2012年12月第4週号
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めるまがアゴラちゃんねる、第023号をお届けします。
発行が遅れまして申し訳ございません。
コンテンツ
・ゲーム産業の興亡(33)
コントロール体制が生みだした「任天堂神話」の繁栄とたまりゆく不満
・『世界金融バブル 宴の後の二日酔い』藤沢数希氏×池田信夫
第五回「邦銀が日本国民に押し付けている財政破綻というテール・リスク」
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特別寄稿:
新 清士
ゲーム・ジャーナリスト
ゲーム産業の興亡(33)
コントロール体制が生みだした「任天堂神話」の繁栄とたまりゆく不満
94年に登場した、ソニー・コンピュータエンタテインメントと「プレイステーション」、セガの「セガサターン」も、任天堂の戦略と同様の「コントロールしたプラットフォーム戦略」を継続している。
それぞれのプラットフォーム向けにゲーム開発を行いたい企業は、パブリッシャー契約か、ディベロッパー契約のどちらかを結び、まず、ライセンス契約を行い、ゲームを作る権利を取得する必要があった。パブリッシャー契約は、その企業が自社の流通網を独自に所有し、開発したゲームを市場に自由に流通させる権利で、一方で、ディベロッパー契約は、自身が市場に流通させるためには、どこかのパブリッシャーに委託を行わなければならないというものだ。
もちろん、後者の方が、契約は容易だ。そして、開発するゲーム内容の企画を提出し、開発の許可を得なければならなかった。
しかし、90年代に入って登場する2社のハードウェアに比べて、任天堂のコントロールの縛りは非常に厳しかった。反任天堂体制として登場する2社に触れる前に、任天堂体制への不満が溜まっていくプロセスをざっと見ていこう。
■任天堂体制によって大きな収益を得て成長したゲーム会社
任天堂は、「マリオクラブ」というゲーム内容をチェックする組織を形成し、ゲーム内容の質をチェックし、スコア評価を行い、完成度の低いゲームは市場に発売できないという厳しい条件を付けていた。特に、これは現在でも任天堂のゲームの質を維持する重要な要因となっている。
現在では、QA(クオリティアシュアランス、品質管理)という概念として確立され、ゲームクリエイターが独りよがりでゲームを開発しがちな傾向を第三者にチェックさせ、ゲームのバランスを調整したりする仕組みとして定着している。特に、2005年頃から、急激に北米で、一般化する方法になるが、日本企業で家庭用ゲーム機向けに、最も積極的に採用していたのは、任天堂1社だったと言ってもよかった。
80〜90年代までのゲームは、比較的100万本ヒットといった、現在では考えられないほど、大ヒットが頻繁に見られた。この連載の初期で紹介したように、日本自体がバブルで景気がよく、各家庭が経済的に潤っていたこともあり可処分所得(生活費等にかかる費用を差し引きした金額)が大きく、また、子供の人口が現在の2/3から、2倍近いという団塊ジュニアのボリュームゾーンにぶつかっていたために、旺盛な新しいゲームへの市場ニーズが存在していたためだ。
これは、家庭用ゲーム機だけでなく、ゲームセンターでのアーケードゲームブームも形成し、91年に登場した「ストリートファイターⅡ」(カプコン)の大ヒットにつながった。また、92年にスーパーファミコン用に移植リリースさたバージョンは国内288万本、世界全体で630万本という空前のヒットを引き起こす。
ゲームセンターでも、家庭用ゲーム機でも、子供向けゲームよりも、年齢が高めのユーザーが好む「格闘ゲームブーム」に沸く時代へと変わっていった。カプコンはこれらの好業績を背景に、93年に大阪証券取引所に上場を果たしている。これを皮切りに90年代には、ゾクゾクと家庭用ゲーム機会社が、上場を果たすことになる。
(ただし、当時は、市場についての統計データを形成する仕組みが存在しなかったために、現在のように、それぞれのゲームがどの程度の販売本数に成功していたのかという、正確な情報は存在していない。統計データが整えられるのは、90年代の最後の方になってからだ)
■任天堂体制が抱えていた問題点
そのため、空前のファミコンブームのなか、ゲームを発売する許可を任天堂から取り付けることができれば、大きな利益を生み出せる可能性のある時代が続いていた。
ところが、任天堂が課している年間の販売(リリース)本数の縛りや、任天堂が組織していた彼らの強みともなっていた元々の出自でもあるオモチャ系の流通企業を中心とした「初心会」という組織を利用して販売しなければならないというルールは、自由にゲームを流通させる各ゲーム会社の権利に、大きな制約がかかっていた。
その上、ロムカセットの生産には、時間がかかりすぎてしまうため、ゲームが一度店頭からなくなり、ゲームの店頭在庫がなくなったときに、迅速に補充することができず、特に中小企業は、販売機会を損失するという不満も溜まるようになっていった。
もちろん、任天堂自身のゲームは、その条件は例外扱いで、自社ゲームは大ヒットしやすい環境が生みだされていた。そのため、「任天堂が大きく成功する中で、ついでにビジネスをさせてもらう」とも言われた時代だった。おこぼれであっても十分に儲かったのだ。
ただし、特に初期に急成長することができた大手企業にとって、決定的なまでに不満が高まっていたというわけではない。任天堂がゲームにのみ経営資源を集中する姿勢に対しては、高い信頼が存在していたためだ。
すでにスーパーファミコンの次世代機として、3Dグラフィックスを搭載した新しい世代のハードウェア「NINTENDO 64」を、当時世界最先端の3D技術を持っていたシリコングラフィックスとの共同開発が始まっており、スーパーファミコンの次の時代のゲーム機の本命と捉えられていた。結果的には、スーパーファミコンが90年だったのに対して、96年まで市場への投入がかかり、チャンスを失うことになるのだが……。
■任天堂は異業種への展開を意図的に行わなかった
それでも、80〜90年代の任天堂は、既存のオモチャ市場の大半がゲームになってしまうほどの、とてつもない独占的な収益を上げていた。当然、豊富なキャッシュを持っていたために、他事業への展開をなぜ行ってさらなる収益機会を得ないのか、という疑問は、特に投資関連の企業や株主からは常にプレッシャーが掛けられていたこれは現在でも続いている。
任天堂はもっと収益を出すことができるはずなのに、「携帯電話向けゲームになぜ進出しないのか?」という質問がよく投資関係者から出る。
少し長いが、なぜ進出しないのかを示している97年に行われた宮本茂氏(現専務取締役 情報開発本部長)へのインタビューを引用する。
「任天堂ってお金のある会社になりましたから、バブル期のときとかいろんなビジネスに手をだせたはずなんですが、出さない会社なんです。結局、娯楽で儲けたカネっていうのは娯楽でしか使わせないって、(山内社長は)はっきりいいきってますからね。
逆に「このハードで失敗したらどうするんですか」ということに関しては、『失敗してもいいという覚悟』があるわけです。
失敗してもいいから、『この娯楽のマーケットに医師をなげ続けたい』ということを経営者自身がいわれていますから、やっぱり、自分のところの土俵を踏み外さないでいる。だから、そっちの方向からいろんなものを見て、仕事をするということが会社に根づいていると思います。任天堂が自己に忠実であろうとするとき、『何か新しい物を見つけざる得ない』というふうに追い込まれているところもありますけどね。」(※1)
これは若かりし頃の山内氏の他事業展開による失敗の苦い経験が大きな原因になっていると思われる。任天堂は、タクシー会社、インスタントライス(日清がインスタントラーメンで成功していた時代)、ラブホテルといった異業種へと進出し次々に失敗し、会社は倒産の危機を70年代の終わりに経験している。ノウハウのない異業種に展開しての失敗体験が、強くすり込まれていたのだろう。
一方で、任天堂がゲームのみに経営資源を投入し、自社も新しい「マリオ」「ゼルダ」など次々に優れたゲームをヒットさせ続けた。「任天堂神話」が生みだされ、それが存在している限り、わざわざその神話に外れるリスクを背負ってまで、ゲームを展開する必要性がないというのが、当時の常識だった。
■任天堂体制を崩すために大きな役割を担ったナムコ
しかし、その任天堂の体制に、特に不満を持っていた企業があった。ゲームセンタービジネスで大きく成功し、任天堂のプラットフォームでの成功を引き起こした重要な役割を担ったと自負していたナムコだ。
ナムコが、もしファミコン時代に、ライバルだったセガの「SG-3000」といったハードウェアに参入していれば、状況は全く違っていた可能性がある。ところが、ナムコとセガはゲームセンタービジネスでは、直接競合する関係にあったこともあり、最終的に任天堂に乗った。これがハードを普及させ、さらに、有力なサードパーティを呼び込む重要な要因になった。そのため、任天堂は当初はナムコを契約上では優遇していたが、それを打ち切ってしまう。
この不満は、やがて、任天堂のビジネスの問題点を鋭く突くことによって、まったく新しい市場を作っていく、94年の「プレイステーション」へと結実していくことになる。真っ先に、ソニー・コンピュータエンタテインメントの無謀ともいえる任天堂への挑戦に乗った、有力ゲームパブリッシャーは、ナムコだった。
そして、大きく成長する企業がある一方で、任天堂体制により、資金力の問題などから、チャンスを得ることができず、不満を抱えていた中小企業も、反任天堂の可能性を考えるようになっていった。
(※1)武田亨「イッツ・ザ・ニンテンドウ」ティーツー出版、2000年、P.18
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新 清士(しん きよし)
ジャーナリスト(ゲーム・IT)。1970年生まれ。慶應義塾大学商学部、及び、環境情報学部卒。他に、立命館大学映像学部非常勤講師。国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)副代表。日本デジタルゲーム学会(DiGRAJapan)理事。米国ゲーム開発の専門誌「Game Developers Magazine」(2009年11月号)でゲーム産業の発展に貢献した人物として「The Game Developer 50」に選出される。連載に、日本経済新聞電子版「ゲーム読解」、ビジネスファミ通「デジタルと人が夢見る力」など。
Twitter ID: kiyoshi_shin
『世界金融バブル 宴の後の二日酔い』
藤沢数希×池田信夫
4.実は最悪だったポールソン米財務長官の金融危機への対応
池田:財政の話に戻りますが、要するに邦銀は、財政破たんというテールリスクを取って、AIGとかリーマンとかがCDSとかCDOとかのテールリスクを取ってたのとちょっと違うんだけど、実は構造的には同じことをやっている、と。
藤沢:そうですね。実際、東京三菱UFJ銀行とか、別にそんなに経済に対して付加価値を提供していないと思うんですけど、2012年3月期の決算は日本の上場企業で利益がトップでした。9000億円ぐらいだったと思うんですけど。基本的に、国債を買ったり、窓口に来たお年寄りとかに投信とか売ってるだけなんですけど。
やはり巨大金融機関は儲かるというか、グローバル資本主義経済のなかで微妙にアンフェアなビジネスを世界中で構築している。このアンフェアの仕組みは複雑で難しいわけです。テレビの評論家とかはよくわからないし、当然、国民もよくわからないから、政治家が一生懸命に金融システムの構造的問題を直そうというインセンティヴもない。
こうして金融危機は繰り返され、その都度、問題が起きた金融機関は、税金で救済されるわけですね。
池田:90年代に、僕はその例の不良債権問題っていうのをずっと取材する側にいたんだけど、そのころは世界中から笑いものの種になってて、日本は深刻だよねーみたいな風に笑ってたんだけど、結局いまになってみると全然同じことが起きちゃって、みんな銀行を簡単につぶせないから、みんなそこに公的資金をつぎ込んで、救済して、いつまでたっても問題が片付かないっていう同じことが起きちゃってますよね。
藤沢:そうですね。銀行もそうだし、ヨーロッパなんかだとそれが国単位になってます。今度は不良債権を抱えた国を、他の国、まあ具体的にいえばドイツのお金でちょっとずつ救済していく、みたいな。でも公的資金で、金融機関なり、他国を救済するのは、政治的には難しいから、結局だらだらと必要最小限の救済を問題が起こるたびにちまちまやっていくことになる。こうして、問題がずっと長引いていくんですよね。
池田:僕も90年代の不良債権を見ていて思ったのは、結果論としていうと、なるべく早めに公的資金を入れて不動産業者の債務を免除してやればよかったんですよ。
藤沢:基本的に短期的な国民の利益でみたら、金融機関を税金で救済したほうが得なんですよ。リーマンをつぶしたのは、短期的な、5年とかのスパンでみたら大失敗だったんですよね。アメリカの経済は落ち込み、失業率も二桁台に飛び上がりました。日本も景気がものすごく落ち込んだ。AIGやシティ・グループなどが連鎖破綻しそうになると、救済するためにものすごい公的資金が投入された。大変なコストがかかったんですよ。
でも、あえてリーマンブラザーズをつぶした。救済しなかった。こうしてつぶした一番の利点は、世界に金融機関のモラルハザードを簡単に許さない、というメッセージを発したことですよね。ここまででいえば、リーマンをつぶして短期的なコストを払うけど、金融機関のモラルハザードを防ぐという、長期的な利益、たとえば、20年スパンとかそういう長期的な利益をアメリカ国民は得るはずだった。
当時のアメリカの財務省長官のポールソンとFRB議長のバーナキンとか、世界的な金融危機であんまり報われない大変な仕事で、すごいがんばったって評価されてることが多いんですけど、まあ、結果的には最悪のやり方をやったんですよ。
つまりリーマンをつぶしたことによって、短期的にものすごいコストがかかったわけです。
しかも、リーマンをつぶしたことの良かったことは、モラルハザードを起こさせないということだったんですけど、結果的にはリーマンをつぶしたことによって、世界中がまざまざとその激烈な衝撃を目の当たりにして、かえって、大きな金融機関はモラルハザードなんてかまわずに救済しなければいけないって、コンセンサスができちゃったから、結局はさらにモラルハザードが起こる土壌を作ってしまったわけです。短期でも大損して、そして大きな金融機関には暗黙の政府保証があるというモラルハザードの問題をますます強化してしまった。
ポールソンやバーナンキは、一生懸命働き、週末出勤も深夜のサービス残業もがんばったけど、結果だけ見れば最悪だったわけですよ。トレーダーだったら首ですよ(笑)。
池田:日本の不良債権問題でも、公的資金を投入をするのはいかにも筋が悪いのですが、それをためらって「自己責任」でやらせると、どんどん損失が拡大する。1995年にNHKの番組で、ゴールドマンのアトキンソンというアナリストに出てもらったとき、彼は「建設・不動産・ノンバンクの債務を一括して免除しろ」という。徳政令ですね。
そのとき大蔵省の証券局長も出演していたんだけど、みんなびっくりで、そんなこととんでもないという感じだった。法的にも、特定の債務者だけ免除するのはできない話です。
しかし今ふりかえってみると、あのとき徳政令を出しておけば、銀行の損害は20兆円ぐらいですんでいた。それを2000年代まで引っ張ったために、結果的にはネットで100兆円という莫大な損害になってしまったのです。そして不動産業者は債務を返済できないから、破産して債務が免除された。つまり結果的には銀行の融資が返ってこないのは同じで、損失が5倍以上にふくらんだだけだったんですよ。
しかし当時は、私を含めてマスコミも「バブルで儲けた銀行を救済するのはおかしい。ましてバブルを作り出した不動産業者を救済するなんてとんでもない」ということで一致していました。経済学者にも、決済機能には外部性があるので預金者を救済することは仕方ないが、銀行は必要なら破産処理するという筋論が多かった。
そうこうするうちに10年が過ぎて、竹中平蔵さんが金融担当相になって初めて「ハードランディング」が行なわれました。これが不良債権問題から脱出する決め手になり、日本経済も持ち直したのですが、このときの傷が余りにも大きかったために、過剰債務がいつまでも残り、それがいまだに企業の貯蓄超過として尾を引いています。
藤沢:2008年の世界金融危機でも、リーマンをつぶさなければ、正確に計算するのは難しいのですが、何分の一のコストですんだんですよ。リーマンつぶさなければこんなに世界経済は停滞することもなかったし、結果的にはリーマンつぶさない方がはるかにいまの世界経済がよかったわけですよ。
ただ、リーマンをつぶすことによって、モラルハザードが許さないって、そういうもっと長期的な視点では、それは重要だったんですけど、結局リーマンをつぶしたことによって、ますます大きな金融機関はつぶせないというコンセンサスまで作っちゃった。ある意味、両方の悪いところを取ったというね(笑)。
でも根本的な問題は、大きすぎてつぶせないという銀行は、つぶせないんじゃなくて、小さくすべきだ、ということなんですよね。
池田:それがこの本のメッセージですね。ちょっと遡っていうと、こういう銀行の問題というのは、ルールをかっちり作って、事前にどこまで救済するか、たとえば、預金者は救済するけど、銀行は救済しないとかね、そういうルールを作ってその通りやるべきだと。
そういうことを当時、日本の金融学者なんかも言ったわけなんだけど、結局、実際にやってみるとそうはならなくて、最初に起こることは何かというと、1992年に軽井沢で宮沢首相が(当時は名前は言わなかったが)日債銀が危ないので公的資金を投入しなきゃいけないって言ったんだけど、それに対してすごい反発が起きた。
日経新聞まで「けしからん」とやったわけです。それが最初の失敗で、宮沢さんは経済がわかっているから、早くやらないと危ないっていうんだけど、マスコミも政治家もみんな道義的に許せないっていうのがくるわけです。
藤沢:まあ確かに道義的に許せないのは分かります。でも、それはもう日本に限らず世界中どこでも同じことが起こる。
池田:これは今の原発の問題と似てるところがあります。人々の脳には応報感情というのが遺伝的に埋め込まれていて、儲かったやつがおかしくなったら助けられるっていうのは感情的に許せない。それがこの問題を二重三重にややこしくしているんですよ。
だから藤沢さんの言うように、儲かるときは大儲けで、失敗したら救済されるようなしくみが間違ってるということが根本なんだけど、実際には失敗が起こる。そのとき大衆やマスコミが早期処理に反対するんですよ。せめて初動でやってればいいんだけど、そこで反対されて処理が遅れるんですよ。
藤沢:机上の理想論でいえば、大きすぎてつぶせないものがあること自体がそもそも間違っています。とはいっても、現実問題としてあるわけで、それがつぶれちゃったら、短期的には国民は損する。まあ、短期っていっても10年くらいのスパンでみれば、大きな金融機関は救済した方が、みんな幸せなこと間違いないんですよ。感情の問題を除けばね。
池田:ファーストベストの理想論でいうと、金融機関はおかしくなったら全部つぶす、そしてつぶしても大丈夫なような金融システムにしなさい、と。それはもう池尾さん含めて、金融学者の人々がずっと世界中で言い続けているんだけど、決してそういう世界は実現しないわけです。セカンドベストをいろいろ考えても、結局、テールリスクを納税者が負担するというところに落ち着いてしまう。
藤沢:そうですね、残念ながら。あと、なんか応報感情っていうことに関したら、つぶれそうな金融機関を救済するのもそうですけど、いまヨーロッパの方では、今度はつぶれそうな国を救済するってことで、応報感情でおかしな問題になってますね。ギリシャとかスペインとか救済するのに、ドイツ国民が、なんで俺たちが金払わなきゃいけないんだってなりますからね(笑)。
おかしいのは、テールリスクを社会に押しつけて、それが実現したときに、その経営者はあんまり責任取らなくていいんですよね。それはやっぱり個別の契約で法的に守られてるから、ちゃんと退職金もらって辞めていく。下手したら辞めもしない。だから、社会で負担するならするで、経営者の退職金とかも政府が勝手にカットできるような、それぐらいの権限を与えるべきかもしれないですね。
池田:でもそれぐらいだったらいい商売ですよね。儲かるときは、経営者は何十億円もボーナスもらえるんだから。
藤沢:それでもコール・オプション(ある資産を一定の価格で買う権利)と同じですね。
池田:個人ベースの収入で考えても、儲かるときは数十億円儲かるんだったら、損したときは、その数十億円の借金を背負うとか、シンメトリックになっていればいいんだけど。問題なのは、儲かるときは青天井で損失はゼロでカットされるというコール・オプションと同じペイオフ構造になっているので、いくらでもリスクを取りにいくわけです。
藤沢:みんなゴールデンパラシュートとか、そういう契約でCEOになっているから、損して辞めるときも、ゼロどころか、何十億円も退職金を貰っていくんですよ。だからこそ金融機関よりもヘッジファンドの方が全然マシなのかなと思うんですよね。自分のお金入れてやってるから。
池田:ラジャンが言ったのは、トレーダーや経営者のペイオフの構造が間違ってるから、リスクを過剰に取るのは合理的で、過剰なリスクを取らせないように制度設計することが第一で、それから損したらトレーダーに個人的に賠償金負わせるとか、そういうことをやらないと、ペイオフの構造が間違ってる限り同じことが繰り返される。
※次週、第五章「日本の財政破綻で儲ける方法」に続く
(この対談は、アゴラから電子書籍として販売される予定です)
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