令和の時代に骨法を堪能しろ! 矢野卓見のDropkickニコ生配信インタビュー第3弾。90年代の格闘技界を妖しくリードした喧嘩芸骨法の裏話の文字起こしをペチペチとお届けします。 骨法が好きか、嫌いか、ハッキリさせろ!
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・ヤノタクこと矢野卓見の「骨法の祭典2020」<前編>
・矢野卓見の「骨法の祭典2020」<後編>
・【骨法総括第2弾】矢野卓見「俺は試合に勝っちゃいけない存在だった」
ヤノタク 今回はまずそ俺と大原(学)さんの関係を話したいと思います。
ヤノタク それまでは小柳津(弘)さんがエースだったんですけど、合宿のトーナメントで大原さんが小柳津さんを破って優勝しちゃったんですよ。
――そのトーナメントはどういう試合形式なんですか?
ヤノタク 拳の殴打なしで、頭突き、ヒジ打ち、金的ありのルールですね。
――アマチュアで頭突き、ヒジ、金的ありって凄いですね!
ヤノタク そこで大原さんが小柳津さんに勝ったことで時代が動いた感が出て、2人のライバル関係が始まったんですけど。大原さんは最初は一般道場生だったので、稽古終わりに一緒に帰っていたりしてたんですよ。大原さんのアパートで話をすることもあったり。 そこで大原さんから「寝技で勝っちゃいけないんですかね?」という相談をされて。
――どういうことですか?
ヤノタク 大原さんに詳しく話を聞くと「骨法の技を出せ」と言われたと。
――ああ、なるほど。大原さんは基本的に柔道ベースですよね。
ヤノタク 忖度するという発想がなかったので「勝てるのが一番なんじゃないんですか。どんな技でも骨法の選手が使えば骨法になるし、そのときに使える技が一番正しいんだからそれでいいんじゃないんですかね」と答えて。第2回の「骨法の祭典」のトーナメントでも大原さんが勝って骨法最強の座につくんですけど。その後、大原さんは道場を休会しようとしてたんですよ。理由は生活費の借金がかさんじゃって働いて返そうと。でも、先生からするとトップに立った人間がいきなり休まれるのは困るじゃないですか。そこで先生は借金を肩代わりしてやるから骨法の寮生になれと。
ヤノタク 大原さん本人に聞いたわけじゃないですけど、200万ぐらいあったとか。
――けっこうな金額じゃないですか!
ヤノタク ただ、大原さんは寮生になることを凄い嫌がってたんですよ。 あんまり寮生のことの好きじゃなかったみたいなんですよね。人間関係があまり信用できないっていうことで「ゲシュタポ」呼ばわりしてましたからね(笑)。
――何か密告されるんじゃないかと(笑)。
ヤノタク 大原さんって俺のようにベラベラとは喋らないですけど、朴訥な感じでストレートに言うんですよね。まあ結局、大原さんは寮生になっちゃうんですけど。大原さんは寮生になる前は警備会社でアルバイトしてたんですよ。そこの同僚に豊登がいたんですよ。これはビックリなんですけど。
――日本プロレス2代目社長にして、力道山や猪木さんと縁のある元プロレスラーの豊登が!
ヤノタク 大原さんは豊登と凄く仲良くしてたみたいで。
――それは警備会社の役員とかじゃなくて普通に働いていたんですあ?
ヤノタク そうみたいですね。
――豊登さんも苦労されてたってことですかね。
ヤノタク 羽振りのいいときはよかったと思うんですけども、晩年は……。 大原さんは豊登から昭和プロレスの裏話を聞かせてもらってたみたいですね。ボクが覚えてるのは、 力道山が道場で馬場、猪木、大木金太郎の3人にガチンコやらせたらしいんですよ。試合展開や結果は聞いてないんですが、大原さんいわく「馬場が1番弱かったと聞いた」と(笑)。
――な、なるほどお。
ヤノタク 力道山はジャイアント馬場があまりにも弱すぎるから「一般人にケンカを売られて負けちゃうんじゃないか」って心配してたみたいですね。
――力道山ってそのへんを心配する人ですよね。 プロレスラーはナメられちゃいけない職業ってことで。
ヤノタク 猪木さんはそういうエピソードを口にしないので、プロレスラーは墓場まで持ってくんだなって。
――墓まで持ってかなきゃならない話を警備会社のアルバイト仲間に教える豊登!(笑)。
ヤノタク だからこんなのは書き起こしで載せられないですよね。
―― 大丈夫ですよ、しっかり載せますよ!
ヤノタク 本当ですか。
――みんな鬼籍に入られてるから、いいんじゃないんですかね。
ヤノタク いやいや、猪木さんは生きてますよ(笑)。
――それにあくまで「豊登さんの証言」に過ぎないですから。
ヤノタク 高島学さんが言ってるのと変わりないですよね(笑)。
――解決策としては「高島学さんが言っていた」っていうことにすれば、それっぽく聞こえていいんじゃないですかね(笑)。
――前回の続きなんですが、寝技で頭角を現しながらも堀辺師範に認められなかった矢野さんは、ゲシュタポこと寮生と乱闘になったとか……。
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コメント
馬場猪木大木の話はどこかで聞いたことありますね。確か馬場対大木はヘッドバットで馬場の戦意喪失、大木対猪木は猪木が寝技に持ち込んで15分で力道山がドロー宣告、馬場対猪木は行われず、とか。
猪木が骨法で浴びせ蹴りを学び、その後山田や船木が掌低を使い始め、ターザン山本が週プロで堀辺を新時代格闘技の論客的に扱い骨方が時代の最先端の格闘技の様な錯覚の時代が確かに有った。
しかし掌低も三角の構えも足の裏で蹴る技術も今は無い。
骨法はMMA時代の極真を目指したのだろうが創始者堀辺と門下生の実力不足で砂上の楼閣に終わった格闘技。確かな歴史を残した極真空手には遥かに及ばない名ばかりの格闘技。
そんな中で矢野氏や大原氏は良く頑張ったと思う。
なんか骨法ってある種の宗教の様な感じがする。