不倫スキャンダルで浮き彫りになった「バイオグラファー」の条件

今回は大原ケイさんのブログ『BOOKS AND THE CITY』からご寄稿いただきました。

■不倫スキャンダルで浮き彫りになった「バイオグラファー」の条件
オバマ再選が決まってホッとしたのも束の間、週末を迎える前にペトレイアスCIA長官が不倫で辞職というニュースに驚愕。しかもそのお相手が彼のバイオグラファーというので二重のショック。ちょうど良い機会なのでアメリカにおける「バイオグラフィー」というカテゴリーについて書く。

日本だと、ノンフィクションというくくりの中に入れられてしまいがちだが、アメリカでBiographyといえば、少し大きめの本屋に行けば別に棚が作られていたり、ピューリッツァー賞ではGeneral Non-Fictionとは別にBiography or Autobiography*1というカテゴリーが別枠で設けられているし、全米書評家協会賞(NBCC)でもGeneral Non-Fictionとは別にBiography*2、さらにAutobiographyというカテゴリーがあるほど、「評伝」「自伝」はノンフィクションの中でも別格の扱いだということがわかるかと思う。

*1:「Biography or Autobiography」 『The Pulitzer Prizes』
http://www.pulitzer.org/bycat/Biography-or-Autobiography

*2:「Mary Ann Gwinn on “George F. Kennan: An American Life”」 2012年2月14日 『Critical Mass』
http://bookcritics.org/blog/archive/mary-ann-gwinn-on-george-f.-kennan-an-american-life

この道のプロ、つまりバイオグラファーという専門のライターももちろんいて、いちばんの有名どころだとロバート・キャロ*3以外にいないだろう。人物だけでなく、特定の時代に詳しくなると「歴史家 historian」と呼ばれたりもする。

*3:『Robert A. Caro』サイト
http://www.robertcaro.com/

スゴイのはこの人、私が覚えているかぎりの長い間、リンデン・ジョンソン大統領という、既に亡くなっていて普段は口の端にも上らないような過去の人についてバイオグラフィーを書いているという点。キャロは10年ごとぐらいに、まったく同じリンデン・ジョンソンという人について書かれた何百ページという分厚い本を発表したかと思えば、それが一般書と同じようにベストセラーリストに入って、数々の文学賞をとり、サイン会にはインテリっぽい人たちで溢れる。アメリカのフォーチュン500企業のCEOでキャロの本を読んでないとしたら、それはIT企業のギーク系おぼっちゃま君ぐらいだろうね。

バイオグラファーは緻密なリサーチと客観的な文章力を求められるので、新聞や雑誌のレポーター出身だったり、コラムニストを兼任していることが多い。

わかりやすいように、最近の作品で日本語版も同時に出たスティーブ・ジョブズのバイオグラフィー*4を例に取ってみよう。ジョブズの人となりを書いたノンフィクションはそれまで何冊も出されていたが、ウォルター・アイザックソンが書いたこの本こそが「オフィシャル」というお墨付きが付いたバイオグラフィーとなっている。

*4:「今さらかもしれないけど、書いておきたかったSteve Jobsの評伝のこと―Call it passe, but I just had to make a note」 2012年4月7日 『BOOKS AND THE CITY』
http://oharakay.com/archives/2917

オフィシャル、という名を冠するには書かれた当人の承諾が必要で、つまりそれまでに彼について書かれた本には、ジョブズを取り巻く人たちに取材はしたものの、ジョブズ本人へのインタビューがなかったり、ジョブズの周りの人から取材したことを本人にウラ取りをしていなかったり、という可能性がある。だが、オフィシャルと名乗るからには、その隅々まで本人が確認をし、また、取材時間も資料もハンパない量が必要となる。アイザックソンの本が出た時点で、ジョブズの評伝としては他の本は「格下」となるわけだ。

この先、キャロが誰のことを書こうと、それはベストセラーになるだろうけれど、日本では誰が書いたか、ではなく、誰のことが書かれているか(つまり、その人に知名度があって、日本でも売れそうか)という基準で翻訳されるかどうかが決まるため、バイオグラフィー部門の名作であっても、翻訳版がない、という作品が多い。という理由で、ロバート・キャロの本は日本語になっていない。キャロの本を読めば、アメリカのことを何も知らなくてもリンデン・ジョンソンがどういう人で、何を成し遂げたのかがわかるほど面白いのではあるが、ムリなんだろうなぁ。日本の時代小説だって、外国人が読めば面白いと思うんだけどなぁ。

不倫スキャンダルで浮き彫りになった「バイオグラファー」の条件キャロの話はこのぐらいにしておくとして、一方、今回のスキャンダルの渦中の人となったのが、デイビッド・ペトレイアスのバイオグラフィーを書いたポーラ・ブロードウェルという女性だ。件の本のタイトルが「All In」(全力投入という意味だけど、根元まで入っているという卑猥な意味にもなる)で、取材のために軍にembedded(従軍という意味だが、ベッドインを想起させる)していた、ということで、かなり親爺ギャグ的な嘲笑の的となっている。このスキャンダルを報じるタブロイド紙(エゲツなさで日本のスポーツ新聞に相当する)の見出しも、SPYFALL(最新007映画タイトルのパクリ)やCLOAK AND SHAG HER(スパイ小説を指すCloak and daggerをもじって、陰で彼女とやってたという意味)などと喧しい。

この本が刊行された今年初め頃にジョン・スチュアートの番組でインタビューを受けていた時のやりとり*5も、今から思うと意味深な部分がありすぎて滑稽だ。

*5:「Paula Broadwell」 2012年1月25日 『The Daily Show with Jon Stewart』
http://www.thedailyshow.com/watch/wed-january-25-2012/paula-broadwell

それより、自分に陶酔しちゃっているこの様はどうだろう。ペトレイアスより二回りほど若くて、この美貌。写真だけだと、日本人的には「そんなに美人かなぁ?」という感想を持つかも知れないけれど、この人の経歴を聞いて驚け。高校のヴァレディクトリアン(卒業生を代表してスピーチする人のことで、最も優秀とされた生徒がやる)でホームカミング・クイーン(ミスコンみたいなもの)、ウェストポイント(全米トップの士官学校、文武両道の教育がすごい)卒、ハーバード大のケネディースクールで修士、イケメンのお医者様と結婚、かわゆい子どもが2人。いかにもイケイケで押しの強い「アルファ・フィーメイル」、といった人。おしとやかな物静かな可愛い子を良しとする日本人男性が相手にしたらタジタジしそうなタイプ。

おおよそ人生で手に入るものは全て掌中にしてきたであろうこの女性に、ひとつだけなかったのが「名声」。それが、ペトレイアスの取材をしているうちに、彼の名声までもが自分のものだと勘違いしてしまったのだろう。最後の方では、ペトレイアスが出席するイベントに顔パスで突入しては、居合わせた人の写真にいちいち入り込んでいたらしい。

ペトレイアスが「たかが不倫ぐらい」で即辞職するのがよくわからない人もいるかもしれない。だが、他の政治分野のポストと違ってCIAやFBIなどで国家機密を預かる人間には、トップ・クリアランスという特権が与えられるので、その分、脅しの材料になりそうな事情を抱えている人は排除される。普通に借金があってもダメなのだ。

一方の女性もこれから身辺調査の対象となる。ペトレイアス氏のEメールを読むほど親しくなったと公言している以上、その過程で国家機密と知りながらアクセスしていたとわかれば厳しい処分が待っているだろう。

私は全然美人でも何でもないけれど、仕事を通じて地位の高い魅力的な異性と出会う機会がないでもない。特に日本の仕事だと「一杯傾けながら」「食事のついでに」と、夜+酒という危ないシチュエーションになりがちだが、これまで同業の男性とそういう関係になったことはないと断言できる。でも、それは意図的に「そういうことはしない」と決めてケジメをつけてきたからかもしれないし、単に自分の仕事も相手のキャリアもどうなってもいい!という人には会ってないだけかもしれない。それにしてもこのスキャンダルで腹が立つのは、この「バイオグラフィー」というジャンルにドロを塗ったこの女性のプロ意識の無さ、なんだな。個人的には。

* * *

後日談として、出てきたアップデートでは、そもそもブロードウェルがペトレイアスを知るもう1人の女性に勝手にジェラシーを感じたのか、執拗に嫌がらせメールを送ってきて、しかもそれがペトレイアスのGメールアカウントから届いているように細工していたことからこの女性がFBIに相談したところブロードウェルとペトレイアスの関係が発覚したらしい。アホですねぇ~。で、All Inを読んだ人たちから「こんなにベタ褒めなのはバイオグラフィーじゃなくてhagiographyだろ」という鋭い指摘が。

執筆: この記事は大原ケイさんのブログ『BOOKS AND THE CITY』からご寄稿いただきました。

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