「政治はアートである。サイエンスに非ず」と伊藤博文に手紙を書いたのは、海援隊で坂本龍馬の腹心を務め、明治政府では外務大臣となって「カミソリ」と綽名された陸奥宗光である。冷戦の時代が転換する激動の時期に日米の政治を比較して見てきた私にその言葉は絶妙の響きを持つ。政治には理屈では表現できない、手触りでしか分からない部分があり、単純思考で読み解くのは難しいのである。
安倍総理から政治の「奥」を感ずる事は全くないが、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸元総理には「奥」を感ずるところが多い。80年代に政治記者として二度ほどお目にかかった事があるが、何とも言えない不思議な魅力を感じた。オーラル・ヒストリー『岸信介証言録』(毎日新聞社)を読むと、その不思議な魅力がどこから生まれたかが分かる。
岸信介は大変な秀才だった。ところが優秀な学生なら軍人を志す時代に彼は官僚を目指して東京大学に入学する。郷里の先輩の紹介で国粋主義者の上杉慎吉教授に私淑するが、天皇を絶対視する上杉教授の教えに疑問を抱き、北一輝の思想に共鳴していく。
北一輝は坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者である。その主張は、明治維新は天皇を担いで世襲の身分制をなくした民主主義革命だが不十分である。天皇は国民の上にあるのではなく国民と共に「公民国家」を作るべきだと説く。そして皇族・華族制度を廃止し、財閥と地主を解体して富を平等に国民に分け与え、男女の差別のない国家を天皇の権力によって実現するという『日本改造法案大綱』を書いた。
北一輝に共鳴した岸信介は上杉教授のもとを去り、右翼的な学生団体とも縁を切る。そして官僚になるのだが、優秀な学生なら内務省か大蔵省を目指す時代に農商務省に入省する。当時の常識では相当の反逆児である。役所でも賃上げ運動を主導して上司に逆らい、大臣からは「岸はアカだ」と言われた。
椎名悦三郎らと共に満州国政府の役人になるのも左遷と見られている。満州ではソ連を真似た計画経済を実施し、帰国後は「革新官僚」として戦時統制経済体制をつくりあげた。その仕組みが戦後になって日本型資本主義による高度経済成長を生み、世界で最も格差の少ない「一億総中流国家」をつくりあげた。アメリカの真似をして格差を拡大させるアベノミクスを「岸信介を裏切る経済学」と私がブログに書いたのはそうした意味である。
その後東条内閣の商工大臣となるが、岸は東条首相とは意見が合わずむしろ戦後社会党の中心となった三宅正一や川俣清音らと共に反東条の政治団体を作る。戦後A級戦犯として巣鴨プリズンに収容されるが、保釈されると社会党から国会議員に立候補しようとした。結局、弟の佐藤栄作がいた自由党に入るが、彼は「両岸」と言われ、どちら側にも通ずる幅広い人脈を持っていた。
自由党の中で吉田茂の対米従属路線に反対し、日本の自主独立を訴えて鳩山一郎らと民主党を結成、吉田内閣を打倒して鳩山政権を作る。次の石橋内閣の時に与党幹事長として訪米し、アメリカのダレス国務長官と交渉するが、ソ連の軍事力と比べて自主防衛には無理があり、防衛力を強化しながら安保条約を対等なものにするしかないと考えた。
それから岸は反共主義を強調してアメリカに取り入り、それによって日米対等の関係を追求するのである。同時に戦争で被害を与えたアジアの国々に対しては、謙虚に謝罪を表明し、「アジアの日本」という立場を重視した。
そのことを民主党の前田武志参議院議員が2月5日の予算委員会で取り上げた。岸元総理は社会党の加藤シズエ議員の質疑に応える形で昭和32年にアジア各国を謝罪のため歴訪し、さらに「謙虚な心のステーツマンシップが必要」というメッセージをアジアの国々に発したという。前田議員は「それを肝に銘じて欲しい」と安倍総理に訴えた。
岸元総理の戦略は「アジアの日本」を固めて、日本を占領支配したアメリカからの自立を図るというものである。そのために反共主義を強調してアメリカに取り入りながら「自主憲法」を制定しようとした。従って共産中国とは敵対関係になったが、しかし「政経分離」の原則を貫き、日本の経済的利益が左右されないようにした。
ところが安倍総理がやっている事は真逆である。アメリカに取り入るためと考えたのか、中国包囲網を作ってアジアに緊張を生み出し、緊張が高まれば結局はアメリカにすがりつくしかなく、日本の自立とはまるで逆方向を向いている。またアメリカと対等になるためと称して集団的自衛権の解釈変更を目指すが、それがアジアにさらなる緊張を生み出せば、さらにアメリカにすがるしかなくなる。 アメリカはアジアを自分のやり方でコントロールしたいと考えており、勝手に日本が尖閣や靖国や慰安婦問題でアジアの緊張を高めるのは迷惑なのである。それを理解できない政権には勝手な事をさせないよう圧力をかけるしかない。その圧力が出始めてきた。安倍総理は14日の予算委員会で「河野談話を見直す事はしない」と発言させられた。 安倍総理はこれからいちいちアメリカに振付けられる可能性がある。日本の対米自立などとんでもない。岸元総理との比較などとんでもない。安倍総理は、未熟さを露呈して国民の失望を買った民主党政権と同じ「政治ごっこ」をやっているのである。ところがそれに気付かない政治家や学者、評論家、メディア、国民がいる。これは日本全体が幼稚化している事を示す証拠だと私は思っている。
■《甲午田中塾》のお知らせ(3月31日 19時〜)
田中良紹塾長が主宰する《甲午田中塾》が、3月31日(月)に開催されることになりました。詳細は下記の通りとなりますので、ぜひご参加下さい!
【日時】
2014年 3月31日(月) 19時〜 (開場18時30分)
【会場】
第1部:スター貸会議室 四谷第1(19時〜21時)
東京都新宿区四谷1-8-6 ホリナカビル 302号室
http://www.kaigishitsu.jp/room_yotsuya.shtml
※第1部終了後、田中良紹塾長も交えて近隣の居酒屋で懇親会を行います。
【参加費】
第1部:1500円
※セミナー形式。19時〜21時まで。
懇親会:4000円程度
※近隣の居酒屋で田中塾長を交えて行います。
【アクセス】
JR中央線・総武線「四谷駅」四谷口 徒歩1分
東京メトロ「四ツ谷駅」徒歩1分
【申し込み方法】
下記URLから必要事項にご記入の上、お申し込み下さい。21時以降の第2部に参加ご希望の方は、お申し込みの際に「第2部参加希望」とお伝え下さい。
http://bit.ly/129Kwbp
(記入に不足がある場合、正しく受け付けることができない場合がありますので、ご注意下さい)
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■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
http://ch.nicovideo.jp/search/国会探検?type=article
<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。
コメント
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当時、丁度、中学生のときから、日本が平和憲法の下で、自衛力を持つのが是か非かという簡単に答えの出ない問題に思考をめぐらせたことを思い出します。
その後、反共主義が支配する中で、冷戦における米国との間合いのとり方によって日米安全条約に縛られることは、日本にとって得策なのか、友と大いに議論をした思い出もあります。
その後、日本は、米国との間合いの取り方で苦労しながら経済発展できた間は、米国に対する反感というか、抵抗はそれほど大きくはなかったが、長期に亘る経済停滞、入社形態による賃金格差による生活格差が、若者中心に大きな不満となりマグマとなっているところに、安倍総理のナショナリズムがマッチ一体化し、中韓批判からの米国批判に移っています。安倍総理に、戦略的思考があれば、それなりに理解できるのですが、、ナショナリズム、ポピュリズムを煽るだけでは、国際的世論に太刀打ちできるはずもありません。一番大きな間違いは、日本は敗戦国でありながら忘れてしまっていることです。若い人は、きちんと教えられず、終戦などと言ってごまかされているのではないか。力の解決は出来ることでなく、近隣諸国と友好関係が築けなければ、世界に認めてもらえないと、我々日本人は肝に銘じる必要性を痛感しています。
(ID:1902401)
くだらねー