田畑 佑樹 のコメント

>>5

 ご返信をいただきありがとうございます。「純粋プロパガンダ」に関し、連想されたことがありましたので余計ながら付記します。
 2020年代に入ってからの日本国においては、「銃刀法」なるものにまつわるイマジネーションが、純粋プロパガンダ的な非政治性でもって前景化するようになったと思います。これは『タクシー・ドライヴァー』トラヴィスめいた銃器へのフェチシズム=暴発待ちの童貞性ではなく、主に「カッコよく銃を持ち・使う女性」のイメージで市場に流通しています。

 そもそも Ado のブレイク端緒となった『うっせえわ』(2020年10月発表)のMVが「怒りとともに銃をぶっ放す少女」でしたが、あの曲に付けられた歌詞と動画には「まだ(当時)高校生だったはずのヴォーカリストが、職場での飲み会マナーのような些事について怒りをぶつける」というテーマから「でも、あなた未成年でしょ? その歌詞で唄われてる飲み会のこととか、あとMVでカッコよく撃ってる銃の所持とか、一体あなたと何の関係があるの?」と問われただけで詰んでしまう余地があり、いわゆる「多感な少女の思春期的反抗」の20世紀的イメージを寸分も出るものではありませんでした(当然ながら、女性が置かれている政治的境遇からの変革必要性を「多感な少女の思春期的反抗」のような旧弊なラベリングから引き離すことこそが21世紀的なフェミニズムの前提条件であり、それを基準に評するなら、 Ado に『うっせえわ』を負わせたスタッフたちも・彼女自身も同時代のフェミニズム的に失格だったということになります)。が、大きく「コロナ禍期に入ってから」としますが、「日本国籍の少女ふたりが、職業性を帯びた任務として銃を扱う」テーマの作品が実写映画とアニメの両方で立て続けに出てきまして(前者の実写映画は2021年7月/後者のアニメは2022年7月発表。ちなみに、後者のアニメの第1話が放送された翌週に安倍晋三が射殺された)、それらの作品たちは、いわゆる「リベラル」な作品評価軸を持つ人々の間でも高く評価されました。
 トカレフとマカロフの違いさえ解らない私のような銃アイスから見ると、先述の作品たちは「銃器なるものがもたらす小児的万能感のあられもない表出」、およびその気持ちよさの享受を目的とするソフトポルノ(←一般的リビドーに置き換えてより正確に喩えるなら、性欲グツグツの中学生なら問題なくオカズにできる程度にはエッチな少年誌連載漫画。くらいの質)にしか映らなかったのですが、それらの作品は、とある「銃をはじめとする兵器がもたらす愚かさをテーマに据え続けている世界的ゲームクリエイター」や、「主にUSA経由でリベラリズムやフェミニズムの一般性を身につけるようになったラッパー兼映画批評家」からも無邪気といってよいほどの絶賛を受けており、そのさまを見た私は「えっと……あなたがそれを好きになること自体は別にいいんですけど、それは日本国に厳然と存在する銃刀法という、暴力の直接的激発のストッパーを “想像的に” 排除してよい、という態度の表明に他ならないのでは……」と思ったのですが、現在においてもそれらの作品群は好評を得・続編も予定され続けており、ああこれは指摘しても解離されるパターンだからもう無駄だな……と諦めたことがありました。
 しかし、 Ado の『うっせえわ』が「多感な少女の思春期的反抗」の枠におとなしく収まっていたのに対し、ここで述べた実写映画やアニメは前提として「いいね? ここはいくらでも好きなように銃を扱える世界だ。銃刀法なんてつまらないものは一旦忘れるんだ。そんな現実の世界よりずっと心踊るものを見せてあげるからね」と懐柔しにかかる構造を備えており(というか、作り手当人たちがそのような心性をフェチシズムと併せ持っていたとしか思えない)、隔世の感があります。「銃ってカッコいいぜ」の精神が男の童貞性から少女の刹那性に輸出され、それで問題なく機能するようになったこと。あれほどマリファナやアシッドを絶対悪とし・ドラマやアニメやマンガの登場人物にさえ使わせない(使わせるとしたら必ず「堕落」や「頽廃」のラベリングが伴っている)日本人が、銃器に関しては現実の法律無視で実写・アニメ問わずキャラクターたちに持たせてぶっ放させて耽溺してしまえること。など色々ありますが、最も呆然とさせられるのは、「銃のイメージがもたらす気持ちよさに躊躇なく耽溺してしまえる人々がこんなにたくさんいるなら、いつか現実の銃刀法もなくなっちゃうだろうなあ」と自然に思わされてしまうことでした。これがゲッベルス的な20世紀プロパガンダなのか/21世紀的な純粋プロパガンダなのかは判然としませんが、少なくとも前者の「仕組んだ政治家/踊らされる大衆」という陰謀論的二分法で対処できる代物でないことは確かです。

“SNSは、ちょっと前まで、悪いやつを消せる。と、特に根拠もなく思い込んでいました。が、結局、消すことは出来ず、ヤバい人を押し上げる力が証明されてしまった。これだけでも、プロパガンダについて落ち着いて考え直すべきだと思いますし、あらゆるエンタメに対しても然るべき形で処すべきだと思います。” という菊地さんのご指摘に触発されるかたちで書いてみましたが、この間にもX上では兵庫の投票結果をもたらした大衆的心性をナチスのプロパガンダになぞらえるお定まりのルーチンが可視化されており、その「管理された欲望」にまつわるイマジネーションの貧困ぶりに驚かされます。「管理された欲望を管理する構造」まで考えろとは言いませんが、菊地さんの“プロパガンダについて落ち着いて考え直すべきだと思いますし、あらゆるエンタメに対しても然るべき形で処すべきだと思います。” という得難く冷静な視点には寄り添うものかもと思い、ひとまず縷述してみました。
 ここで私が述べた内容が『七瀬』シリーズの内容分析にも使えるかどうかは解りませんが、2020年代以降に銃を扱う主体として執拗に求められたのが「若い女性」で、それが『セーラー服と機関銃』的に率直な男性側のリビドー暴発とは異なった質であることが重要かもと思います。


追伸:
 いただいたご返信のなかで、池澤春菜さんのお名前が父親の「夏樹」にされていますが、これは菊地さん側のフロイディアンスリップとしても面白いと思いました(笑)。意地の悪い指摘ですが、池澤春菜さんのように「優秀な文化的父親を持ち、その資本を潤沢にあてがわれて育った女性」は、こちらの愚見として述べた「根本的に母性憎悪/少女崇拝なスタジオジブリ作品に熱烈な移入を抱いてしまう女性」のプロファイルとして典型的な例なので(笑)。

No.11 1ヶ月前

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