NHKの籾井(もみい)勝人会長は1月25日の就任会見で、旧日本軍「慰安婦」問題に触れ「この問題はどこの国にもあった」「戦争地域、どこでもあったと思う」などと発言し、旧日本軍「慰安婦」の制度を正当化しました。果たして旧日本軍のような「慰安婦」制度が「どこの国にもあった」というのは事実でしょうか。
軍の「慰安所」管理関係資料で明らか
他国の軍隊でも、軍の周辺に女性を集め、「売春婦」が存在することはありますが、「軍が組織的・系統的に『慰安所』を管理していたとされるのは、第2次世界大戦下では旧日本軍とナチス・ドイツだけです」と指摘するのは「慰安婦」問題を調査研究してきた吉見義明・中央大学教授です。
旧日本軍「慰安婦」制度の場合、計画、業者選び、輸送、建設、管理など「すべての過程において日本軍が直接・間接的に管理していたことが、旧陸海軍や政府の関係資料で明らかになっている」と指摘します。
たとえば、吉見氏が発見した第二一軍司令部の「戦時旬報(後方関係)」には、「慰安所は所管警備隊長及憲兵隊監督の下に警備地区内将校以下の為開業せしめあり」と明記してあり、軍が「慰安所」を統制・管理していることをのべています。
「慰安婦」にされた女性たちは外出の自由はなく、住居や性行為の拒否などの自由も奪われていました。それらは旧日本軍の資料によっても明らかです。「営業者(「慰安婦」のこと)は特に許したる場所以外に外出するを禁す」(独立攻城重砲兵第二大隊「常州駐屯間内務規定」、1938年3月)、「慰安婦外出を厳重取締」(比島軍政監部ビサヤ支部イロイロ出張所「慰安所=亜細亜会館、第一慰安所=規定送付の件」、42年11月22日)。
また、日本とナチス・ドイツ軍の「慰安婦」制度の違いに、旧日本軍は植民地だった朝鮮半島の女性たちを「慰安婦」にし、性行為を強要したことがあげられます。
93年、日本政府は、河野洋平官房長官の談話で、「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した」とのべ、旧日本軍「慰安婦」制度の軍の関与を認めました。
自民党の宮沢喜一内閣が91~93年に旧日本軍の資料を調べ、16人の元「慰安婦」から聞き取りを行いました。当時、調査に携わった石原信雄元官房副長官は「16人のヒヤリングの結果は、どう考えても、これは作り話じゃない、本人がその意に反して慰安婦とされたことは間違いない」と話しています。その結果、政府として真実だと認定し、内閣の意思として「河野談話」を発表したのです。
被害女性の尊厳を傷つけ苦痛与える
籾井氏は「(『慰安婦』は)欧州はどこだってあった。じゃあなぜオランダに今ごろまだ『飾り窓』(売春街)があるのか」とも発言しています。
吉見氏は「現代の民間の売春宿と一緒にするのはおかしい。旧日本軍『慰安婦』にされた女性たちは人身売買、誘拐、または暴力的に『慰安所』に入れられたので全く形態が違う」とのべました。
なぜ「慰安所」を設けたのでしょうか。軍の資料によると、(1)強姦(ごうかん)の防止(2)性病まん延予防(3)ストレス解消のための「性的慰安」の提供(4)「防諜(ぼうちょう)」(スパイ防止)の四つがあげられます。
当時、中国では侵略した日本軍による強姦が多発し、中国民衆は反発感情を持ちました。そのため「積極的に施設をなすを可と認め、兵の性問題解決策に関し種々配慮し、その実現に着手する」(岡部直三郎上海派遣軍高級参謀の日記、32年3月14日の項)とし、「慰安所」がつくられてゆきました。しかし旧日本軍による強姦事件は繰り返されました。
籾井氏の発言は女性の尊厳を傷つけ、被害女性たちにさらなる苦痛を与え、さらに“世界のどこにでもある話”とすることで旧日本軍の犯罪行為を免罪しようとする卑劣な発言です。
NHK会長という日本の公共放送のトップが、公式の記者会見で発言したことは、たとえ「個人的」な見解だったとしても許されるものではありません。
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