というのも、ぼくはリアルタイムでメンヘラやっているわけで、こういうものを読んでしまうと病状が悪化する危険があるわけです。メンヘラちゃんが悪夢を見て絶叫とともに跳ね起きるところなんかまさにおれ。ぼくもよくああやって跳ね起きます。お前はおれか。
まあ、ぼくは普段、ほんとうに心を病んでいるひとが描いた漫画を読むと「ひきずり込まれる」ので、避けているのですが、この漫画も相当やばい。
基本的にはキュートな「メンヘラネタコメディ」なんだけれど、時々、描写がリアルすぎて辛くなってしまう。いや、ぼくの病状なんてそうたいしたものでもないんですけれどね。全然普通の範疇。
ちゃんと外出もできるし、遠出だってできるし。大丈夫大丈夫。少なくとも薬を飲んでいる限りは。そう、たまにちょっと死にそうになるくらいで、まだ死んでいないから全然大丈夫です。
普段から死なないように注意しているし、たぶん自殺したりする可能性はほとんどないと思う。しーんぱーいないさー♪ それでもまあ、しんどいといえばしんどいですね。ぼくより遥かにしんどいひともいることもわかってはいるのですが……。
ぼくはいま、「健康」な「ちゃんとした大人」を目ざしてはいますが、健康を目指しているその時点で「いまは病んでいる」わけですよね。むしろ病んでいるからこそ、健康に憧れるのだと云えるかもしれない。
やっぱりどうしても生きていることはしんどいわけで、少しでも健やかに生きていきたいなあ、と思わずにはいられないのです。
森博嗣の『すべてはFになる』ではありませんが、「生命なんてバグのようなもの」で、ある種、異常な状態だと思うのです。死のほうが遥かに安定している。
だから、基本的に生きていくことは辛い。しんどい。それがあたりまえだと思う。ぼくはその上で、「健康に生きていきたい」と願うわけですが、それは決して「一切の苦しみから解放される」ということではありえません。
『メンヘラちゃん』に話を戻しましょう。この物語には、メンヘラちゃん、病弱ちゃん、けんこうくんの三人の人物が登場します。主人公はメンヘラちゃんで、けんこうくんと病弱ちゃん(腐女子設定あり)のふたりは彼女を支える役どころです。三人がどうやって知り合ったのかわかりませんが……。
本書中盤で、メンヘラちゃんが、友人である病弱ちゃんが苦しむところを見て、「自分だけが苦しいんじゃなかったんだ」「今度は自分が彼女を支えよう」と悟る場面は感動的です。
この瞬間、彼女は自分だけのループしつづける思考から、つまり「ひとりだけのナルシシズムの宇宙」から脱して、ほんとうの意味で「他者」と出逢ったのだと思います。
しかし、その「孤独な牢獄」を脱出したなら、その先には「現実世界」という過酷な戦場がひろがっています。「病弱ちゃんを支えなくては」と思い込んだメンヘラちゃんが、直後、薬を飲まなくなって体調を崩してしまう展開はリアルです。
そう、「自分だけしかいない世界」を抜け出すことはゴールでも何でもなく、むしろそこがスタートなんですよね。ミクロの問題を完全に解決してなお、マクロの問題がのこるように、世界には「自分の内面の課題」を解決しただけでは解決しきれない問題があるわけです。
ちなみにメンヘラちゃんが薬を飲みたくないという気もちはよくわかります。ぼくもできれば飲みたくないし、しょっちゅう飲み忘れるから(ダメじゃん)。いや、ほんと、薬って、飲みたくないんですよねー。
なぜなら、それは「自分が病人である現実を常に突きつけてくるもの」であるからです。ただ、薬を呑まないでいると露骨に体調が悪くなることは否定できません。
ぼくは
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