パルパル&ロケッタ 全1巻 (ヤングキングコミックス)

 おがきちか『パルパル&ロケッタ』を読む読む。

 玉の輿を狙う乙女勇者のパルパルの冒険を描くライトなファンタジー。

 どうということはない話ですが、さすがに面白いです。

 『Landreaall』のほうはいまいち停滞気味の展開だけれど、この先、どう動くか楽しみではある。複雑化する一方の物語が解決を見る日は来るのだろうか。

 さて、前回の記事に続き、きょうは「自由」の話をしたいと思います。

 きのうは「選択肢の多さ」こそ自由であると話しました。

 ひとは一般に自由を目ざし生きるものです。つまり、取りうる選択肢を増やしていくことが人生のひとつの目標であるということになります。

 幼い頃、ひとは大人の管理下にあり、行動の選択肢が限られています。

 それが歳を経るにしたがって(責任の増大とともに)取りうる選択肢が増えていく。人生が自由になっていくのです。

 もちろん、いかに選択肢が増えようとも取りうるルートはひとつしかないので、一度にいくつもの人生を歩むことができるわけではありません。

 しかし、豊かな選択肢のなかからひとつを選んで生きている人は「自分の意志で人生を選んだ」という実感を得ることができるでしょう。

 この自己選択&自己責任の実感こそが「生きている」という感覚そのものであるのだと思います。

 もっとも、あまりにも選択肢が多い社会では、ひとは「どれを選ぶのが正しいのかわからない」という状況に陥るわけですが。

 しかしまあ、とにかく基本的には「自由であることはいいことだ」とぼくは考えます。

 この世界はフリーシナリオ&オープンワールドの超巨大MMORPGみたいなものです。

 本来、そこに「クリア」という概念はないし、したがって具体的な「目的」も存在しない。

 だから、どんな楽しみ方をしてもいいし、やりたくないことは投げ出してもかまわない。

 自分の好きなことを、好きなように遊び尽くせばいい。そういう種類のゲームであるはずなのです。

 もちろん、この世界に「クリア」はなくても「ゲームオーバー」は存在するので、死なないように生きていかなければなりません。

 しかし、