アントニオ猪木の元・娘婿で新日本プロレスの社長を務めたサイモン・ケリーインタビュー。間近で見た新日本プロレスの実態とは?
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――猪木さんとの関わりは、サイモンさんの幼少の頃から始まったんですよね。
サイモン 一番はじめはボクが幼稚園の頃ですね。ボクが(猪木)寛子と同じインターナショナルスクールに通っていたのがきっかけで。
――猪木さんの娘さんの同じスクールに通っていた。それは猪木さんが経営していたという幼稚園ですか?
サイモン いずれはそうなる幼稚園なんですけど、自分が入ったときにはまだそうなってなかったです。のちに猪木さんと、そこの園長先生が仲良くなって「小学校を設立しましょう」と。その小学校に猪木さんがお金を出したらしい、という話は聞いたことがあります。その学校はいまでもあるんですけど。
――いまでもあるんですか。
サイモン 猪木さん自身はもう経営から手を引いている……というか、そもそも当初から経営はしていなかったのかな? ただ、当時の新日本プロレスのパンフレットには、サマーランドで選手たちが子どもたちと一緒に餅つきをやっている写真が載っていたはずなんですよ。あの子どもたちは、その出資していたインターナショナルスクールの生徒だったはずですね。
――インターナショナルスクールとの付き合いは深かったんですね。
サイモン まあでも、いつもの猪木さんらしく、いざスタートしたら知らないあいだに次に興味のあるものを見つけてフェイドアウトしちゃうというか。すべて他人にあげちゃうのが凄いなって。だって、その学校はだいぶ成功して何回も増築して、いまではけっこうな規模になっているらしいですからね。
――その当時にインターナショナルスクールに出資するなんて、さすが猪木さん目の付けどころが早いですね。
サイモン タバスコも、ひまわりナッツも、みんなそう。マテ茶なんかも昨今の健康ブームで注目を浴びましたけど、猪木さんは20~30年前からやっていたわけですから。
――そこから猪木さんとの距離は近くなるんですか?
サイモン もう家族ぐるみの付き合いをしていて、ゆくゆくは同じマンションに住んじゃうんです。猪木さんが代官山のマンションに住んでいた時代に「下の階が空いたから来なさいよ」と。それでボクの家も引っ越して近所付き合いをするようになって。
――親密どころの話じゃないですね(笑)。
サイモン だから猪木さんの家にはよく出入りしていました。猪木さんが家にいることはあんまりなかったですけどね。倍賞美津子さんも女優として忙しくされていたので、いつも美津子さん側のおじいちゃん、おばあちゃんがいました。美津子さんの仕事が忙しいときに来てもらってたみたいで。
――新日本のプロレスラーの出入りはありました?
サイモン ちょうど高田(延彦)さんが猪木さんの付き人の時代だったので、高田さんとはよく顔を合わせましたね。あとは山崎(一夫)さん、前田(日明)さんにも会ったかな。
――のちにサイモンさんがプロレス界で仕事をするようになったときに、新日本プロレスの選手たちもサイモンさんのことも覚えていたんですか?
サイモン 対面したときは、何秒か止まっての「…………ああああっ!」みたいな(笑)。
――その時代の猪木さんはどんな印象でした?
サイモン とにかく熱心に練習されていた印象ですね。巡業や試合がなくても野毛の道場に行って練習をされていて。当時、猪木さんはキャデラックに乗っていたんですけど、ボクら子どもたちは後部座席に乗って、猪木さんの運転で道場に行ったこともありますよ。
――へえ~、本当に道場が好きだったんですね。
サイモン もう年がら年中練習で。多摩川をずーっと走っていたり、子どもの頃だったからそういう姿を凄く覚えています。あとは試合がある日は後楽園ホールや蔵前国技館にも連れていってもらったことがありますね。スキー場や遊園地で新日本プロレスの興行があるときは家族でみんなで行ったり、地方興行でも選手バスに乗って連れていっていただいたり。移動バスの中で坂口(征二)さんや長州(力)さんが「子どもいるから子ども用のビデオを入れてやれ」「チャンネルを子ども番組に変えろ」とか言っていたことも覚えてます。
――その後、サイモンさんはお父さんの仕事の都合で海外に行かれるわけですよね?
サイモン じつはその前に父はアントントレーディングで働いていた時期があるんですよ。
――あ、そうなんですか! アントントレーディングとは猪木さんがひまわりナッツやマテ茶を輸入を手がげていた会社ですよね。
サイモン 父はコカ・コーラとペプシの仕事で日本に来たんですけど、その後、1年間ぐらいアントントレーディングで働いていて。でも、経営がムチャクチャすぎて離れたんですけど……(笑)。
――ハハハハハハハ!
サイモン もう一度コカ・コーラに戻ったんです。海外には2年ぐらい韓国に行くことになったんですね。その時期は新日本プロレスのことは何も追ってないし、また日本に戻ったときには、もう猪木さんと美津子さんが離婚されちゃってましたし……。
――ちなみに、お父さんはアントントレーディングで何をやっていたんですか?
サイモン ボクもハッキリとはわからないんですが、たぶんマーケティングかな? 猪木さんってアイデアはたくさんあるし、動きが早いじゃないですか。だから、周りにちゃんとマネジメントして、猪木さんをコントロールしながらも自由にさせてあげる人がいたら、事業ももっと上手くいっていたのかな……って。
――参謀がいるかどうかは今も昔も変わらないですね。
サイモン ちょっと話は飛びますけど、寛子と結婚したあとに自分が「猪木さんと一緒にプロレスの仕事をやる」と言ったとき、父には大反対されました(苦笑)。
――そりゃそうですよね(笑)。
サイモン しかも美津子さんからも反対されました。「絶対にそれだけはやめて!」と。父も美津子さんも口を利いてくれなかったです。
――ハハハハハハ! それはいい話だ!(笑)。
サイモン ボクの父も猪木さんのことは大好きなんですけどね、仕事になると別ってことですよね。でも、ボクもなんとかプロレスの仕事を続けていくと、父も美津子さんも「本当に好きでやってるんだな、それならしょうがない」ということで許してくれたんだろうと思います。
――美津子さんも、いろいろと苦労されたから反対されたんでしょうね。離婚の理由のひとつに猪木さんの莫大な借金があったという話ですし。
サイモン 美津子さんは本気で怒ってましたからね。離婚の原因はハッキリとは知らないですけど、本音はお互いに愛が残っているなと感じることはありましたから。
――愛がなかったら、美津子さんが新日本の東京ドーム大会にサプライズ登場したりしないですよね。02年5月3日の新日本プロレス30周年記念大会のときですけど、猪木劇場の最中に猪木さんにはシークレットで現れて。
サイモン ああ、あれも自分たちが仕掛けたサプライズだったんですよ。猪木さんには完全に内緒で。
――そうだったんですか! 猪木さんが公共の場で素で驚いたという貴重な瞬間でした(笑)。
サイモン あの大会の準備段階のときに美津子さんがたまたまボクらの住んでいたロスに来たことがあったんですよ。その頃はちょうどボクがプロレスの仕事をすることも認めてくださっていて、新日本プロレス立ち上げ当時の話とかをいろいろ聞かせてくれるようになったんです。「昔はお金なくて苦しかった」「アンタたちもお金がなくて大変だろうけど頑張りなさい」みたいな。
――いい話だなあ……。
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あーよかった
続くのね