「大人になりきれない人」の心理 (PHP文庫)

 あなたは大人ですか? こう訊かれた時、イエスと即答できるひとはどれくらいいるものだろう。ぼくの場合、三十代半ばになったいまもまだ大人になり切れたという自信をもてずにいる。

 たしかに歳だけは取った。多少の処世術も身につけた。しかし、心は幼いままだ。いや、以前に比べればいくらかは成長しているはず。とはいえ、それがはっきり「大人」といえる水準に達しているかというと、何とも心もとない。

 これはもちろんぼくだけの問題ではない。「成熟」の問題は現代日本を、というか高度に発達した近代社会を代表する大きな問題だといえる。高度な近代社会ではひとは加齢とともにあたりまえのように成熟していくことがむずかしいのだ。

 なぜなら、ハイレベルな近代社会とは、ひとが子供のままでも生きていける社会のことだからである。そういう社会で本物の大人になることはきわめてむずかしい。その結果、表面だけ大人になったように見えて、その実、中身は子供という「オトナコドモ」たちが横行することになる。

 ただ、これから説明するつもりの「似非大人」とはそれとも違う。似非大人は一見するととても成熟しているように見える。じっさいにその人格にふれてなお、化けの皮が剥がれないことも少なくない。だが、それでもかれらは本物の大人なのではなく、大人の仮面をかぶった子供そのものなのである。

 仮面。そう、似非大人はその仮面性に本質がある。かれらは「ほんとうの自分」というものを見せることを極度に嫌う。かれらにとって、真に重要なのはひとに見せたい、かっこいい、成熟した、余裕のある自分というペルソナである。

 つまり似非大人とは、常に大人の仮面をかぶり、大人に見せかけているが故によりいっそうほんとうの意味で成熟することがむずかしくなっている人間のことなのだ。

 ひとがほんとうの大人になるためには、くぐり抜けなければならない試練というものがある。それは「正しく子供であること」の試練である。正しく子供としての問題をクリアしておくことの試練といってもいい。