香港正月シリーズは続くとして、本線である偽インスタグラムも復活しないといけない。もう2月も半ばである。
とはいえ私が何をやっているかと言えば、ライブとガンダムだけである。生活がミ二マル化することはよくある。現に、ここ10年の私の暮らしとて充分ミ二マルだろうという方は多いだろう。飯を喰い、音楽をする、たまに映画を観て、仕事の批評やコレを書く。後何をしているのか、余り思い出せない。稀代のミ二マリストであり。自作を2回、或は3回反復させ、ほんのちょっとの差を入れるだけ。という作風を持つ韓国の映画監督ホン・サンスは、自作を律するブニュエル的な反復について、何と日常感覚を引き合いに出している。音楽のミ二マリストは絶対に言わない。
「我々は、そこそこドラマティックな人生を生きていると信じ込んでいる。でも実際は、ほぼ同じ毎日を繰り返し続けながら、それが少しずつ変化しているだけだ」
本当にそう思う。私は不安神経症も、壊死性リンパ結節炎も経験し、離婚や再婚も経験し、不倫さえ経験した事があり、両親とどちらも死別し、世界各国で様々な経験をした。どれもこれも大騒ぎしたが、今から思えば総てが繰り返される日常の中の、ちょっとした乱れに過ぎない。生まれてから今日までの間で、本当の、日常の連鎖と全く無関係な断層があったとしたら、それは恐らく、言語を憶えた時だ。記憶に無いが。
今私は、自慰行為を行っている、ビヨンセが妊婦ヌードを水中で撮影したからである。フェティシストのグルメぶりというのはトートロジカルではあるが病的と言って間違いなく、ビヨンセが水中写真を撮ったからといって、即欲情システムが動き出す事は無い。
図像のアングルや画質といった構造に類する中心部ではない、睫毛、視線、表情から読み取れる呼吸苦の程度、水中での目の明け具合、水泡の配置、といった、夥しい、微細な情報の束が私を一瞬で絡め取り、駆り立てるのである。何せ、発表された数点の写真の中で、私が使用可能だったのは1点だけなのである。飢えきっていた過去が懐かしい。「水中」という文字だけで自慰をしていた。まだ飢えているか、もう飢えはおさまった治まったのか、主観によっては判断出来ない。とにかく私は、言葉を憶たのだ。そして、それ以来、繰り返しているだけだ。ダンスミュージックはその事の肯定である。私の音楽は、総てダンスミュージックだ「花と水」だけが、そうではない。
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<ビュロ菊だより>No.123「 水原紀子はどうして今香港を押しているのだろうか?/革命の正月休みと東京平均よりもずっと低いミシュラン香港(1)」
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