「髪が自然に染まる話」 

 

 年末にゴダール特番をTFMでやり(結局「出ただけ」になったが)、特に浅田さんとの対談は独立して文字起こしされ、エレキングブックに再録(?)されたけれども、こういう言い方はどうかと思うが、恐ろしいほど反応がなかった。

 

 因みに最近「恐ろしいほど反応が良かった」のは、ブルータスのジャズ特集の、しかも先走りのウエブ版の方で、まあまあこれは、特集の面子を睥睨するに、真面目に「今は東欧系のプログレ寄りアンビエントーーペッター・エルド等ーーが流行ってますが、それって基本的にはメタルであるアニマルズ・アズ・リーダーズの影響で、ジャズとメタルが寄るって歴史的にも滅多にないし」「拍節のグリッドがある上で揺れたり訛ったりするんじゃなくて、すげえ正確に、拍節グリッドがない細かい変拍子を、壊れた4拍子みたいにする形」「これがクールでありホットであるということなんですよね。すごくよくわかると同時に、自分がやっても若作りしてるようにしか聞こえないと思う」「人類全体が、暗くなっていると感じる。それってブルーノートっていう概念の第二世代と言えると思う」とか何とか、書いたり話したりしてしまうと、なんかひょっとしてとっても虚しいことになるのではないかと予感して笑、結果、編集者が取材に来てからアレを考えたわけだけれども(本誌では割愛されたが、最初は、ひらがなで「じゃず」と入れるのもやってみたのである笑)、久しぶりで反応がでかかった。

 

 ま、クリスマスに難しい映画を撮り続けて死んだ90過ぎの映画監督の話をラジオでするのと、巷間「敷居が高い」という言葉で表される、未知の伝統的ジャンルへの入門を、ネット検索でやってみよう!というのが、同等の反応を起こすわけがないことぐらいは自分でも理解しているけれども、「恐ろしいほど」が重要で、要するに予想を大きく超えた。その規模感がどこから来るのか?やはり20世紀と21世紀の差のような気がする。20世紀初等の人類は19世紀を重んじたか?単純に1923年の人類は1867年とか1878年とかよりも、1923年の姿を借りた1925年ぐらいに熱狂していたのではないかと思う。