菊地成孔(著者) のコメント

菊地成孔 菊地成孔
(著者)

>>26

日本人が「戦争」に対するイマジネーションを(例えば「死」そのもの、と比べた時に)、著しく低くしか持てない。というのは、国民的な抑圧で、原爆投下も関わっているでしょうし、太平洋戦争の敗戦(近代日本軍、初の敗戦)も関わっているでしょうし、何よりも「恒久の平和」が、スローガンを超えて、行動も超えて、体質化しているからだと思うんですよ。

 僕はDC/PRGという運動体を、まだ「音楽のバンドである」という文脈でしか理解されていない(それは「無理解」ではなく、「音楽のバンド」としては、本当に、運動開始当時に比べると、信じがたいほど理解されていると思います)、と感じており、しかしそれは「戦争」を概念化して音楽という活動に結びつける、ということ自体が、僕の個人的な狂気なのかも?と思うほどです。片山杜秀の「戦争と音楽」は、非常に優れた本で、後期バロックから3B時代までと、クラシックの美味しい時期だけを中心にしているとは言え、結論は「戦争が音楽を(不可避的に)産み育てる」というもので、掉尾は「戦争を!」と、好戦の拳を突き上げています(「音楽のために」ですが)。

 ただこれも、戦争を抽象化=再理解し、音楽の抽象性と同一化させる。という僕のコンセプトとは違い、かなりドラスティックなものです。「スペインの宇宙食」は僕の著作の中でも、未だに一番読まれているのではないか?と思うほど読まれていますが、まだDC/PRGの件は読み込まれ切ってはいないな。と感じています。ダンスは快楽で、戦争は怖い。なので戦場に置かれるまでは踊っていようよ。というシンプルな快楽主義みたいに捉えられているだろうし、冒頭に戻り、日本人には(良くも悪くも)無理だろうな。と、最近は思っています。エモーションを排除し、アクションに純化する(せざるを得ない)というのは、マルクス主義をコンセプトにした革命運動でも無理だったと思っています。

 ご説にある、「パナマ以北」つまり、お住まいであるメヒコの南(こうした世界地図俯瞰も、なかなか読者には伝わりずらいと思いますが)で、南北アメリカの臍の緒であるコスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドル、グアテマラ、(ベリーズも、内情はさておき、地理的にくくると)といった地域の治安の、驚くべき悪さが、これだけSNSが発達しているのにも関わらず、ほとんどリアルが海外に届いていない。というのは、おっしゃる通り、ジャーナリストの死亡率が高い。という事も筆頭に、ヒップホップのカルチャーが無い(必要ない)こともあげられると思います。

 <G-RAPの情報>として、00年代のシカゴが、年間の死亡者数を当時(戦時)のイラクを上回り、ストリートの地獄としての「シャイラク(シカゴ+イラク)」という言葉が生まれた。という過去は、シカゴが、実は全米で最も最新型音楽の多産地域であり、HH東西戦争のかなり後にシカゴにG-RAPが生まれ直したという状況の下にあり、過去(かなり前ですが)僕は「フォークは自殺用、ラテンは他殺用」と発言し、さほどの反響はありませんでしたが笑、ラテンミュージックは、どこからどう分析しても他殺用に構造が出来上がっており、それは今なら「紅茶は自殺用、コーヒーは他殺用」と言い換えても良いかもしれません。僕は「ラティーナ」という音楽誌が達成した仕事を、かなりの精度で評価していますが、ラテン音楽を積極的にロンダリングしようという方向性に関しては、仕方がないとはいえ、悪しき傾向だと思っていました。

 何名かいるスパニッシュアメリカンの友人(音楽家が多いですが)は皆、ジョークとして「ホンジュラスだけは別格だ笑。どんな酷いか知りたくもない笑」と言います。南北米の臍の緒にいる人々にとって、戦争と音楽とは何だろうかと思いをはせるに、「日常」と把握している以外、イマジネイトできません。誰かの日常を客観視し、何らかの形に移し変えることが出来るのは外人以外にはないでしょう。

 しかし拷問も射殺も、外国人が、例えば「映画」とうメディアに移し替えると、観ていてかなりヒヤヒヤします。先日書いた「モーリタニアン」はかろうじてイギリス映画で、イギリスがアメリカの悪を暴くのに、当然のように拷問シーンが出てきますが、端的にそれは、「これ、フェチに火がついちゃうやつもいる。というリスクがあるよな」と感じざるを得ません。「映画」はもう、リアルな暴力を描くメディアではなくなっていると思います。

 <アメリカ世界とアラブ世界がシェイクハンドする世界が、どのように来るのか。その世界にどんな運動体が登場するのか、楽しみでなりません。生きていたら、見届けたいものです。>

 僕も全く同意します。そして、中華人民共和国とアラブ社会の連合と、合衆国がリベラルの旗の元に同盟関係を強化する。という、過去の「世界大戦」の座組にどんどん近ずいている社会に向け、僕はDC/PRGのアクションを終了させた後、修正的/ 発展的に次のアクションに移ろうとしており、それはDC/PRGが予め下部構造に持っていた「1999年から2001年までの日本人が、戦争=戦場のイマジネーションを持つに至るかどうか」という、一数の抵抗値を取り直すことに他なりません。

No.27 39ヶ月前

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