二村ヒトシ『すべてはモテるためである』読了。Twitterでオススメされたこの本が超絶面白かった。同じ著者の『恋とセックスで幸せになる秘密』と合わせて読むと、「愛」と「依存」の秘密がすっかりわかってしまうかも。
タイトルだけだとありふれたモテ本のようだけれど、中身は重厚にして辛辣な「哲学書」。軽妙な調子で綴られるのは、「あなたはなぜモテない(愛されない)のか? どうすればモテる(愛される)のか?」という、きわめて深刻なテーマです。
世の中には、「それは金がないからだ」とか「容姿が悪いからだ」と答えるひともいるわけですが、それはやはり「逃げ」だし、究極的な真実とは思われない。
そこで二村ヒトシは喝破するわけです。「それはあなたがキモチワルいからです」と。おお、何という辛辣な意見。しかし、やはりそれがほんとうのところではないかと思うんだよなあ。
それでは、そのキモチワルさの正体とは何なのか。ひと言で云えば、それは倒錯した自意識である、ということになる。ペトロニウスさんがよく「ナルシシズムの牢獄」とかいうアレです。
ひとりで自意識をこじらせて腐敗させてしまっているひとはキモチワルいというのが二村さんの解答のようです。正直いって、すぐさま否定したくなる意見ではあります。懸命に悩んでいるひとを捕まえてキモチワルいとは何ごとか、と。
しかしまあ、キモチワルいものはキモチワルいのであって、これはもう、どうしようもない。もちろん、二村さんはひとり高みに立って下界を見下ろし語っているわけではなく、自分自身へのダメ出しとしてこう述べているに違いありません。
さらに二村さんは云います。キモチワルいひとは「バカ」と「暗い人」に分けられる、と。いやー、ネットに書いたら炎上間違いなしの意見ですね。いいぞ、もっと云っちゃえ。
この場合の「バカ」とは「そもそも、ものを考えるという習慣がなかったひと」であり、「暗い人」とは、「考えすぎて臆病になって、ちゃんと考えられなくなってしまったひと」のことだと云います。
どちらにしても、ひとりで自意識を倒錯させていることには違いはない。ようするに「適切に考えること」ができていないわけです。
たかがモテないだけでこの云われよう、むくむくと反発心が沸き起こってくるのを感じます。でもね、ぼくが我が身を振り返って考えると、やはりどうしても認めざるをえないのです。ああ、やっぱりおれってかなりキモチワルいかも、と。
この場合、言葉の表面の過激さに惑わされてはいけません。ここで語られていることは、あくまでも「愛するとはどういうことなのか」「愛されるためには、どのような条件を満たせばいいのか」という、いたってシリアスなお話なのです。
二村ヒトシは自分をごまかすことを赦しません。なぜなら、そういうごまかしはそれ自体がキモチワルいから。もし「モテたい(愛されたい)」という欲望があるのなら、それはなぜそうなのか? 真摯に考えてみるべきだとかれは云いたいようです。
そういう意味で、本書には「こうすればモテる」といった安易な方法論は何ひとつ出てきません。ひたすらに自分自身の「キモチワルい心のもつれ」をほどく方法が示唆されているだけ。
そういう意味では、「これを読めばモテる」的なことを期待して読むと失望させられるでしょう。しかし、「ほんとうの意味で他者と向かい合うとはどういうことか?」「どのようにすればひとと正しく触れ合うことができるのか?」を考えているひとにとっては、本書はまさしく福音でしょう。
べつだん、セックスの話がくわしく書かれているわけではありませんが、「優しくひとに触れる方法」を探しているひとには、この本は強く響くと思います。
つまりは、モテとは自意識の問題なんですよね。それだけではもちろんないにしろ、それが大きく影響する。
多くのひとは、「自分はモテない(愛されない)」という現実を前にすると、その理由を正面から問い詰めようとはしません。そこで、現実と正面から向きあってしまうと、いろいろと不都合なことがあるから、問題から逃避する。
そして、「自分を認めないのは、異性のほうが悪いのだ」というふうに責任転嫁して、自意識をこじらせてしまうわけです。そして、もともとキモチワルいそのひとは、さらになおさらキモチワルくなっていく。
ここでいう「キモチワルい」とは、ひとい不快な印象を残すということです。だれだって、他人の自意識の倒錯になど付き合いたくありませんから、キモチワルいひとがモテないのは自然なことです。
しかし、本人にはなかなかその理が見えない。「問題は自分自身の内面にある」というファクトから目を背け、ひたすら「それ以外」のところに原因を求める。
もちろん、顔が悪いとか、ファッションセンスがダサいといったことが問題であることは往々にしてあると思う。しかし、その問題を性格に把握して、しかるべき手を打てないことが、そもそも自意識に問題がある、ということなのです。
あ、これはあくまで「モテたい(愛されたい)なら」の話ですよ? ひとに愛されたいとか好かれたいなんて夢にも思ったことがないというのなら、また話は別ですね。
ようは「好かれたい、愛されたい」と思いながら、そのための適切な行動を取れないということは、どこかで自意識がほつれていたりねじれていたりするということなのです。
あるいは二村さんが書いたことを読んで激怒するひともいるかもしれませんが、それもそのひとの自意識の問題である可能性が高い。もしただ的を外しているだけの意見だとすれば、それほど怒る必要はないではありませんか?
そういうわけで、素晴らしい名著です。巻末には慶応大助教授の倫理学者との対話が収録されていて、これも読ませる。実に、実に面白い本で、かなりオススメなのです。
べつにモテについて興味はないというひとでも、一読してみると得るものはあると思う。今年が終わる頃、年間ベストに連なってくるであろう一冊なのでした。
それにしても、こういうことを書くひとが、どういうアダルトビデオを作っているのか? わたし、気になります! そこで、『マブダチとレズれ!』というレズビアンものの動画を購入して観てみました。
数百もの作品のなかからこれを選んだのは、タイトルがエロそうだったからです。それ以外の理由はない。まあ、正直、あまり期待してはいなかった。まあ、AVだしね……。
ところが、何たることか、これが、実にすばらしかったんですねー。さすがにここでその内容についてここで語ることはしませんが、いやー、なるほど、こういう作品を撮っているのか。
実に面白い。はっきり云って一見の価値ありです。ぼくは生まれて初めてAVを面白いと思った。まあ、探せばほかにも面白いものはあるんだろうけれどね。
おそらく(レズビアンものが苦手でないなら)女性にも響く作品であるはずです。というか、むしろ、これは女性のほうが泣ける内容である可能性が高い。
いやまあ、ぼくは男だからわからないけれど、たぶんそう。これを見た女性の感想を聞いてみたいのだけれど、だれか「観てみてもいいよ」というひとはいないかなあ(チラッ)。
ひょっとしたらキモチワルいと思うかもしれませんが、とりあえずぼくは感動しました。魂の慰撫と「優しくひとに触れる方法」についての作品だと思います。
「ひとがひとに触れる」ためには、自分の
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