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【第33回】政治家に訊く:清水信次

2010/05/11 17:16 投稿

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───────【基本情報】───────

名前:清水信次(しみず・のぶつぐ)
政党:民主党
選挙区:参議院全国比例区
生年月日:1926年4月18日
お気に入りの店:スーパーマーケット ライフ
ホームページ:http://www.shimizu-nobutsugu.jp/

───────【質問事項】───────

─第二次世界大戦が終結したのは清水さんが20歳になる前のことですか?

 戦争が終わったのは19歳の頃です。1945年8月15日には特攻隊の本土防衛特別攻撃隊の基地にいました。9月1日には九十九里の海岸に赴く命令をうけており、その時点で100%死ぬものだと覚悟していました。

 陸海軍の特攻隊で死んだ多くの若者は予科練(海軍飛行予科練習生)と少年航空兵です。数ヶ月間訓練した後、爆弾を積んだ飛行機に乗って米国空母や戦艦にアタックするのです。我々の訓練内容も同じように地雷を抱え、上陸してくる米国軍の戦車に飛び込むものでした。私の同期生は台湾や沖縄、フィリピンなどで大勢死んでいました。

─戦争が終わった当時の街の状況を覚えていますか?

 大阪では見渡す限り焼け野原が広がっていました。当然のことながら、焼け野原には何にもありません。自分の寝るところもありませんから、旧大阪駅のガード下で野宿していました。まわりには戦災孤児がたくさんいました。朝起きると彼らの幾人かはそのまま動かなくなっていることもありました。ひどい時代でした。

─大阪の闇市場が清水さんの流通業の原点とうかがいました

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 戦後日本の流通は闇市場から始まりました。焼け野原には商店もなければ会社もない、決定的にモノが不足し、そこで現れたのが闇市場です。闇市場が運び込む食料や物資によって庶民の生活が支えられていました。

─貿易が自由にできない時代ですね

 1945年8月から1952年サンフランシスコ講和条約ができるまで、日本は"OCCUPIED JAPAN(占領された日本)"と書かなければ輸出できませんでした。特に1950年の朝鮮戦争まで取り締まりは厳しかったです。

─具体的にはどんな品目を取り扱っていたのですか?

 1950年の朝鮮戦争の頃に東京にきて、チョコレートやネスルの粉コーヒー、バンホーテンのココア、フランスからブランデー、イギリスからウイスキー、MJBの缶コーヒーなど大阪では出回ってないものに出会いました。私が取り扱っていたのは輸入品ばかりです。

 輸入品は占領軍と一緒に来日した米国の政商が取り扱っていました。占領軍から輸入ライセンスをもらうことができれば、海外から商材を引くことができました。軍用物資として船に積んでくるので関税はかかりません。バナナ・オレンジ・グレープ・レモンなどを輸入し、品物は右から左へとどんどん流れていきました。輸入事業で得た資金が、後のスーパーマーケット事業につながってきます。

─戦後日本の復興、経済成長とともに歩んできたのですね

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 残念なことに現在の政治家や行政官、経済人の中に戦前・戦中・戦後の日本復興の過程を知っている人はほとんど残っていません。知っている人は80歳以上で、現役の人はほぼ皆無です。

 最近は沖縄の基地移設問題でもめているようですが、戦争のことを知っている政治家はいませんね。

─基地移設問題について、依然沖縄に駐留米軍がいることはどう思いますか?

 異常です。1968年以降42年間も世界第2位の経済大国といっていながら、米軍に基地を提供して守られているなんて、まるで保護領です。

─理想的な解決方法はありますか?

 米軍が撤退することです。日本は自分で自分を守るべきです。

 日米安全保障と日米同盟は違います。もし本当に日米同盟の必要性を訴えるであれば、アフガニスタンやイラクへも軍隊を出すべきです。一緒にたたかわなければ同盟とはいえません。米国兵が一緒にたたかっていない日本を助けるために死を覚悟して守ってくれると思いますか。

 本来はソ連が崩壊した後、日本は1945年まで間違えてきた国策について反省し、自立する方向性を打ち出すべきでした。しかし今からでも遅くはありません。

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 「アメリカさん、ありがとう。お世話になりました。65年間受けたご恩は忘れません」と機嫌良く帰ってもらったらいいのです。いまこそ"Thank you very much , Good-bye America"と言う時です。

─今後参院選を経て、国会で実現したいことはありますか?

 日本の国の将来はどうあるべきか、政治的にも経済的にも自立した国家像を描く必要があります。

 当選することになったら、党は私をどの役職につけたらいいか困るでしょうね。特別顧問あたりで若い議員にアドバイスしていきたいです。

2010年5月11日、《THE JOURNAL》編集部取材&撮影

【関連記事】
《インタビュー》清水信次:いまこそ"Thank You Very Much, Good-Bye America"を(Newsspiral)

投稿者: 《THE JOURNAL》編集部 日時: 2010年5月11日 21:17 |

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