Twitterで「体罰の会」と称する団体のウェブサイトを見かけました。
http://taibatsu.com/
このアドレスからして凄いというかなんというか。taibatsu.comて。さっそく読んでみて、唸りました。おわかりかとは思いますが、体罰を防止しようという趣旨ではなく、むしろそれを推進しようとしている団体のようなのです。
ちなみにこの団体の発起人のひとりは「戸塚ヨットスクール」で有名な戸塚宏氏で、Q&Aの部分を担当しています。こんなふうなことが書かれています。
Q3 体罰は誰にでも出来るのですか? (体罰を行う側の心構え・技術etc)体罰はもしあなたが一人前なら誰でも出来ます。もし自分に自信がなければ次のようにして下さい。体罰の目的は進歩なのですから、その事を頭の中において体罰を行います。「進歩、進歩」と頭の中で言いながらやって下さい。
実に上手く出来ますから。口に出してもいいですよ。その時、丹田に意識を集中出来たら言うことはありません。
うーん、トンデモだなー。まあ、このほかにも主張の問題点を見つけることはむずかしくないと思うので、細かい批判は読者諸氏各位で行なってもらえばいいかと。少なくともいまの社会ではなかなか通用しない主張だといえるでしょう。
ぼくが知りたいと思うのは、このひとたちはどうしてこう強固な思い込みを形作ってしまったのだろうということです。世論という逆風に抗って体罰を推進しようとするからには、それだけの信念があるはずですよね。その信念はどこから来ているのだろうかと。それがふしぎです。
もちろん、かれらにもそれなりの論理は存在します。これこれこういう理屈で体罰は是認されなければならないという、その筋道はちゃんとある。しかし、こういうひとたちはロジックによって自説を信じているわけではないでしょう。
むしろ初めに自説があって、それを補強するためにロジックを利用しているはずです。いや、ひとはほんとうはだれしもそういう側面を持っているのかもしれませんが、こういった人々の場合はその傾向が強い。
だからかれらを論理的に説得することはできません。なぜなら、説得しようとすればするほど、かれらは「不当に攻撃されている」と感じ、反発するとともに信念を強化するからです。
たぶんアメリカの銃規制に関する議論なんかにも同じような問題が絡んでいるんじゃないかなあ。一見するとロジックのレベルで問題が生じているように見えるけれど、じっさいには固定観念を巡る戦いであり、だからいつまで経っても解決へ向かわない。
問題は論理よりずっと深いところに存在しているわけです。ひとはどうしてこうも固定観念を抱え込んでしまうのでしょうか?
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コメント
『バキ』を書いた板垣さんの『どげせんR』で体罰が免許制になって、免許のある教師だけが体罰を行えるという話があった。自分は、その話のように体罰を免許制にしたらいいと思います。前提として、体罰は現実的には禁止できないと思うからです。いくら禁止して、ペナルティを与えても体罰は行われるでしょう。ならば、体罰を認める。ただし、資格のある人だけにして、資格がない人が行なったら問答無用でペナルティを与える。資格を取る条件も勤続年数や校長などの推薦が必要として、体罰を行った際には親や校長・教育委員会に報告するなどしたらいいと思います。
論理は感性からはじまる。
今までも。そしてこれからも。
逆に考えてみるってのはいいですね。
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