いじめっ子の親が刑務所行きになる条例がニューヨーク州で執行されるんだって。
もう本当に、今は運用されてるんだよね。
ハフィントンポストの記事だ。
アメリカ・ニューヨーク州西部の都市ノーストナワンダ。
聞いた事、無いな。
ニューヨーク州西部って事は、マンハッタンアイランドよりも西だから、いわゆるニュージャージーとの間で。
わりと都市部に近いんだけど、まだ田舎っぽい文化があるんだよね。
いじめっ子の親が刑務所行きになるという条例が施行されたと。
両親が子供の行動に対して責任を負うことで、いじめが止む事が期待されている。
地元メディアによると、新条例は同州では初めての法律と。
そうだろうね。
子供が90日間のうちに2回いじめをしたり、他の生徒を攻撃した場合、その子供の両親は250ドル(2万8千円)の罰金を払うか、もしくは最大15日間を刑務所で過ごすか、またはその両方が科される。
たとえばノーストナワンダでは、どんな事があったのかと言うと、8年生が、日本では13〜14歳にあたる少年が、スーパーマーケットの前で他の少年を攻撃したと。
もう本当に中二問題だよね。
攻撃した少年は未成年で、刑務所に行くことはできないと言われました。
そのことを、少年たちも理解しているようでした。
いわゆる少年法に守られてて、刑務所に行かなくていいから、子供たちは好きにしていると言うことだよね。
今回の条例は、2016年にウィスコンシン州で可決された条例がモデルになったと。
ウィスコンシン州の条例は同じような感じ。
警官が、子供がいじめをしている事を両親へ書面で通知してから90日以内に再発したら、両親にもうちょっと多めの300ドル以上の罰金を科す事が出来て。
一年間に二回あったときは、7万円ぐらいの罰金を科されるというやつなんだけど、ノーストナワンダよりは、かなり厳しい。
・・・
それで、「この2万8千円とか3万円ぐらいで果たして効果があるのか?」 というと、実は効果があるんだよね。
アメリカの家族っていうのは、かなりギリギリのところで生活してるからさ。
子供がそういうトラブルを起こす事で、親が罰金を取られる場合、もう罰金で3万円を払うんじゃなくて、刑務所にブチ込まれる人っていうのが、すごく多いんだ。
それと同時に、いじめが起こる年代って、日本では子供が親の言うことを聞かないじゃん。
なので、子供が親の言うことを聞かないから、いじめをしている親に対する対抗手段っていうのは、あまり注目されないんだけども。
実はアメリカは、“未成年”っていうのは圧倒的な弱者なんだよね。
親が、ものすごい権力を持っていると。
たとえば車を与えるにしても、子供をどこの学校に行かせるにしても、何にしても、親が全ての決定権を持ってるから。
この“いじめ問題”に関して、親を刑務所にブチ込むとか、罰金を取るというのは、実はすごい効き目がある。
そう僕は考えてるんだよ。
・・・
それで、これがモデル化されて、まんま日本にコレを持って来ても、あまりしょうがないんだよね。
というのは、アメリカにおける家族とか親との関係を、日本と同じように置き換える事はムリだから。
で、何に置き換えるのが一番 近いのかって言うと、たぶん、いじめを起こすヤツの周りの人間関係を破壊しちゃう方が、コレに近いんだよね。
だから、いじめをしたヤツは、ごくシンプルにスマホを取り上げて、LINEのアカウントを消去して、あらゆるSNSから一回ぜんぶ消すっていうのを、一番 軽い量刑にする。
そして、それ以上になってくると、もう本当に無理やり転校させる。
今は“いじめを受けた側”が転校して環境を作り直すようになってるんだけども、逆だよね。
いじめをした側を、周りの いじめ をやりかねない、いじめに同意しかねない、何となく同調しているヤツらと強制的に関係を分断させちゃう方が、この判決に近い効果があると思う。
アメリカでは、親との関係を分断させて、家族との関係を分断させるのが、その子に対するダメージになり、その子の親が「そんな事をするな」って言う抑止力になるんだけども。
日本の場合は、家族との絆が薄い代わりに、周りにいる仲間・ツレが、ワンピース的な意味で言うところの“仲間”みたいなものが凄く大きいから、そこから外される事の恐怖っていうのを中心に置いた方が上手く機能すると思うんだけどね。
「警察を入れたがらない学校も問題」(コメント)
うーん。
学校にそこまでの機能をさせるのが無理だから。
せっかく反政府組織も無くなって、公安もやる事が無くなったんだから、警察の仕事の半分は学校に持って行ってもいいんじゃないかなって思うんだけどね。
俺は、交番は学校に作るのが、一番いいと思うんだけども(笑)。
そうしたら、無理なく学校に警察を入れれるじゃん。
いわゆる副担任は警官にしちゃえばいいんだよ(笑)。
それぐらい“学校”というものの構造を。
“学校”っていう聖域があって、その中は悪い大人も入らないし、警察も入らないし、“大人の社会の汚い理屈”を持ち込まないってやっちゃうから、“子供の世界の、大人より汚い理屈”が横行しちゃうわけだよ。
だったら、大人の社会の中の一部を出張所に入れてさ。
最近は、あるわけじゃん。
定年で辞めたお父さんとか、そういう人たちとか、職人とかを学校に入れて、教師としてやるとかをやってるけども。
もうちょっと必要なのは、“外部の目”が入るって事で、その“いじめ問題”みたいなものが、どう作用するのかっていう実験が、俺は見たいよね。
だから、学校の中に警察を入れたモデルケース。
学校の中にコンビニを入れて、学校の中に警察を入れて、っていうような。
それで、学校で教室を移動する時とかは、全部、Suica(スイカ)みたいなパスカードが必要で、それが無いと教室のドアが開かないというような。
そういう超管理社会みたいな学校の方が、俺らは楽に生きれると思うんだけどね。
弱者はルールによって守られるものだから。
「ルールが厳しすぎたら窒息する」とか「ルールで縛るな」っていうのは、強者の理論でしかない。
弱者はルールによって守られるのが、現代の世界のあり方だからさ。
弱者であればある程、監視カメラを山のように付けて、すべてをナンバーで管理してと、大声で叫ぶべきなのに。
何で弱者ほど管理を嫌うのかね。
俺は絶対に逆だと思うんだけどな(笑)。
「刑務所と一緒の考え方だよ」(コメント)
うん、そうだよ。
だから刑務所の中では、世間よりも犯罪率が少ないじゃん(笑)。
この世界の刑務所化が、我々の幸せに繋がると思うんだけどね。
・・・
そんな事を、まともな提案というよりは“思考実験”として考えると、このニューヨークの条例の話も、どんどん面白くなってくるんだけどね。
たぶん、いろんな人がいろんな実験をしないと、もうどうにもならない段階に来てるんだよ。
「どうすれば、いいだろう?」とか「どうするのが、正しいんだろう?」とか、「本来、人間とは」っていう議論は、もう30年間もやってて、いっさい何の効果も無いのが分かってるじゃん。
俺が昔から言っている「有能なヤツを政治家にするのは、もう止めよう」と一緒。
「一番 有能なヤツを政治家にする」という事を明治維新 以降、100年もやって、何の効果も出てないからさ。
「政治家は一番 無能なヤツでも出来る仕組みにした方がいいし、官僚も無能のままでいいから、AIに任せろ」っていうのは、前回から言ってるんだけども。
もう学校も同じだよ。
社会も同じだよ。
もうここから先は議論じゃなくて、いろんな実験っていうのをやっていって、それの効果を見るしか、俺たちの社会は出口は見えない。
そうなってると思うんですけどね。
と、いうような話を考えてみました。
コメント
コメントを書く(ID:3375172)
将来に何の影響も無いと思うからいじめが発生する要因になってると思う
一番ガンなのが学校が極めて閉鎖的な組織構造になっている点
いじめられている子も学校・親となんらかの形で学校に関わる相手とは相談しにくい所があるんだろう
だから、外部にそうした相談できる機関(学校とは無関係)を設置して、そこを駆け込み寺のように機能させる
当然調査権限も与える(学校の教師が役立たずなので何も期待していない)
情報は調査後ある程度開示する
当然、文部科学省にも報告する、文部科学省は是正命令を学校に出す
学校側が一定期間内に是正報告できない場合は、場合によっては校長や校長の解任、学校認可取り消しをする
文部科学省と学校の癒着は問題なので、大臣解任・更迭できる制度も構築する
これぐらいはやれ
(ID:3970753)
引っ越しは糞餓鬼家が全額負担し、虐めていた子に慰謝料を渡すこと。
罰金で済ませたいなら引越し+慰謝料の想定金額の2倍。刑務所送りなら通常刑期の2倍。もちろん服役中は刑務作業をし刑務所の負担は牢屋の場所を使う程度に軽減させる事(屑に払う税金無し)。
しかし、例え国がこの法案を通しても肝心の学校側はいじめを隠蔽するから実質形骸化する(臭い物に蓋をしたい学校側はいじめではないのでこの刑罰を与える必要はありません、とか絶対言う)だろう。なのでこの法案より先にいじめを隠蔽した学校に罰を与える法案を作る必要がある。
最低でも「学校名と担任、教頭、校長の最低3名の名前を公表」または「学校名と関係者の名前を伏せる代わりに学費の10倍以上を慰謝料として払う」くらいの重罰にしないと隠蔽体質は治らないと思う。
糞餓鬼の行動より、学校側の隠蔽体質こそがイジメ問題最大の障害だと私は思う。なので最初に挙げた糞餓鬼家族への重罰はいじめをいじめと認めたうえで開き直るのを防ぐ目的の罰として異例に重い罰に設定した例である。重罰回避は示談とかあるしね。
(ID:3023100)
>ワンピース的な意味で言うところの“仲間”みたいなもの
というところで不覚にも笑ってしまった。