主張

首相の解釈改憲発言

法秩序の破壊を自覚すべきだ

 集団的自衛権の行使について、安倍晋三首相は国会で、憲法を改定することなしに政府の憲法解釈を変更するだけで認めることが可能だとの見解を示しました。「集団的自衛権の行使が認められるという判断も政府が適切な形で新しい解釈を明らかにすることによって可能であり、憲法改正が必要だという指摘は必ずしも当たらない」というのです(5日の参院予算委員会)。これは、歴代自民党政府の基本見解さえ覆す重大答弁です。日本を「海外で米国と肩を並べて戦争する国」にしようと、なりふりかまわず暴走する危険な姿勢を示しています。

自由に変更できず

 歴代政府はこれまで一貫して、集団的自衛権の行使は憲法そのものを変えない限り不可能だとの立場をとってきました。

 1983年2月22日の衆院予算委員会で、公明党議員の質問に対し、角田礼次郎内閣法制局長官は、「集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ない。したがって、そういう手段をとらない限りできない」と明言しています。この時、答弁に立った安倍晋太郎外相(安倍首相の実父)も、「法制局長官の述べた通りだ」と認めていました。

 憲法9条を改変して集団的自衛権の行使を認めることはもとより許されません。しかし、これまでの政府の立場からしても、時の政権の勝手な思惑で一方的に憲法解釈を変え集団的自衛権の行使を認めるというのは、あってはならないことなのです。

 実際、政府は集団的自衛権の行使を違憲とする解釈について、「論理的な追求の結果として示されてきたもの」であり、「自由にこれを変更することができるような性質のものではない」としてきました(96年2月27日、衆院予算委、大森政輔内閣法制局長官)。集団的自衛権は「外国への武力攻撃を阻止する権利」であり、政府が自衛権発動の要件とする日本への武力攻撃発生を満たしていないからです。

 政府は、集団的自衛権の行使を認めるための憲法解釈の変更は、「政府の憲法解釈の権威を著しく失墜させ、ひいては内閣自体に対する国民の信頼を著しく損なうおそれもある。憲法を頂点とする法秩序の維持という観点から見ても問題がある」としてきました(同前)。最低限の見識といえます。

国民の信頼損なう

 首相は、集団的自衛権について、「今ないことによるデメリット(欠点)に直面している」と述べ、弾道ミサイル攻撃の警戒活動に当たっている米国のイージス艦を近くにいる日本のイージス艦が守れなくていいのかという例を繰り返し持ち出し、行使容認の口実にしようとしています。

 しかし、現代戦において艦船は潜水艦による魚雷攻撃を警戒し密集した陣形をとることはなく、互いに数キロの間隔をとるのが常識だとされます。米国のイージス艦を遠く離れた日本のイージス艦が防護するのは事実上不可能です。首相が非現実的なごまかししか持ち出せないのは、集団的自衛権行使ありきの姿勢を示しています。

 そのための憲法解釈変更は、「憲法を頂点とする法秩序」を破壊し、「国民の信頼を著しく損なう」ことを首相は肝に銘じるべきです。