アニメ『アイドルマスター』を見終えたわけですが――もう、この感動と高揚をどう伝えよう!と表現に迷う思い。テレビアニメを2クールも見終えたのはひさしぶりなのですが、そういうこと以上に、内容の充実と、表現の洗練に驚かされます。
否。ただよくできた、面白い作品なら、ほかにもあるかもしれない。しかし、ぼくはいま、その「よくできた」という次元を超えた何ものかに打たれ、こうべを垂れる思いでこの文章を書いています。この思いが、読んでいるあなたに届くと良いのですが。空間と時間とを超えて、少しでも伝われば良いのですが。伝わると信じて書くことにしましょう。ひとつの、かけがえのない物語について。
いやもう、良かった。素晴らしかった。本当に良かった。見終えた直後に書くとそのままの興奮が文章に乗るので、客観性という意味では良くないのかもしれませんが、それでも書いてしまおう。
いやあ、良かったね。最高だった。非常にぼく好みのものを作ってきてくれたな、という気がします。たとえばAmazonなどを見てもおおむね好評なのですが、それだけでなく個人的にもストライクゾーンど真ん中、ぼくはこういうものを見たいのだ、というその真芯を捉えてくれた作品です。
『アイドルマスター』にかんしては詳しい人がまわりにいくらでもいるので、知ったかぶるのはやめておきましょう。ぼくはこのアニメで見るまで、『アイマス』というコンテンツについて詳しいことは知りませんでした。
いくらか漫画で読んだり、動画で見たりはしているのだけれど、いずれも断片的なイメージを提供してくれただけで、それ以上の知識は得られませんでした。しかし、このアニメ版を見たいま、それらのイメージの断片たちが統合されてゆくのを感じています。
それくらい、アニメ版は傑出した出来だった。いや、単に出来が良いだけではなく、キャラクターの印象を大切に作られた作品でした。キャラクタービジネスかくあるべし、と思います。
ぼくが知っているだけでも『アイマス』は、多方面にキャラクタービジネスを発展させてきた作品です。そのなかでキャラクターの個性は多様に表現されてきたことでしょう。しかし、アニメ版『アイマス』は実にぶれないキャラクターイメージを提示します。
登場するアイドルたちひとりひとりが、まさに彼女たち自身でしかありえないような的確なイメージで表現される、そのことそのものの魅力がアニメ版『アイマス』を傑作にしているといっていいかもしれません。
と、言葉にすれば簡単ですが、つまりは仕草のひとつひとつ、表情のいちいちが、春香らしく、雪歩らしく、響らしい、そのことの素晴らしさ。そして、物語が進むにつれて、次第に「積まれてゆく」キャラクターたちの個性が、ひときわ彼女たちへの愛しさを募らせます。
「キャラクターを積む」とは、つまりその描写やエピソードによってそのキャラクターのイメージを強固にしてゆくことを意味します。ひと言で雪歩らしさ、といっても、それはひとつ「パニックに陥るとその場に穴を掘る」といったわかりやすい行動によって表されるものだけではない。ごく小さな仕草や言葉にこそ、それは表され、「積まれて」いるのです。
それはむろん、彼女たちのキャラクターたちを長く演じ続けてきた声優たちの演技によっても印象づけられたものでもあるでしょう。春香を、千早を、りっちゃんを見事に演じきった声優さんたちには拍手を。ただ彼女たちの声の演技を聴くだけでもこの作品には相応のおもしろさがあったと思います。
しかしまた、それだけでもない。この作品をハッピーにしているのは、一貫して高い水準に保たれた作画と演出です。はやりの萌えアニメに比べれば特別媚びているわけでもない少女たちの仕草が特別に魅力的に映るのはなぜなのか。それはやはりアニメーションの魔法にほかなりません。
丁寧に丁寧に「積まれた」キャラクターたちの魅力は、最終話にはたまらないものでまで高まってゆきます。
基本的にアニメ『アイマス』は一話完結で進んでゆきます。しかし、ひとつひとつのショートエピソードは少しずつ少しずつ積み重なってゆき、やがて大きな物語を展開してゆくことになります。
ほとんどの場合、各話には主役として描かれるアイドルが存在し、彼女たちの魅力を象徴的なエピソードによって描き出してゆきます。たとえば何やら映画的な展開が印象にのこる第8話の主人公はあずさであり、彼女を中心として物語は進んでゆきます。その話が終わる頃、見るものは彼女を少しだけ好きになっている自分に気づくことでしょう。
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「ちゃちな作り物といいたければいうがいい。でも、ぼくは物語を見続けるうちに、この世界がどんどん好きになってゆきました。」
同じアイマス好きとして、これ以上ないくらいに嬉しいお言葉でした。