乙嫁語り 1巻 (BEAM COMIX)

 森薫といえば漫画好きなら知らないひとはいない作家だ。『エマ』の第一巻で登場してきた頃は、細やかな絵を描く、なかなかに巧みな作家という以上ではなかったが、いまや最も新刊が待ち遠しい作家のひとりにまで成長した。

 その森の最新作『乙嫁語り』は、遥か彼方の大地を舞台にした気宇壮大な名作である。いま、この場所から百数十年の時間と数千キロの空間を隔てた土地、後世「シルクロード」として知られる土地のとある地方都市を舞台に、物語は幕をあける。

 すべての始まりはある一家にひとりの女性が嫁いできたこと。彼女は20歳。しかし、花婿はいまだ12歳に過ぎない。不釣り合いともみえるこの夫婦は、しかしゆっくりと静かに、繊細な情愛を育てていく。ところが彼女の成果が花嫁を返せといい出してきて、と話は急展開する。いったいこの夫婦が正しく結ばれる日は来るのだろうか?

 全10巻で『エマ』を堂々の完結に導いたあと、森薫はシルクロードを舞台に、草原で生きる人々の暮らしを描いている。ヴィクトリア朝とは打って変わった乾いた土地を舞台にしているものの、服装や小物のひとつひとつから「異世界」を浮かび上がらせる匠の手際は変わらない。

 いや、『エマ』の頃と比べてもさらに細やかさを増しているようにすら思える。さすが森薫、そこらの漫画家とは比較にならない技量である。

 『ヴィンランド・サガ』といい、この作品といい、いまの日本人の生活実感とはかけ離れた世界を、単なる物珍しさではなく、敬意と愛情をもって描く作品が存在するということは、誇っていいことだろう。現代日本の漫画がいかに高いレベルにあるか、それを象徴するような作品であるといえる。

 物語はまだ始まったばかりで、『エマ』と比べてどうこう、と語れる段階にはない。だが、遥かな異郷を細密に描写する手練の、その水際立った巧みさはどうだろう。うまい、うますぎるよ、森薫。

 野を馳せるけものたちのその足音、その息遣いまでこの耳に届くかのようではないか。この地では、生と死とは、現代日本よりずっと身近にある。すべては生命のリズムに沿って、活き活きと脈動しているのである。何もかも皆、美しい。