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なぜマニュアルに沿って作っても面白い物語はできないのか?

2020/01/08 02:28 投稿

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 さて――さて、さて。ぼくはいつも、物語を書きたいと思っている。より具体的には、何か一本、面白い小説を仕上げてみたいと願っている。

 しかし、その願いは叶ったためしがない。いつも構想の段階では光っているように思えるアイディアをひねり出せるのだが、じっさいに書いてみると、哀しいかな、まるでダメだったいうことに気づくのだ。

 いつも思う。いったいぼくに欠けているものは何なのか? 「才能」というひと言で表してしまえば簡単だが、それではその「才能」の正体とは何なのか? そして、具体的にどうすれば欠落しているものを補うことができるのか?

 一生に一度でいい、胸躍る傑作を書いてみたい! そう願ってやまないぼくとしては、この哲学的に深淵な問題を考えつづけてきた。

 多くの人がいう。物語を作ることはむずかしいことではないのだと。なぜなら、物語とは、何らかの神秘的な天才の産物でしかありえないのではなく、いくつかの「パターン」の組み合わせに他ならないのだから、と。

 じっさい、これはかなりのところまで理論化されている話だ。何らかの点で「面白い」といえるストーリーは、構造にまで分解してみればさほど独創的なものではない場合がほとんどなのだ。

 あるいは文学的、ないし芸術的に斬新な作品はそのような「パターン」に縛られていないかもしれないが、そういう作品は物語的な意味では「面白くない」。すれっからしの批評家にはウケても、大衆を魅了することは叶わないだろう。そういうものなのだ。

 で、こういった「物語作りの作法」についても、たくさんの本が書かれている。それを書いているのはたとえばハリウッドの脚本家であったり、ベストセラー作家であったりするが、かれらが口をそろえていうことはひとつだ。「物語にはパターンがある。パターンを学べ」。

 これは信じるべき話だと思う。じっさい、尾田栄一郎でも宮崎駿でも、あるいは村上春樹でも、真の意味で「新しい物語」を生み出せているわけではない。

 たとえば『ONE PIECE』は構造的にはアルゴ号の「金の羊毛」を探す旅、あるいは『西遊記』の経典を求める旅、そうでなければ『宇宙戦艦ヤマト』の「コスモ・クリーナー」をめざす旅のリフレインだ。

 この場合、「金の羊毛」とか「コスモ・クリーナー」とかは、ヒッチコックがいう「マクガフィン」というやつで、ようするに何でもいい。大切なのは抽象的な構造であって、具体的な装飾ではないということ。

 たとえば、『Fate』における「聖杯」などは、典型的なマクガフィンである。あれはべつに聖杯でなくても良いのだ。極端な話をするなら、それがドラゴンボールであってもまったく同じ機能を果たす。

 だから、これらのパターンを学び、うまく組み合わせれば、どんな物語をも作り出すことができる、とハリウッド脚本家やベストセラー作家はいう。なるほど。

 しかし、ここでぼくは思うのである。たしかにそうだろう。物語のパターンを学べば、それなりの作品はできあがることだろう。だが、それでは、この世の中に山ほど詰まれている凡作の山は何なのか?

 だれでも物語作りの方法論が書かれたマニュアルを勉強し、それを身につけることができるはずなのに、じっさいにできあがった作品のクオリティに天地の差があるのはなぜなのか、と。

 うーん、なぜなんでしょうね。ひとついえることは、「表現力」が違うということだ。絵や文章、音楽、あるいはコマ割り、そういった部分のクオリティの差によって同じストーリーでもまったく違った作品になる。そういうことはある。

 なので、いくら物語が完璧でも、表現のレベルの差によって違いが出て来るということは当然のようにも思える。とはいえ、この話にもぼくはいまひとつ納得がいかない。

 表現力は一定以上のものがあっても、ストーリーの面白さがいまひとつという作品も山ほどあるからである。表現力だけでヒット作が出せるなら、小畑健のマンガが打ち切りになったりするはずがない!

 やはり一流のストーリーを生み出すことは大変な作業なのだと考えるべきだ。そもそも「面白い物語」とは、どのようなシロモノなのか?

 それについて、ぼくはこのように考えている。「受け手の感情をつよく揺り動かす物語こそ、優れて面白い物語だ」と。

 これが文学作品なら純粋に知的な喜びを与えるだけでも傑作とみなされるかもしれないが、エンターテインメントとしての物語は、受け手のエモーションを刺激する必要がある。

 それでは、どうすれば受け手の感情を動かせるのか? そのためには、シンプルなやり方だが、やはり「感情移入できるキャラクター」を用意し、その人物の情動に共感してもらうという方法が有効だろう。

 ディーン・クーンツの『ベストセラー小説の書き方』を初め、多くのマニュアルにも書かれていることだ。それでは、具体的にどのような形で感情の波を生み出すべきなのか?

 これについては、バーモント大学コンピュテーショナル・ストーリー研究所のアンドリュー・レーガン研究員のチームが「六つの形に大別することができる」と主張している。

 具体的なことはGoogleってほしいが、このチームは物語に関するビッグ・データを研究した結果、それらが以下のような形に分けられることを発見したのだという。

・ 『地下の国のアリス』(ルイス・キャロル)など、立身出世物語に見られる、感情値の「一定して継続的な上昇」型

・『ロミオとジュリエット』(ウィリアム・シェイクスピア)など、悲劇に見られる、感情値の「一定して継続的な下降」型

・ヴォネガットが説明した穴の中の男の物語のような感情値の「下降から上昇」型

・『イカロス』(ギリシャ神話)など、感情値の「上昇から下降」型

・『シンデレラ』(グリム童話等)など、感情値の「上昇⇒下降⇒上昇」型

・『オイディプス』(ギリシャ神話)など、感情値の「下降⇒上昇⇒下降」型


 これはある程度、納得がいく話だ。ほんとうに六つに分けられるのかどうかはわからないが、たしかにこのように感情がアップダウンを繰りかえす作品こそ、優れた物語といえるに違いない。

 新海誠監督は映画『君の名は。』を制作する際、感情グラフを作ってシナリオ作りの助けにしたという。その結果、素晴らしい作品ができあがった。

 この場合、感情がアップダウンを繰り返しながら、ダウンで終わる作品を悲劇、アップで終わる作品をハッピーエンドと呼べるだろう。

 で、ぼくはさらに考える。この「感情のアップダウン」の、その「振り幅」が大きければ大きいほど、物語はドラマティックになるはずだと。

 一般的にいって、「一貫して上昇」や「一貫して下降」の物語よりも、上昇したり下降したりする物語のほうが面白いはずだ。で、そのたびに「ものすごくアップし」、「めちゃくちゃダウンする」ような物語こそ、ドラマティックで面白い物語というべきだろう。

 逆にいうと、いまひとつ面白くない物語は、受け手の感情でこのビッグウェーブを描きだすことに失敗している。だから、そうなるようにシナリオを作るべきだ、という話になるのだが、どういうわけか、ほとんどの人はそれに失敗するのである。

 物語作りにも、やはり天才的に上手な人と、下手な人がいる。その差はどこにあるのか? なぜここまでマニュアル化されているにもかかわらず、「稚拙なシナリオ」や「退屈なストーリー」は生まれるのか? 多くの人たちはどこで失敗し挫折するのか?

 続く。

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海燕

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コメント

面白いブロマガが書けるのに面白い物語は書けないとはこれ如何に
会員の皆さんが海燕さんの主観を語る当ブロマガを面白いと感じるのは、海燕さん自身が「感情移入できるキャラクター」として成立しているからではないでしょうか?
もしかするとスレイヤーズや化物語のような一人称型の物語が性に合っているのかもしれませんね

No.13 59ヶ月前

面白いかどうかで言うなら、極論で言うなら「相手の感性に合うかどうか」これに尽きると思いますよ?
とある人は原作よりも二次の方が好きで見てるという、これは原作よりも二次の方がその人の「感性」に合っているからと言うわけですよ?
後、マニュアルは「基礎」とか「基本」であって「答え」じゃないからとかかな?いわゆる「技術書」とか「取り扱い説明書」みたいなものだと思うけどね?

No.14 59ヶ月前

ヒッチコックの「サイコ」ではトリュフォーが「作中に同化できるような感じのいい人物が誰もいない」という指摘に対し「そんな必要なかった」と回答している。よって感情移入できる人物の有無は面白さの決定的な理由ではない。

個人的に思うのは、面白さの原点って「普通に生きていて気付かない世界(に対する視点)、真実性(リアリティではあなく生き方、真理とか)」だとおもう。
人が思う価値観、テーマは万人にそう違いはないし普遍的でいいが、そこからどう「普段目にする世界、誰かが描いた視点から分岐させるのか」。それをどうマネジメントして料理するかという構築力が表現力そのもの。話題の「デススト」もそう。基本はただのお使いゲーだし、言ってしまえば敵もよくある幽霊退治だが、ゲームの注力したシステムとテーマに対する個々の素材の貢献度が他と格段に違うから面白い。芳文社系もそうで「けいおん」「ゆるキャン」もその趣味に対する視点、(そういう趣味を誰かに正当性を主張できるような)真実性がある
「鬼滅の刃」「ワンピース」も当てはまる。尾田栄一郎の趣味は落語とかつての仁侠映画。その人とはなんなのか?というあの時代の泥臭い真実性を色濃く反映させたから(特に初期の)キャラのセリフが一つ一つ重かった。

さらに言えばそういった構成力は芸術的嗜好から生み出されるものなので「NOT ARTY」という言葉をうのみにするのも間違い。むしろ的確なモチーフでなるべく分かりやすく伝える手段として芸術はあるものだし、芸術とエンタメ的誇張の揺らぎのなかでこそ面白さは生まれる。それはヒッチコックの「映画術」を読めば間違いではないと思う(そもそもアートを知らない人間がどうしてアートか否かを判別しようというのか甚だ疑問だけど。)

つまり、面白い話を描きたきゃエンタメじゃなくて、芸術(特に文芸)理論と人間哲学を徹底的にやれ。

因みに「SAVE THE CAT」を参考にするのはやめとけ。
こういう技法書読むときはどういう人か調べるんだけど、最低脚本賞でラジー取ってるし名誉挽回している作品はなかった。またスピルバークが作品買ったとか言ってるが当時は脚本バブルで「とりあえず買っとけ」の状態。2000~3000万ドルがざらの環境で200万ドルの価格で売買。あとは分かるな?あの技術本しか売れてない。そしてそれは「技法書の中ですごく簡単に読める」から売れたのであって正当性があるかどうかは別。あと「フォレストガンプ」をバカの勝利、とかでくくっちゃう阿呆。(ありゃ「グレイテストショーマン」や「アルジャーノンに花束を」と一緒で純粋な「人間の尊厳の賛歌」が肝だ)

No.15 59ヶ月前
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