司馬遼太郎のファンは多い。司馬先生のファンでなければ日本人ではないとまで言う人間もいる。ましてや戦前世代の元軍人が何故司馬史観に共感しないのかというのだ。確かに司馬遼太郎の読者は戦前世代から団塊の世代が多い。若い人にも少数ながら歴史ファンに長く親しまれている。南雲は戦前世代の元海軍少尉だった。しかし司馬良太郎のファンではない。元軍人だから共感し涙すること人もあろう。しかし南雲は海軍出身者だからこそ、感傷にひたり、懐かしむことができないのだ。内乱他国干渉を防ぎ、近代化のスタートとなった明治維新の偉業も、西郷隆盛、坂本竜馬、維新志士のまぶしいばかりのヒロイズムも評価が高い。近代化のスピードは海外からも評価が高い。いやそもそも日本には古来から連綿と続く経済感覚と適応性があった。中国から稲と制度を輸入し、宦官や王政ではなく、神道にもとづく天皇制を維持して独自の文化と歴史を2000年きざんできた。輸入ものを導入利用することに長けていたのだ。南雲は司馬遼太郎の本は全て読んでいる。土佐の英雄坂本竜馬も、四国、瀬戸内水軍の戦法を応用してロシアのバルチック艦隊を撃破する“坂の上の雲”の盛り上がりは最高だと思った。海軍にいたころは司馬遼太郎の本があるわけもなく、むしろ乃木将軍、東郷司令官を現実の人物として尊敬していた。ただその後の結論、つまり敗戦への末路の捉え方は同世代の人間とは違った。明治の偉業と日露戦争をピークとして帝国主義に走り大陸進出を狙い、堕落した果てに敗戦した。南雲たちがおごり、失敗して敗戦したという経緯は言い訳ではなく、反論の余地ありと思っている。

そもそも帝国主義ルールでアジア諸国を苦しめていた西洋諸国が、後進の帝国主義国日本が、アジア解放=西洋領土の奪取(侵略と表裏一体であるが)を脅威と感じターゲットにしたことは客観視すれば分かることだ。

戦争の20世紀。(南雲から見れば、21世紀は武器が鉄砲から金に変っただけというかんもあるが。)この戦争はそもそも、西洋諸国どうしの地球(世界領土)の奪い合いに端を発している。争いが絶えない欧州に嫌気がさしたか、生活のためやむなく新大陸に“移動”した移民の国“アメリカ”はこの争いをまさに対岸の火事で済ませるつもりだった。

第二次大戦直後、アメリカが日本と戦う理由はあったろうか。欧州諸国が疲れ果てた頃にノルマンディーに上陸、ハルノートという脅迫、パールハーバーの“だまし撃たせ”、最悪最低の原爆投下。歴史家がどう“後述”するかは南雲の知るところではない。ただ自分たちの世代が明治以降の遺産の上にあぐらをかき、おごりたかぶり、悲劇を招いたとは思えない。間違った。反省せねば。そんな思いが焼け野原になった母国に残された人間が思うことだろうか。今日の歴史感覚と接したとき、アメリカのWGIと文化政策が頭にちらつくのを南雲は感じる。大義名分、実戦と戦後の戦略。これが有史世界共通の常識である。

ハルノートで追い詰め、パールハーバーで戦争をしかけさせ、物資、戦力で圧倒。文化教育でのソフトな手なずけ。南雲が悔しいのは戦略で負けたことではない。武力のちらつかせながら、思想でてなづけられたことが悔しいのだ。賠償金と反省。これも世界共通の常識である。多額のODAと自虐史観、その上さらに国民生活をじわじわと悪化させている日本政府には、ほとほと愛想がつきる。こうした政府に怒れない国民も珍しい。日本人は昔から良くお上に怒りをぶつけてきた。もちろん弱者のいなおりではない。怒れない。安保の怒りは、“岸信介への怒り”であったし、学生闘争は外部煽動を抜きにして“旧世代への怒り”であった。もっと言えば、明治維新は外圧占領という最悪の事態の中での“地方の怒り”であり、そもそも武士は成熟して腐りかけた貴族制度への“怒り”から生まれたのではないか。無論、歴史というのは社会システムの入れ替わりである。勝者、敗者も、善悪もその時代によって違うものである。これは南雲の独り言である。60年間、1年に一度のペースで繰り返す独り言である。自分はもういつあの世にいってもいい。だから最期は、真実に目を向け、正すべくを正す言動をと思う。奇しくも大正電力は自分の進退と重なっている。南雲には最期の舞台のイメージ、つまりエコプロジェクトへの対抗策と大正電力の進退を決める決断が、頭に描かれていた。躊躇もある。自分の行動が結局は歴史の一部にすぎなくなることも、社員を振り回しかねないことも、言動によっては国家問題になりかねないことも、気がついている。これが俺の最期の仕事。単に役割をこなして、人生のケリをつけよう。盟友栗林道弘のファイナンス戦略と鷹の目の切れ者明智のPR戦略で、沼田、蛭田、竹村の政官財のトライアングル(エコプロジェクト)に対抗できる自信がある。後は俺のスピーチしだいだ。13の割合で不利ではある。結果は神のみぞしる。

 

自分は日本のこころ、精神的支柱なのだという。大正電力グループの社員は4万人、家族などを入れれば、10万人、持ち株会で100万株、個人株主は100万株、南雲株で500万株、東京興行銀行の持ち株が1000万株。明智君のマーケティング戦略に乗り、ここにさらに上乗せられたなら、発行株式数1.3億株の20%=2600万株まで残り、900万株。

買値が重要だ。

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会社は誰のものか、株主ものか、経営者のものか。国は誰のものか、総理大臣のものか、銀行のものか。大正電力株式会社は従業員と我々市民のものであります。