安倍総理とオバマ大統領は思想も政治手法も対照的な政治家である。ところが安倍総理は日米首脳会談の後、「オバマ大統領と自分はケミストリーが合う」と発言した。それを聞いて私はのけぞりそうになったが、今回の安倍総理の発言にはむしろもの悲しさを感じる。
この総理は腹話術の人形のように誰かにセリフをしゃべらされている。日米首脳会談では「ケミストリーが合う」というセリフを、TPPでは「日本が交渉を主導する」というセリフを用意され、それを言わされているのである。実態とかけ離れていても人形だから言わされる。
「TPPの交渉力」でも書いたが、日米首脳会談でアメリカはアメリカにすり寄る安倍政権の足元を見た。だから全く譲歩しなかった。日本の農業とアメリカの自動車を並列させ、そこに「聖域」があるかのようなリップサービスはしたが、しかし「すべては交渉で決まる」としか言わなかった。
何も勝ち取れていないのに安倍総理はアメリカが譲歩したかのようなメッセージを国民に発した。「日米同盟の強い絆が戻った」と胸を張り、自民党のTPP反対派は予定通りに交渉参加を認める茶番を演じた。それを相変わらずおバカメディアが持ち上げた。
おそらくアメリカはせせら笑っただろう。安全保障でアメリカにすがりつく国が経済交渉でアメリカに勝てるはずはない。分かりきった話である。事前交渉でアメリカはまず目に見える自国の利益を最優先にした。TPPに反対するのはアメリカの自動車業界だから自動車業界の利益確保を実現した。
アメリカが日本からの輸入自動車にかける関税は当面撤廃されず、撤廃する時期も最大限後ろ倒しにされた。一方で日本は米国製自動車に輸入関税をかけていないうえ輸入手続きが簡素化される事になり、年間販売台数の上限を一型式2千台から5千台に拡大する事が合意された。これが交渉かと思うばかりの押されっぱなしである。
さらにアメリカは政治力の強い保険業界の声にも応えた。日本のかんぽ保険がアメリカの保険会社が行っている業務に進出する事を日本政府は認可しない事を表明させたのである。さらに保険分野では今後もTPPと並行して二国間協議が行われることになり、さらなる譲歩を日本は迫られる事になる。完璧なまでのアメリカペースだ。
一方、日本が重視してきた農業分野で日本は何の譲歩も勝ち取れていない。首脳会談でのリップサービスが繰り返されただけである。農業を巡ってはアメリカ以上の農業大国オーストラリアとニュージーランドが日本に対して強い姿勢で要求してくることが予想される。アメリカとしては当初から日本ゆさぶりはそちらに任せ、自分は前面に立たない作戦でいたのかもしれない。それがリップサービスの意味だとしたら安倍総理は初めからアメリカにもてあそばれていた事になる。
ともかくTPPの日米事前交渉で日本は国益を失いアメリカは国益を確保した。さすがに安倍総理もそのことには気付いているようで、「本番はこれからだ」とか「TPPには安全保障上の意義がある」とかの弁明を行っている。しかし繰り返すが、安全保障ですがりつく国を経済交渉で有利にさせる国などこの世にはあり得ない。
安倍政権はアメリカにすり寄る事でアメリカを譲歩させるアプローチを採ったが、それが間違いである事は事前協議で明らかになった。修正しないと日本は国益をさらに削がれる事になる。しかし安倍政権が自らの手でアプローチを変える事は出来ない。やれば政権の自殺行為となる。交渉局面を転換する方法は、アメリカ政府が自動車業界の強い反対を理由に有利な条件を勝ち取ったように、日本の反対勢力や反対運動を強くして、それを理由に強気の交渉に転ずる事である。
必要なのは参議院選挙でTPP反対派の議席数を増やし、これ以上日本が譲歩すればアメリカに従順な安倍政権が潰されかねないとアメリカに思わせる事だ。もしTPP賛成派が選挙に勝てば、アメリカはより強硬な交渉姿勢で臨んでくる。安倍総理が本当に国益を考えるなら、アメリカがやったように反対勢力を強めて利用するしかない。
かつての自民党は今より何十倍もしたたかだった。岸信介、椎名悦三郎らの政治家はアメリカを「番犬」と呼び、「日本を守ってもらう」のではなく「日本を守らせるために犬には時々エサを与える必要がある」などと発言していた。その一方で「社会党の議席を減らせば国益にならない」と言い、野党の反対をテコにアメリカを揺さぶった。自民党以外の政権を望まないアメリカの足元を見たからである。
しかし中曽根、小泉の二つの政権で日本の対米交渉はしたたかさを失った。選挙での大勝を狙いアメリカの要求にことごとく従う政権はアメリカに都合よかった。中曽根総理のダブル選挙大勝によってアメリカはそれまで封印してきたコメ自由化要求を打ち出し、小泉総理の郵政民営化はアメリカの金融機関に日本の国富を吸い上げさせる道を拓いた。
私はTPP交渉で日本が主導権を握ることを心底望んでいる。そのためには日本はまず中国、韓国との貿易交渉に軸足を置き、EUやロシアとの貿易交渉も重視する必要がある。そのうえで国内の反対運動を強めさせる。そうした芸当が出来なければ交渉の主導権など到底握る事は出来ず、日本はなめきられたままの国になる。
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<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
1945年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。
同年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。
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THE JOURNAL編集部
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安倍総理だけでなく、菅元総理、野田前総理も、同じ様にTPPに前のめりになっていた。日本の国益を分析するのでなく、ひたすらTPPなくしては、経済的な発展がないことを強調し、マスコミ各社も賛成の評論家を使って、TPP賛成の論陣を日々流し続けていました。何故このような現象が起きてくるのか考えるとき、この国の権力権益を握っている官僚機構、マスコミ経営者、大企業経営者、評論家などが米国の意向に従わざるを得ない構造(属国化)が出来上がっていると見るのが、妥当なのでしょうか。中国、ロシアとの覇権争いが激化している中で、尖閣問題でさえ解決できない日本政府は、安全保障を全面的に米国に依存する状態を続ける限り、お話の通り、日本の国益など主張できる立場にないと見ています。「なめる、なめられるの状況は昔のことのようで、最後の砦である我々国民も60%が支持しており、洗脳が進んでいるのを見ていると、総理という職の哀れさ、無力感が漂います。