リア充幻想の彼方へ。友達さがしラノベは「脱ルサンチマン」に向かう(かもしれない)。
さて、昨夜、LDさんとペトロニウスさんでラジオを放送しました。たっぷり3時間強、色々なことについて話しあったのだけれど、そのなかでひとつの大きなテーマとなったのが「友達さがし系ライトノベル」の話。
具体的には『僕は友達が少ない』や『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』のことです。ここ最近、タイトルそのものがテーマを表している『ぼくは友達が少ない』を初めとして、「恋人」ではなく「友達」を求める系統のライトノベルがたくさんヒットしています。
妹との関係がメインになっている『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』にしても、妹の友達さがしが重要な部分を占めていますね。もちろん、その背景には「親友」とか「ほんとうの仲間」を切実に求める青少年読者の欲望があり、『ONE PIECE』なども同じ欲望から生み出された作品だといえるでしょう。
で、この友達さがし系ライトノベルについて話していた結果、キーワードとして浮かび上がってきたのが「脱ルサンチマン」という言葉。どういうことかというと、友達さがし系ライトノベルは『僕は友達が少ない』に顕著なようにまず「リア充」を仮想敵にして話を組み立てるんですね。
その作品世界を貫く価値観として、どこかに「リア充」と呼ばれる存在がいて、そいつは幸福と充実を満喫している、それなのに自分(たち)は不幸で孤独で恵まれていないという形で社会を捉えている。
これはまあ、いままでのオタク青少年たちにとってはごく自然だった社会観ではあると思うのですが、「不幸な自分」と「恵まれたリア充」の二極構造で世界を捉えようとしているわけで、ここにあるものはルサンチマン(恨みや嫉妬)の構造だといえます。
で、ぼくはどこかで友達さがし系ライトノベルが「脱ルサンチマン」を果たすポイントがあらわれてくるのではないか、と考えているんですね。つまりはこのルサンチマンをもってリア充を眺める視点がどこかで解体されて、「リア充でなくても幸せ」「恵まれていないけれど満足」という物語が出てくるのではないか、と。
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コメント
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海燕さん、こんにちは。
私は一人が大好きで、普段できるだけ他人とつるまずに過ごしています。当然彼女なんかいませんし、唯一友達と呼べる人とも、もう10年くらい会っていません。
だからといって、そのせいで自分が不幸だとは思いませんね。漫画やアニメ、その他の趣味を満喫するだけでもけっこう幸せです。不幸だと思うことも無いではありませんが、それは友達や彼女とは無関係です。
海燕さんもすでに似たようなことを書いていますが、「友達や彼女がいないから不幸」と主張する人の真に不幸なところは、「友達や彼女がいなければ幸せではない」という、限られた幸せの価値観を持つことでしょうね。仕事、スポーツ、その他の趣味など、他に熱中するものがあれば、やたらと自分のことを不幸だとは思わなくなると思うのですけどね・・・。