作家でNHK経営委員の百田尚樹氏は東京都知事選での田母神俊雄候補(元航空幕僚長)の応援演説(2月3日)で「戦後69年、問題が山のように出てきている。原因は何か。日本が戦争に負け、GHQ(連合国軍総司令部)が徹底した自虐思想を植え付けた。これは東京裁判のせい」「米軍は東京、広島、長崎の悲惨な状況を見て、やりすぎだと思ったのだろう。東京裁判はこれをごまかすための裁判だった」などと語りました。

 こうした発言への批判に対して百田氏は、反省するどころか「私は言論封殺と断固戦う」(『FLASH』3月11日号)と息巻いています。しかし、どう言いつくろうと、百田氏の主張は、歴史を偽り、日本の侵略戦争を正当化する妄言です。

日本の侵略戦争を断罪

 東京裁判とは何か。 

 1931年の「満州事変」以来、足かけ15年にわたる侵略戦争を行った日本の天皇制政府は45年8月、連合国のポツダム宣言を受諾して降伏しました。同宣言は、日本からの軍国主義の一掃、民主主義の復活強化をうたうとともに、「吾等の俘虜(ふりょ)を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加へらるべし」としていました。

 東京裁判(極東国際軍事裁判)はこのポツダム宣言にもとづき、侵略戦争を計画・実行した責任を問われたA級戦犯に対して東京で行われた国際軍事裁判(46年5月~48年11月)です。

 裁判は、捕虜虐待など通例の戦争犯罪のほかに、「平和に対する罪」「人道に対する罪」を含めた新しい戦争犯罪概念を用いて実施されました。米・英・ソ・中華民国など11カ国を原告とし、東条英機元首相をはじめ政府・軍部の最高指導者ら28人を被告としました。

 判決は、日本の行った戦争を「侵略戦争」と断じ、公判中に死亡した者らを除いた被告25人全員を有罪としました。日本政府は、サンフランシスコ平和条約(51年調印)第11条で東京裁判を「受諾」しました。

 判決が日本の戦争を侵略戦争と審判を下したことは当然です。

 日本軍は1931年、謀略によって中国東北部(満州)を侵略し、32年にかいらい国家「満州国」を建設。37年には北京郊外での日中両軍の衝突(盧溝橋事件)を機に大軍を派兵し、中国への全面戦争を開始しました。40年には、東南アジア全域、西はインド、東はオーストラリア、ニュージーランドの北側の西太平洋の全域を日本の「生存圏」(「大東亜新秩序」)だと決定。41年12月、日本軍は英領マレー半島、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、「大東亜新秩序」づくりの戦争を開始し、戦火をアジア太平洋全域に広げました。

 こうした一連の戦争が領土拡張主義にもとづいた侵略戦争であることは、当時の政府・軍部の記録など歴史の事実を見れば明白で、日本の一部の論者以外、世界の常識です。百田氏は、東京裁判を「自虐思想」などと否定することで侵略戦争を美化・肯定しようとしているのです。

「どっちもどっち論」のごまかし

 この東京裁判を「米軍の戦争犯罪をごまかすためのものであった」などという百田氏の主張には何の根拠もありません。

 東京裁判は米国が主導したものでしたが、判事はアメリカやイギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス、オランダ、中国、ソ連、フィリピン、インドの計11カ国で構成されていました。

 アメリカ以外のこれらの国々―日本軍国主義の最大の被害国であった中国や、日本の占領下で大きな損害を受けたフィリピンなどが、アメリカとともに米軍の戦争犯罪をごまかそうとして東京裁判を実施したなどというのは、百田氏の「創造」にすぎません。

 もちろん東京裁判のすべてを絶対化することはできません。

 アメリカによる東京大空襲、広島、長崎への原爆投下、ソ連による捕虜の強制労働(シベリア抑留)などがまったく不問に付されたのは東京裁判の重大な問題点です。

 とりわけ、日本の戦争の最高指導者であり、「満州事変」から敗戦まで戦争の全過程にかかわった唯一の人物である昭和天皇については、アメリカの対日占領政策の思惑から責任を問わないことを最初から裁判の不動の枠組みとしていました。そのために戦争の実際の経過と責任があいまいとなりました。

 しかし、そういう弱点を持ちながらも、東京裁判が、人道と平和の見地から日本の侵略戦争に明確な国際的審判を下したことは、世界政治の上で、このような行為が二度と許されないことを明らかにした点で極めて大きな意義を持つものでした。

 その歴史的意義を見ず、あれこれの弱点を取り上げて東京裁判全体を否定しようという百田氏の議論は、「日本軍も残虐なことをしたが、アメリカもソ連も中国もした」という「どっちもどっち」論に引きずり込み、日本の行った戦争が侵略戦争であることを否定するものです。それは、日本、ドイツ、イタリアが始めた侵略戦争を断罪した戦後国際政治の土台を否定することにもなります。

受け継がれる戦犯人脈

 「日本社会に山積している問題は東京裁判で自虐思想が植え付けられたせいだ」という百田氏の主張に至っては、珍論としかいいようがありません。

 東京裁判で問題があったとすれば、昭和天皇の戦争責任が不問に付されたほか、アメリカの対日占領政策の変化によって、第二、第三の裁判が開かれず、東条内閣の商工相などを務めた岸信介(安倍晋三首相の祖父)をはじめA級戦犯容疑者17人が不起訴・釈放されるなど、徹底した戦争責任の追及がなされなかったことです。

 その後、岸は首相に就任。A級戦犯として有罪判決を受けた重光葵(しげみつまもる)は釈放・追放解除後、鳩山内閣の外相、同じく賀屋興宣(かやおきのり)は池田内閣の法相となりました。こうして、日本の政界には侵略戦争の責任者が居すわる「戦犯政治」が温存され、その人脈が今日まで続いているのです。

 日本の行った戦争を「自存自衛」「アジア解放戦争」だったと美化・宣伝する「靖国」派や、その「靖国」派が中枢を占め、「戦争する国」に向けて暴走する安倍内閣は、そうした「戦犯政治」の最悪の表れです。その応援団が百田氏です。
(入沢隆文)