生かす」という構造になっている。
それが、デッカードとレイチェルの娘なんだ。
この娘っていうのは、レプリカントに記憶を植え付ける博士になっていて、ちゃんとレプリカントたちを救っている。
まあ、「レプリカントを救う」と言っても、人類に対して独立運動をしているわけでも、もっと安く量産して他所の星に行こうとしているわけでもないんだけど。
デッカードの娘がやっていたのは、「いろんな記憶を作って、レプリカントに移植してあげる」ということなんだ。
これが、レプリカントが生きる上での縁(よすが)と言うか、しがみつける最後の生命線になってるんだよな。
“信心”というものを持てるというキリスト教徒のメタファーなんだ。
つまり、『ブレイドランナー2049』というのは、こういったキリスト教などの宗教に対する強烈な問題提起が入っている映画なんだよ。
ところが、これを、ライアン・ゴズリング演じる主人公Kの感情曲線がよくわからないまま、3時間近い尺で見せているから、本当に捉え所がない映画になってるんだ。
だから、「話の構造や伏線だけなら非の打ち所がないくらい綺麗に組み合わさっているのに、その順番でダラダラと見せるな!」って思っちゃったわけだよ(笑)。
そうそう。
今、コメントで流れたように、ちゃんとKが“脇腹を刺される”シーンもあって、「はいはい、スティグマータ(贖罪の視覚的なメタファー)」って思うしね。
良いシーンは本当にいっぱいあるんだけどね。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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