どうも、
管理者のNDです。
07月05日は、
繁藤災害(1947)から72年です。
この災害も水害の一つではありますが、人の隙を狙った意味では恐ろしい災害の一つです。
高知県にて、この日は暖湿流と呼ばれる水蒸気を多く含んだ空気が四国山脈にぶつかったことで
平年の3ヶ月分、24時間降雨が740mmというとんでもない豪雨が起きていて、
小規模な土砂崩れが至るところで発生していました。
その際、国鉄の繁藤駅近くの追廻山(オイマワシヤマ)で、一回目の土砂崩れが発生、
消防団員1名が既に流出していた土砂を除去中に新たな土砂崩れが発生して行方不明になり、
120人がかりで大捜索を行っていました。
しかし、雨がやまないうちでの救助活動が続いたことと、
不幸にもその時繁藤駅近くに電車が止まっていたその瞬間に大規模な土砂崩れが
同じ場所で更に広い範囲で発生、列車を直撃し、突如として発生したこの土砂崩落は、
消防団員をはじめ、周辺の見守っていた住民や、乗客までもが巻き込まれる
大災害に発展しました。1300人体制で捜索・救助活動を行い、
家屋10棟、死者は実に60人を出す被害となったことが明らかになりました。
また、線路も土砂崩れに埋没したことから、復旧には23日を要する事態となりました。
典型的な二次災害となったことから、遺族側からは訴訟が起こっており、
第一審では、崩落を見逃す「不法行為」とされましたが、
後の控訴で予測不能の「天災」に覆り、最高裁で「和解」となりましたが、
高知県の防災行政を見直す大きなきっかけともなりました。
今回は、
「生きるなら人に構わない方が良いのだろうか」をテーマにお伝えします。
今回の繁藤災害から関連のあるワードを挙げるとなると、
1人を助けるために救助していた人が巻き込まれたということです。
元々大雨が続いている状態というのは、既に危険な状態であることに変わりはありません。
土砂災害警戒情報が発表された時点では、最早災害発生が目で見ても明らかに
発生しやすい場所などに行くことなどままなりません。
事情あってどうしてもそこに行かなければならない人もいます。
しかし、そこにいた人が何らかの災害に巻き込まれた時、
積極的に救う必要が果たしてあるのか、疑問に思う人もいるのではないかと思います。
「元よりそんな危険な場所に住んでいた人が悪い」とか、
「危ない場所にわざわざ行かなければならない仕事をしているのが悪い」とか、
奇妙な正論がSNS間で見受けられることもありますし、
現実で大体理論的な人がこう思っている傾向が強い感じがします。
しかし、災害時には孤立や人口の大幅な減少は、その後の再建に大きく響きます。
その人を助けなかったことで、その人の力というものが失われてしまいます。
ただ、そう書くと今度は「介護している高齢者には生かす価値もない」という人が出てきます。
最近では家族間でさえもそんなことを言う人が見受けられるようで、なんとも物騒な話です。
子供や近所ぐらいの関係であれば、積極的に助けるけど、
もし今近くにいる人が、見た目あと数年も生きられるかどうかの爺・婆、
それも見ず知らずの人間だったら、あなたは助けるでしょうか。
うわべでは、はいと答えても、今のネット上ではいいえと答える人は、
「どんな状況・人でも絶対に助ける」という人と同じぐらいいると思います。
実際にこれは経験してみないとわからないものですが、人間というのは本能的に側にいる人を
見放すとこの"後悔"というのは、一生か相当長い期間付きまとってきます。
動物を置き去りにするだけでも相当苦痛を感じる人には、わかるでしょう。
いなくなってみると、必ず心に来ます。
しかも互いにその苦境に立たされている者同士なら尚更です。
人を助けられる状態にあるなら、迷わず助けてあげましょう。
多くの人がいればいる程、必ず助けることであなたの為にもなるのです。
ただ・・二つだけ例外があります。
状況に応じて、こういう時は皆さんの判断に任せざる負えません。
まず、頑なに要救助者が拒む時。救急隊員でもないあなたが見ず知らずの人を助けようと
奮闘するのは良いのですが、貴方に触れることさえ嫌がり、まるで鬼のような形相で
こちらを睨んできた時は、貴方の判断にゆだねることになるかもしれません。
もう一つは時間が極限ギリギリの状態で、数秒の狂いであなたにも命に危険が及ぶ時です。
共倒れになる未来しか見えない時は、とにかく別の手段を考えるか、
自分の命が助かる方を優先してください。あなたまでもが死んでしまっては
その先に救える人がもっと救えなくなってしまう可能性があります。
しかし、この二つのシチュエーションは非常に賛否両論になると思います。
家族なら共倒れになる覚悟で救助をしようとギリギリまで踏ん張るでしょう。
最後にどうするかはあなた次第になります。
但し、その時に綺麗ごとや欲を持って選んだ決断に良い未来はありません。
これは絶対です。善意があるからこそあなたに正しい運命の選択を与えるチャンスが訪れるのです。
震災時・災害時には複雑な心境に立たされる場面も少なからず出てきます。
心無い人、混乱する人、冷静すぎて怖い人、様々な人に貴方の感情を大きく左右させることも
出てくると思いますが、平常心を保てるよう、環境の変化に適応できるような対策をしましょう。
今日の記事は以上です。
皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。
明日もどうぞお楽しみください。
尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。
明日は、高知県で起きた、繁藤災害(1947)を紹介します。
管理者のNDです。
07月05日は、
繁藤災害(1947)から72年です。
この災害も水害の一つではありますが、人の隙を狙った意味では恐ろしい災害の一つです。
高知県にて、この日は暖湿流と呼ばれる水蒸気を多く含んだ空気が四国山脈にぶつかったことで
平年の3ヶ月分、24時間降雨が740mmというとんでもない豪雨が起きていて、
小規模な土砂崩れが至るところで発生していました。
その際、国鉄の繁藤駅近くの追廻山(オイマワシヤマ)で、一回目の土砂崩れが発生、
消防団員1名が既に流出していた土砂を除去中に新たな土砂崩れが発生して行方不明になり、
120人がかりで大捜索を行っていました。
しかし、雨がやまないうちでの救助活動が続いたことと、
不幸にもその時繁藤駅近くに電車が止まっていたその瞬間に大規模な土砂崩れが
同じ場所で更に広い範囲で発生、列車を直撃し、突如として発生したこの土砂崩落は、
消防団員をはじめ、周辺の見守っていた住民や、乗客までもが巻き込まれる
大災害に発展しました。1300人体制で捜索・救助活動を行い、
家屋10棟、死者は実に60人を出す被害となったことが明らかになりました。
また、線路も土砂崩れに埋没したことから、復旧には23日を要する事態となりました。
典型的な二次災害となったことから、遺族側からは訴訟が起こっており、
第一審では、崩落を見逃す「不法行為」とされましたが、
後の控訴で予測不能の「天災」に覆り、最高裁で「和解」となりましたが、
高知県の防災行政を見直す大きなきっかけともなりました。
今回は、
「生きるなら人に構わない方が良いのだろうか」をテーマにお伝えします。
今回の繁藤災害から関連のあるワードを挙げるとなると、
1人を助けるために救助していた人が巻き込まれたということです。
元々大雨が続いている状態というのは、既に危険な状態であることに変わりはありません。
土砂災害警戒情報が発表された時点では、最早災害発生が目で見ても明らかに
発生しやすい場所などに行くことなどままなりません。
事情あってどうしてもそこに行かなければならない人もいます。
しかし、そこにいた人が何らかの災害に巻き込まれた時、
積極的に救う必要が果たしてあるのか、疑問に思う人もいるのではないかと思います。
「元よりそんな危険な場所に住んでいた人が悪い」とか、
「危ない場所にわざわざ行かなければならない仕事をしているのが悪い」とか、
奇妙な正論がSNS間で見受けられることもありますし、
現実で大体理論的な人がこう思っている傾向が強い感じがします。
しかし、災害時には孤立や人口の大幅な減少は、その後の再建に大きく響きます。
その人を助けなかったことで、その人の力というものが失われてしまいます。
ただ、そう書くと今度は「介護している高齢者には生かす価値もない」という人が出てきます。
最近では家族間でさえもそんなことを言う人が見受けられるようで、なんとも物騒な話です。
子供や近所ぐらいの関係であれば、積極的に助けるけど、
もし今近くにいる人が、見た目あと数年も生きられるかどうかの爺・婆、
それも見ず知らずの人間だったら、あなたは助けるでしょうか。
うわべでは、はいと答えても、今のネット上ではいいえと答える人は、
「どんな状況・人でも絶対に助ける」という人と同じぐらいいると思います。
実際にこれは経験してみないとわからないものですが、人間というのは本能的に側にいる人を
見放すとこの"後悔"というのは、一生か相当長い期間付きまとってきます。
動物を置き去りにするだけでも相当苦痛を感じる人には、わかるでしょう。
いなくなってみると、必ず心に来ます。
しかも互いにその苦境に立たされている者同士なら尚更です。
人を助けられる状態にあるなら、迷わず助けてあげましょう。
多くの人がいればいる程、必ず助けることであなたの為にもなるのです。
ただ・・二つだけ例外があります。
状況に応じて、こういう時は皆さんの判断に任せざる負えません。
まず、頑なに要救助者が拒む時。救急隊員でもないあなたが見ず知らずの人を助けようと
奮闘するのは良いのですが、貴方に触れることさえ嫌がり、まるで鬼のような形相で
こちらを睨んできた時は、貴方の判断にゆだねることになるかもしれません。
もう一つは時間が極限ギリギリの状態で、数秒の狂いであなたにも命に危険が及ぶ時です。
共倒れになる未来しか見えない時は、とにかく別の手段を考えるか、
自分の命が助かる方を優先してください。あなたまでもが死んでしまっては
その先に救える人がもっと救えなくなってしまう可能性があります。
しかし、この二つのシチュエーションは非常に賛否両論になると思います。
家族なら共倒れになる覚悟で救助をしようとギリギリまで踏ん張るでしょう。
最後にどうするかはあなた次第になります。
但し、その時に綺麗ごとや欲を持って選んだ決断に良い未来はありません。
これは絶対です。善意があるからこそあなたに正しい運命の選択を与えるチャンスが訪れるのです。
震災時・災害時には複雑な心境に立たされる場面も少なからず出てきます。
心無い人、混乱する人、冷静すぎて怖い人、様々な人に貴方の感情を大きく左右させることも
出てくると思いますが、平常心を保てるよう、環境の変化に適応できるような対策をしましょう。
今日の記事は以上です。
皆さんの防災意識に少しでもプラスすることができたら嬉しいです。
明日もどうぞお楽しみください。
尚、感想はブロマガコメント欄でも放送内のコメントでもお気軽にどうぞ。
明日は、高知県で起きた、繁藤災害(1947)を紹介します。
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